13世紀末のフランス王、フィリップ4世について知っていることがあれば教えて下さい。特に、なぜ彼は王でありながら窮乏であったかを知りたいです。よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

フランドル地方とギエンヌ地方をめぐるイギリス王エドワード1世との紛争で財政的に逼迫したというのが大きな理由でしょうね。


ただこれは即位当初の話で、のちに彼はさまざまな税法を打ち出して王領をふやしたり、テンプル騎士団からのアガリを徴収することなどで、大きな収入を得ました。
まあ相当悪どいことも色々やってる王様です。それはフィリップ4世にかぎらないんですが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お答えありがとうございます。なるほど、紛争のためですか。今回魔女裁判や異端審問についてちょっと調べていて、フィリップ4世とテンプル騎士団のことも例としてあげようとしたのですが、どうしてフィリップ4世は王のくせに騎士団より貧乏なのか分からなくて困っていたのです。どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/07/24 23:46

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Qアメリカ植民地時代:フィリップ王戦争

アメリカの歴史、フィリップ王戦争について質問です。インディアンと白人は友好関係を40年も続けていたのに、なぜいきなり白人は卑怯な手をつかってまでインディアンを支配し、残酷なことを平気でするようになったのでしょうか。友好関係をそのままつづけることはできなかったのですか?どうしてこの戦争はここまでエスカレートしたのですか?

Aベストアンサー

農業適地のほとんどはすでに利用されていた。
そこに大勢の白人が増え続ければどうなるか?
とうぜん生死を賭けた農地争奪戦となる。

白人は最初から友好が不可能と理解していた。
それは後に続く大勢の人数を知っていたから。
友好を装い勢力を拡大し戦力を整えた。

そしてインディアンせん滅段階に達したので戦争。
最初の標的インディアンが農業種族だったのは
こういう理由が有ったんですねー

農業インディアンを殺し尽くせば生産力は激減し
インディアン全体の人数を急激に減らせます。
だから頭の皮を剥いで恐怖を与え追い散らした。

だいぶ後でインディアンが白人のまねをして皮を
剥ぐようになりました。当時の白人は現地人を殺して
皮を切り裂きロープに利用するのは普通でしたからね。

南米やアフリカでもこんな調子でした・・・
第二次世界戦争では日本人が殺され骨を削られナイフ
という記念品にされたりしました。頭蓋骨も記念品に・・・

白人とはそういう種族であり現代も変化は有りません。
この残虐性を減少できるから通貨主義は善意で正しい
と資本支配者は主張する訳ですねー

当時の農業が現代ではエネルギーです。
だから白人以外でエネルギーを所有すれば強烈な攻撃
をされるんですね・・・

田中角栄が失脚したのも日本独自のエネルギー所有に
動いたから・・・

農業適地のほとんどはすでに利用されていた。
そこに大勢の白人が増え続ければどうなるか?
とうぜん生死を賭けた農地争奪戦となる。

白人は最初から友好が不可能と理解していた。
それは後に続く大勢の人数を知っていたから。
友好を装い勢力を拡大し戦力を整えた。

そしてインディアンせん滅段階に達したので戦争。
最初の標的インディアンが農業種族だったのは
こういう理由が有ったんですねー

農業インディアンを殺し尽くせば生産力は激減し
インディアン全体の人数を急激に減らせます。
だ...続きを読む

Q16世紀のカール5世について

こんにちは。よろしくお願いします。
大人になってから世界史のことを勉強しだしたどしろうとです。

16世紀に宗教改革がおこり、ドイツ諸侯たちが、
神聖ローマ皇帝に対して、ルターをヴォルムス会議に召喚して、
ルターの審理をローマから引き離そうとした、ということは理解し
ました。

ただ、ローマ法王はカール5世に迫り、ルターの自説を取り消すか
否かを求めましたよね。なぜ、そこでカール5世は、ローマ法王を
無視して、ルターを守らなかったのですか?カール5世にとっては
ローマ法王の干渉も避けたいわけですよね?

イギリス、フランスは王権が強まってローマ法王の手が入らないこ
とは分かるのですが、カール5世も、ドイツ諸侯と結びつきを強め
ローマ法王の力が入ってこないようにすればいいのに・・・、と、
思うのですがどうなんでしょうか。

実際トルコが攻めて来た時も、「ルターを抑えたくてドイツ諸侯に
妥協した」とありますが、カール5世と法王は結びつきが強いので
しょうか。

どなたか教えて下さい<(_ _)>

Aベストアンサー

ドイツの特殊性

神聖ローマ帝国皇帝は、継承するものではなく、選定されるものである。
自民党の派閥で、森=小泉=阿部=福田 と同じ派閥が継承したが、あくまで選挙の結果最大派閥の森派が強かったというのと一緒。
なので、常に多数派工作が必要。
フランス王やイギリス王が血統によって決まるのと大きな違いです。
そのためローマ皇帝は、多数派工作が必要で、ドイツ諸侯にいい顔をしたり、ローマ法王にいい顔をしたり・・・となります。
なので、質問者の疑問が生じます。

カソリック = プロテスタント という対立軸が主軸ではなく、ハプスブルク家とその他の勢力の対立ということになり、そのその他の勢力には
● ローマ法王
● ドイツ諸侯
● フランス王
このへんがいるので、その時々でカール五世がくっつく相手がかわるということになります。

Q19世紀末 ロンドン 10万ポンドの価値

アニメ「小公女セーラ」の最終回で、莫大な遺産を引き継いだ主人公セーラが、いままで散々な目に遭っておきながらも母校の女学院に10万ポンドを寄付するという話がありました

舞台は1885年のロンドンですが、当時の10万ポンドは現代の貨幣価値に換算するとどのくらいになるのでしょうか?

ちなみに劇中でセーラが引き継いだ遺産の具体的な額を示唆する描写はありませんでしたが

Aベストアンサー

面白そうなので調べてみました。
ジェトロの資料に、日清戦争(1894)の賠償金を日本が清国から英ポンド金貨で受領したと言う記事があります。
http://d-arch.ide.go.jp/je_archive/society/wp_unu_jpn61.html
http://d-arch.ide.go.jp/je_archive/society/another_win/unu_jpn61_p016_h02.html
これを見ると、1894年当時の1ポンドは当時の10円程度であったことがわかります。

次に、1894年頃の1円が今のいくらに相当するかと言うと、
http://manabow.com/zatsugaku/column06/index.html
を見ると、明治30年(1897)頃の1円は今の3800円程度らしいです。

従って、1894年頃の10万ポンドは3800×10×100000=3,800,000,000円=38億円となります。

意地悪な園長先生が涙を流して改心するのもむべなるかなですね。

Q1999年って世紀末っていうの?

1999年のことをあるHPの人が世紀末といっていたのですけど・・・。僕も世紀末という言葉ぴったり合うと思ったのですが。
世界史的に言うと世紀末は2000年(20世紀の最後の年)じゃないのですか?そうだとしたら
1999はなんて言うのでしょう。世界史的にじゃなくて面白おかしく言ったことばでもいいので教えてください

Aベストアンサー

別に「世紀末=世紀の最後の年だけ」という感覚は一般的でないですね。
「世紀末=世紀の末期=最後の2~3年」ってのが一般的な感覚だと思います。

よって、「1999年は世紀末と言える」と思われます。

Q16世紀末、南西ドイツ地方での暮らしぶりは?

16世紀末、南西ドイツ地方での暮らしぶりは、どのようなものだったのかを調べています。
1,大きな村には小学校がすでにあったのでしょうか?
2.農民の識字率はどの程度だったのでしょうか?
3,教会の鐘は、何時に鳴らしていたのでしょうか?
4,農村で、通貨は普及していたのでしょうか? していたとしたら、
通貨単位はなんでしょうか?

できれば、南西地方の情報が知りたいです。
それが無理なら、当時のドイツ、神聖ローマ帝国領内での民衆の暮らしぶり等、大まかでもけっこうです。
ご存じの方、いらっしゃいましたらご教示のほど、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>1,大きな村には小学校がすでにあったのでしょうか?

15世紀神聖ローマ時代のドイツは小都市国家の集合で王や領主司教を中心に市民が住む都市とその市壁、市壁の外の領地に農奴が居ました。マルティン・ルターが宗教改革をするまで、ほとんどの人が、死、ペストなどの病気、災害などの恐怖からキリスト教を深く信仰し、密接にかかわっていました。 小学校はほとんどが修道院がその役目をしていました。でも、ほとんどの農民の子特に女子は教育を受けられませんでした。 ルターの父親は農民兼労働者でしたがルター自身は修道院で学ぶ事ができました。

1517年のルターの宗教革命以降、ルターによりラテン語の聖書はドイツ語に訳され、また彼によりドイツ語が確立されました。
また、ルターは人の集まるところで、本を読める者に民衆の前でドイツ語の聖書を積極的に読ませました。

>2.農民の識字率はどの程度だったのでしょうか?

ルターが宗教改革をする前まではほとんどの農民は読み書きが出来なかったと思います。農民が読み書きが出来ないことは、彼らに土地を貸し、重税をありとあらゆる物に掛けて収入を得ている領主(王や司教)にはたいへん都合の良いことでした。

>3,教会の鐘は、何時に鳴らしていたのでしょうか?

ルターが95ヶ条の論題を掲げる前まで、人々は死や病気等による不安から、ローマカトリック教会が売る読めない贖宥状を買い、朝昼晩と、1日に3度鳴らされる教会の鐘で祈りをささげました。朝昼晩の鐘の方は今でもカトリックの寺院や修道院では鳴らされます。

>4,農村で、通貨は普及していたのでしょうか? していたとしたら、
通貨単位はなんでしょうか?

農民はお金をほとんど持っていなかたったと思います。作物や漁で得た獲物などは、すぐに税や魚場代になったり、生活必需品に交換されていたと思われます。

Reichsguldenと呼ばれるフローリン金貨、 Schilling、Heller(銅貨)、 Groschen等。
http://www.stadt-land-oldenburg.de/waehrungseinheiten.htm
ちなみにルターの頃に売られていた贖宥状は12Groschenだったそうです。

16世紀になるとドイツのあちらこちらで、重税に苦しむ農民や市民は領主や教会を相手に戦いはじめます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E8%BE%B2%E6%B0%91%E6%88%A6%E4%BA%89
ドイツの代表的な彫刻家のリーメンシュナイダーも1525年ヴュルツブルクの農民戦争でそれまで市長だったにもかかわらず、農民と共に戦い、負傷したことにより、彫刻家を引退したと言われています。

ユーチューブでMartin Lutherの映画が英語で見られます。16世紀のドイツの様子がよく分かります。

ヨーロッパにおいて、農民、労働階級の読み書き等が重視されるようになるのは、イギリスの産業革命以降のことと思われます。

>1,大きな村には小学校がすでにあったのでしょうか?

15世紀神聖ローマ時代のドイツは小都市国家の集合で王や領主司教を中心に市民が住む都市とその市壁、市壁の外の領地に農奴が居ました。マルティン・ルターが宗教改革をするまで、ほとんどの人が、死、ペストなどの病気、災害などの恐怖からキリスト教を深く信仰し、密接にかかわっていました。 小学校はほとんどが修道院がその役目をしていました。でも、ほとんどの農民の子特に女子は教育を受けられませんでした。 ルターの父親は農民兼労働者でし...続きを読む


このカテゴリの人気Q&Aランキング

おすすめ情報