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カトリック国でありながらフランスわ
どーしてプロテスタント側を支援したのですか?
教えて下さいΣ(・□・;)

A 回答 (3件)

フランス王国はカトリック側の神聖ローマ帝国と宿命的に仲が悪かったからです。


「敵の敵は味方」の理屈で宗派を超えてプロテスタント諸侯に味方しました。

神聖ローマ帝国とフランス王国が仲が悪かった理由は
カール大帝(フランスではコルトンシャルルマーニュ)まで遡らなければならず話しが長くなりますから、ご自分でお調べ下さい。
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この回答へのお礼

参考になりましたΣ(・□・;)

お礼日時:2011/06/28 23:01

一言でいうと、フランス王家のブルボン王朝と、神聖ローマ帝国のハプスブルク家はヨーロッパの盟主の座を巡って不倶戴天の敵同士だったからです。


この話には、フランス王朝の歴史と、ハプスブルク家の歴史、それにローマ法王の座を巡る両家の暗闘も関わってくるので、日本人がヘタに手を出すと混迷の泥沼にハマります・笑。
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この回答へのお礼

ありがとうございますΣ(・□・;)

お礼日時:2011/06/28 23:01

神聖ローマ帝国が強大になることをフランスが望まなかったからです。


三十年戦争は宗教戦争という面に注目されがちです。たしかに戦争はボヘミア地方のプロテスタント
の反乱から始まりましたが、その反乱を鎮圧した皇帝はこれを機に各地に跋扈している諸侯を
コントロールし、帝国をゆるやかな諸侯の連合体から一つの強大な国家にまとめようとしました。

それに対し、帝国内外の諸勢力は危機感を持ちます。とりわけフランスには、神聖ローマ帝国が
一つの強大な帝国になってしまうと非常に困る理由がありました。
当時の神聖ローマ皇帝はハプスブルク家出身ですが、スペインもハプスブルク家が統治しており
フランスは同じ王家を君主に戴く国家に挟まれていたことになります。
神聖ローマ帝国が強力になればスペインと挟み撃ちされることが目に見えていたフランスは
戦争に首を突っ込まざるをえませんでした。(実際戦争中に挟み撃ちにあい首都近くまで攻められます。)

直接参戦する前から、フランスはスウェーデンに対し資金を援助するなど、あの手この手で
他国をけしかけて戦火を広げていました。
そのスウェーデンの勢いが下火になったので仕方なくフランスは参戦したというのが
簡単な経緯といえます。

ちなみに当時のフランスを主導していたのはリシュリューという人物で、彼は枢機卿という
カトリックのお偉いさんです。
彼の死ぬ間際に「私にはフランスの敵以外に敵はいなかった」という言葉を残しています。
この一言が全てを物語っているように思います。
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