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ナポレオンの肖像画についてです。

http://matome.naver.jp/odai/2124513619711612757/ …
この肖像画は茶髪で長髪に描かれていますが、他の多くの絵は黒髪・短髪か、かつらを被ったものばかりですよね(アルプス越えや戴冠式など、有名な絵はすべて黒髪・短髪であったはずです)。
なぜこの絵だけ茶髪・長髪になっているのでしょうか? かつらでしょうか。

A 回答 (5件)

あ、このときナポレオンは25歳でして、この髪の毛は自前です。

色もだいたい合っています。
このヘアスタイルは当時、フランス軍の将校にはやっていたもので 犬耳 といいます。このくらい伸ばしておきながら、当時上流社会で一般的だった髪の毛にふりかけチラチラひからせる粉をつかわない、のがミソです。

この絵の時のイタリア遠征のとき、ナポレオンに接した同時代人の証言が前段にでています。
http://www.napoleon-series.org/research/napoleon …

彼が太るのは1806年より後です。
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うっかりしていました。


なぜ、この写真だけというご質問でしたね。

結局この写真のころは若いでしょう。
肖像画を描かせるというのは高くつきますから

皇帝になる前、髪フサフサの時代にはそれほど豊かではなく
後の時代ほど次々に描かせるわけにもいかなかったのかな?

そうそうナポレオン1世の肖像が入った銀貨は
年を追うにつれ顔つきが変化しますし
年号も革命歴から西暦へ変化します。
称号もコンスルから皇帝へと変化します。
集めると面白いですよ。
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肖像画家が勝手に髪の長さを変えたのではないとして



長期間戦陣にあるなどで髪を切る暇がなかった。
長髪から短髪へと流行が変化した。
などという理由は比較的たやすく思いつきますが

以下に私の体験で発言させてもらいます。

まず何枚かの肖像画を見比べるとナポレオンは中年になるにつれ
額が禿げ上がってきています。
その額を隠そうとして前髪を額に垂らす髪型にしていますね。

さて髪が減ってくると額が後退しますが同時に頭頂部の髪も減ってくるのです。

ここで頭頂部の髪が少ない人が長髪にするとどうなるとお思いでしょう?
側頭部がフサフサなので頭頂部が窪んだ感じになるんです。

まるで月代を剃った江戸時代の男が髷をチョン切ったみたいです。
歌舞伎の幡随院長兵衛の最期みたいになります。

これでは頭頂部の髪の少なさが余計目立ってしまいます。こうなると大変格好が悪い。

日本でも頭頂部の髪が減ってくる中年になると5分刈りみたいに短くする
男性が多いでしょう。あれのほうが髪の減少が目立たないんです。

当時のヨーロッパでは5分刈りという髪型はなかったと思いますし、
額を隠す必要もあるので、短髪程度にしたのかもしれません。

というわけで私の意見は
ナポレオンは若いころ長髪だったが髪の減少にともない
禿を目立たないようにするため短髪に変えた、です。

そう考えてみると彼が三角帽を好んだ理由もわかるというものです。
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リンク先の肖像画は,1801年にアントワーヌ=ジャン・グロ(1771-1835)によって制作された≪ アルコン橋上のナポレオン≫という画ですね。



また,ナポレオンと言えばよく出てくるのが≪サン・ベルナール峠を越えるナポレオン・ボナパルト≫という作品ですね。
http://www.salvastyle.info/menu_neo_classicism/v …

こちらも同じく1801年にグロの師でもあり,ナポレオンの主席画家を務めたジャック=ルイ・ダヴィッドが描いたものです。

描かれた画は二枚ともイタリア遠征中のナポレオンの姿です。
この時期は,ナポレオンがフランス議会の全権を掌握する重要な時期にも当たっています。

歴史において絵画というのは,重要な政治的ツールでもありました。
多くの権力者や資産家が肖像画を残すのもその為です。
また,キリスト教会なんかも積極的に聖書を題材とした絵画を描かせています。
つまり,今で言えばプロパガンダの道具だったわけです。
当時は識字率も低い時代でした。
しかし,文字は読めなくとも絵画ならある程度意味がわかります。
そして,卓越した技術者(画家)による絵画は,観るものの感情に言葉以上のものを訴えかけてきます。
なので,多くの有力者がパトロンとして画家たちを援助していました。

閑話休題。上記二つの絵画が描かれた目的も,もちろんプロパガンダ為であろうとされています。
茶髪・端正な顔に強い意志が溢れ出てくるような容姿。
観るものに激しい感動と情熱を感じさせてくれます。
いかにも「英雄」と思わせるように描かれています。
このように描かれたのは,グロの意思ではなくナポレオンが指示したのでは無いかと言われています。
グロがナポレオンにポーズを頼んだ時,「正確に描かなくても良い」と言って断られたため,仕方なく息子をモデルにしたなんて逸話が残っていたそうです。
違った説では,最初の妻だったジョゼフィーヌ・ド・ボアルネアがダヴィッドが持ってきた下絵を観て「ロバに乗った英雄なんて見たことがない。愛馬マレンゴに乗った英雄像を」と指示したとか。
実際はロバに乗ってエッチラオッチラ登って行ったんだそうです。

後年にポール・ドラロッシュよって暴露されてたりします。
http://www.salvastyle.info/menu_neo_classicism/v …

また,後年にダヴィッドよって描かれるナポレオンの肖像画も,英雄とは程遠い,背が低くて頭が薄くなって腹が出てるおっさんになってます。
とは言え,皇帝としてそこはかとない風格があるから不思議。
http://www.salvastyle.info/menu_neo_classicism/v …

因みに,肖像画が描かれた理由は,スコットランドのハミルトン城の食堂に飾るために英国人アレクサンドル・ダグラスから依頼されたからです。
お城に飾る為なのだから,前の二つとは性格が異なりますね。
(また,皇帝の戴冠式を描いたのもダヴィッドで,もちろん目的は大衆に知らしめるためです。)
なんで,別に英雄的に仕立てあげる必要がなかったのかもしれません。
まぁ,制作されたのがナポレオンが皇帝となって8年も過ぎた頃ってのもあるでしょうし。

以上,纏めると絵画の制作理由(目的)がそれぞれ違った為となるでしょうか。
グロの画がダヴィドと違い茶髪に描かれているのは・・・作者の主観による英雄像が違う為でしょうか。

すいません,偉そうな事言ってて回答になってませんね。。。
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ナポレオンという人物の肖像がを見るときに、ナポレオンはあまり背が高くなく


それを負い目に感じていて、だいたいの場合は、上半身しか書かせなかったとさ
れています。
現に、ナポレオンの肖像がとされる有名なアルプス超えの時の馬にまたがった絵は、
今はナポレオンではなく、「英雄像」となっていると思います。

そのころ、戦場に行く人たちは、衛生環境が良くなく、髪を洗うなどもってのほか
でしたので、だいたい坊主にしていたか、かなりの短髪であったようです。
社交かいでたときには、少しでもよく見せようとカツラをかぶっていたと思います。
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