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A 回答 (9件)

感性のレベルで体感している躍動感が


より深い部分にある悟性と
ダイレクトに共鳴すると
feeling alive
ということになるのだと思います。
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この回答へのお礼

実は、あまり深い意味、感覚でこういう質問したわけではないのです。
もっと単純、純粋、素朴な。

ありがとうございました。

お礼日時:2019/01/18 05:06

それは、死線をくぐってきたからに違いない。


だが戦いこそが自らの生きる場所と定めた戦士にとっては、穏やかな町での暮らしは何処か死んだ様な日々なのかもしれない。

こんな描写が漫画か何かであったなぁ。
そんな戦士も結婚して子供ができ、平和な中にも居場所を見出しつつある時に、町にドラゴンがやって来て大暴れする。で、戦士は戦って死ぬんだけど、その死に顔は何処か満足げなんだよね。死んだ戦友のことを思いながら平和な日々を送っていた戦士の気持ちはどんなだっただろうとか、ドラゴンとの戦いに自らの死に場所を見出した戦士の気持ちはどんなだろうとか、子供ながらに考えたものです。

ところで、徴用した兵士の内、戦士は100人に1人くらいしか居ないそうです。だがこの1人が、残りの99人を故郷に連れて帰って来るらしい。

あたかも自分は生きてる様に感じる、これは死地にある戦士の言葉なんじゃないかと思ったね。
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この回答へのお礼

私には、死線をくぐる、ような人生経験はないと思うのですが。
どうなんでしょうか。

ありがとうございました。

お礼日時:2019/01/18 05:02

この言葉って、哲学の王道とされている「懐疑」を直裁的に表している言葉ですね。

ものが解りたいなら、全てのものを疑って見よってやつだ。

このことは思春期になった者なら誰にでも思いつく考え方だ。だから、まだ未熟で自然界のほとんど何も知らなかった未熟な思春期並みのギリシャ時代から、営々として疑ることが哲学の王道として評価されてきた。

でも西洋では17世紀初頭にモンテーニュによって懐疑論の非生産性が、これでもかこれでもか、と言う具体的な例で白日の下に晒されてしまった。その結果、西洋哲学界はパニックに陥ってしまったんですね。そして、なんとかしなくちゃならんて出てきたのがデカルトだった。

デカルトはカソリックとプロテスタントの血を血で洗う殺し合いの大混乱を目の当たりに見て、もはや神の権威で世界を認識することができなくなってしまったっことを理解した。だから、それに変わる何かを見つけ出さなくてはなん。そして、その根幹に神ではなくて、理性、すなわち合理性なるものを据えれば良いと思い込んだね。

でも、モンテーニュによる懐疑論の非生産性の提示による合理的思考法の無力さに悩んだ。。果たして疑うことがモンテーニュの言うように、非生産的なのだろうかと。でも、ある日、アハってな閃きがあったんだね。そうだ、あらゆることを疑い、自分の存在すら疑って見る。そこまで疑っちまうと、あらゆることの否定に見える。でもちょっと待った、私が疑っていると言う事実は疑えないじゃん。あっそうか、だから疑っていると言う事実から、私の存在が証明されているんじゃんって。それが

「我思う我あり」

なんだね。だから、あらゆるものを疑っても、モンテーニュの言うような思考の停止に陥らずに済んで、それから逃れる方法があるじゃんて閃いた。デカルトによる懐疑論の復権だ。哲学の王道を失ってしまったと思っていた西洋の哲学者どもは歓喜したね。だから、デカルトは近代哲学の父なんて賞賛されるようになった。

でも皆さん、この理屈って中学生でも思いつくような理屈だと思いませんか。こんな程度で、西洋哲学の復権だなんて言われちゃんじゃ、あたしゃ、西洋哲学なんざやってみようなんて思わないね。あたしゃ自然科学で飯を食って訳のわかんないことばかりやってきたけど、そこで役になったのは、こんな中学生でもわかるデカルトの理屈じゃなくて、モンテーニュが

「お前、本当にわかってんの」

って言う彼の『エセー』の全編で言っていることの方が、余程役に立ったね。だからデカルトは、モンテーニュを超えていないよ。
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この回答へのお礼

一発一発が重くて濃い。
だから消化に草。
知らない言葉が山。
ありがとうございます。

お礼日時:2019/01/11 20:13

生まれたことや生きていることが 先にあります。



その動態や状態を――ことばを持つに到った人間が そのことばで
――表現しあらためて認識するというのが 真相です。

つまり:
★ 自分は生きてるように感じる
☆ というふうに表現することは 後付けです。

★ なぜですか?
☆ 人間は そういう人間の条件のもとにあるということです。

でも なぜ? ――無根拠においてです。
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この回答へのお礼

ことばは関係ないような気もしますが。
どうなんでしょうか。

お礼日時:2019/01/09 23:31

最新の脳科学でも、まだ判明していません。



現代では、脳細胞が織りなすネットの産物だ、という
説が有力です。
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この回答へのお礼

わからない、という事ですね。
了解です。

お礼日時:2019/01/09 23:30

この世の創造主である神は精神=意識体!だからです。

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この回答へのお礼

二元論みたいな感じでしょうか。
ありがとうございます。
前世ではお世話になりました。

お礼日時:2019/01/09 02:16

お腹の娘と共に、事故であの世とやらへ逝った彼女が、夢枕でにらみを効かせている。

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この回答へのお礼

夢枕シーソー?

お礼日時:2019/01/09 01:19

まだ死んでないのかもしれんな。

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この回答へのお礼

あたかも自分に肉体が宿ってるようにかんじますよ

お礼日時:2019/01/08 23:55

五感を脳が感じているからですね。


全てなくなれば、死んだも同然です。
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この回答へのお礼

どうかなぁ。
体性感覚じゃないの?

お礼日時:2019/01/08 23:25

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