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読解力に乏しく、ある文が理解できません。
ハリー・ポッターと死の秘宝の下巻で、ハリーたち三人がロンの家の近くに住むラヴグッド家の人に会いに行こうとしているシーンで次のような文があります。
「翌朝、風の強い丘陵地に「姿現わし」した三人は、オッタリー・セント・キャッチポール村が一望できる場所にいた。」
この文でハリーたちは、「姿現わし」をした後に村が一望できる場所に移動したということでしょうか?
2つの文が単にくっついてるだけなのか、それとも村が一望できる場所に「姿現わし」したということなのでしょうか?

この文だけに限らず、このように文が理解できないことがよくあります。
私は子供ではないのですが、本をあまり読んでこず、読解力がありません。
読解力を身につけるために中学生用の文法書や同じく読解用の問題集などを勉強すれば読解力は身につくのでしょうか?
文章が理解できる人たちはどんなことをしてきたのでしょうか?
本をたくさん読むにしても、理解しようとしてもそもそも文章が理解できないのではあまり意味がないでしょうし、どうすれば読解力が身につくのでしょうか?
ご存じの範囲内で構いませんので教えてください。

質問者からの補足コメント

  • 「姿現わし」をしたことが主部に含まれるというのは分かりましたが、そこから何故、村が一望できる場所に「姿現わし」したことになるのか分かりません。
    それと、「翌朝、」の翌朝はその後に続く文章全体に係っているわけではなく、主部にのみ係っているのですか?
    「翌朝」の後の読点は読みやすくするために打ってあるだけですか?
    最後に、読解力を身につけるには参考書などを利用しないと、読解力を養うための技術が身につかないのでしょうか?
    文章力のある作家さんたちは誰かに教えてもらったりしていたということでしょうか?

      補足日時:2019/01/13 13:37

A 回答 (8件)

翌朝、風の強い丘陵地に、



「姿現わし」(で移動した)三人は、

オッタリー・セント・キャッチポール村が一望できる場所にいた、

という意味だと思いますので、

村が一望できる場所に
「姿現わし」で移動したという、質問者様の、2番目の解釈であってると思います。

ハリー・ポッターは、
空間移動の魔法で、
場所がコロコロ移動したり、

そもそも、翻訳な訳ですし、
分かりにくい文面があったとしても、流し読みで、後から理解したり、でも大丈夫なのかな、と思います。

本を読むって、理解しようとして、がんばって読むより、

読みやすい短いものや、心地よい表現や、音韻を楽しめるものを沢山、流すように、
読んでみてもいいかもしれません。

日本の作家さんでも、
読みやすい方沢山いらっしゃいますよ。

推理小説もお好きだったら、
宮部みゆきさんとか、
オススメです。
ちょっと、殺人の描写がリアルなので、それが大丈夫であれば、ですが。
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この回答へのお礼

みなさんの回答を読んで分かった、と思ったらやっぱり分からなくて何度も読み返してます。
でもきっと理解できるようになると思います。
みなさんの回答を何度も読んで本をたくさん読んでいれば、理解できない文章ももっと簡単に理解できるようになると思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2019/01/17 06:54

NO.2の回答に補充します。



三人は村が一望できる場所に「姿現わし」という魔法で、「姿表わし」したということです。

「翌朝」は関係詞で、話者との時間関係を表わし、話者は「翌朝、」で、その時点に立ち、【風の強い丘陵地に「姿現わし」し】と述べた後、現在に戻り「た」とそれが過去のことであったことを述べています。そして、「三人は」と述べた後に再び、過去に戻り、「オッタリー・セント・キャッチポール村が一望できる場所にい」と述べた後、また現在に戻り、「た」とそれが過去のことであったことを表わしています。

このように、作者は観念的に自己分裂し過去と現在を往来し、話者がそれを追体験することにより、作者の認識を理解しています。■
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#3です。

補足拝見しました。

>「姿現わし」をしたことが主部に含まれるというのは分かりましたが、そこから何故、村が一望できる場所に「姿現わし」したことになるのか分かりません。

主部はあくまでも「風の強い丘陵地に「姿現わし」した三人」であり「三人の状況を説明した」だけです。
村が一望できる場所は別の部分「三人は、オッタリー・セント・キャッチポール村が一望できる場所にいた」に書かれています。

文章としては二つの構成になっていて主部となる「風の強い丘陵地に「姿現わし」した三人」と本文である「三人は、オッタリー・セント・キャッチポール村が一望できる場所にいた」がくっ付いているのです。

その結果「姿現し」つまり、三人はどこからから瞬間移動して、たどり着いた場所が村が一望できる場所だった、ということです。

>それと、「翌朝、」の翌朝はその後に続く文章全体に係っているわけではなく、主部にのみ係っているのですか?
翌朝も「三人」に掛かる言葉です。「三人」の行動がいつなのかを示すことで、姿表しをしたのはいつなのか、村を一望できる場所に居たのはいつなのか、を説明しています。

>「翌朝」の後の読点は読みやすくするために打ってあるだけですか?
「翌朝」が本来「風の強い丘陵地に「姿現わし」した」をすっ飛ばして「翌朝、三人は」と言う意味であるため、句読点がはいっているといえますが、時間を表す表現は句読点で句切ることは割と多いです。

>読解力を身につけるには参考書などを利用しないと、読解力を養うための技術が身につかないのでしょうか?

本をたくさん読めば読解力は身に着きますが、なるべく早く身に着けるには「読解力を高める工夫が必要」なので、その「工夫」を教えてくれる参考書やネットの資料などは呼んでもいいと思います。技術は教えてもらうことが出来るものなので、やみくもに苦労して独学するより、教えてもらう方が苦労も少なくコストも安いと思います。

>文章力のある作家さんたちは誰かに教えてもらったりしていたということでしょうか?
もちろん教えてもらっていますが、それは「文章を魅力的にするテクニックとして」です。
読み手側の「読解力を高めるため」とはちょっと意味合いが違います。

たとえば夏目漱石が書いた有名な「吾輩は猫である。名前はまだ無い」は倒置です。標準的な日本語なら「吾輩はまだ名前のない猫である。」でいいはずです。
でもそれだと「小説の書き出しとして、読者の心を掴めない」のです。だから倒置法を使って書き出しに工夫がされているのです。

これらのテクニックは教えてもらうことはできますが「どのように使うか」でその著者の力量と文章力が問われるわけです。
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確かに分かりにくい文章ですね。

翻訳が適切でないのでしょう。この部分の原文がどうなっているかが分かれば良いのですが。私の想像では、

「翌朝、三人が「姿現わし」をした結果、風の強い丘陵地の中のオッタリー・セント・キャッチポール村が一望できる場所にいた。」

ということだと思います。

読解力をつけるためには本をたくさん読むことです。
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これは翻訳の版元の編集さんが二重カッコの使い方を統一せずに使ったために起きた混乱です。


本来、この文章は最初と最後の「」も、途中の「」も不要なのに、訳者が文章のその部分を強調したい余りに二重カッコを使ってしまったことを編集さんが見落としただけです。
上記の様にこのカッコは全て意味としては不要で、使うならどちらかにしておくべきでした。
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読解力に乏しいわけではないです。


普通の人なら見過ごしてしまうようなことに気づき、それを突き詰めたいという、むしろ探求心の盛んな性格、と捉えるのが妥当。
むしろ、読解力があり過ぎるから細かな点が気になるのだ、とわたしは思います。

「翌朝、風の強い丘陵地に「姿現わし」した三人は、オッタリー・セント・キャッチポール村が一望できる場所にいた。」

この文は、2つのことを言っています。
まず、三人は風の強い丘陵地に「姿現わし」た、ということ。
なぜ、こうした記述が必要かというと、丘陵以外の所から丘陵まで移動したこと読者に示唆するためです。
それまでどこにいたかはわかりませんが、「その場所には、もういない」ということを言いたいわけです。

次に、丘陵地の中でも、オッタリー・セント・キャッチポール村が一望できる場所にいた、と言っている。
ただ、これはあくまで私の解釈。
作者としては、丘陵地は高いので、オッタリー・セント・キャッチポール村が一望できる場所であった、という意図があるのかもしれません。

答えは作者に聞いてみないとわからない。解釈は読者に委ねられていると判断して良いでしょう。あなたの読解力の問題ではありません。
つまり、おっしゃっているような疑問が湧くのは、まったく当然のことなのですが、あまり詳しく考えなければ気づかない。
偉そうに回答していますが、あなたに指摘されなければ気づかなかった人が殆んどのはず。
さらなる読解力向上を目指すのであれば、やはり読書量を増やすことだと思います。
理屈は辞書に任せておけば良いです。
あとは、辞書語釈を正しく解釈できることは必要ですけどね。
いずれにせよ、仮に辞書を丸暗記したとしても読解力の向上にはつながりません。
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文章の読解力をつけるには「その単語がどこを修飾しているか」をきちんと見極める必要があります。

読解力がある人は、そのような能力が見に着いているのです。

で、その能力をつけるにはまず「単語または意味のある表現ごとに切る」ことと「主部・目的部・述部を見極めること」の練習が必要です。
たとえば
「翌朝、風の強い丘陵地に「姿現わし」した三人は、オッタリー・セント・キャッチポール村が一望できる場所にいた。」

を単語ごとに切ると
「「翌朝/風の強い/丘陵地に/「姿現わし」した/三人は/オッタリー・セント・キャッチポール村が/一望できる場所/にいた。」になります。

次に主部・目的部・述部を見つけましょう。
主部の「主語」は「/三人は/」です。では「どんな三人か」という主語に付属する部分として
「「姿現わし」した」三人
であることが分かり、さらに「/風の強い/丘陵地に/」と三人が居た場所と「翌朝/」の部分で時系列が分かります。ですから主部は
「翌朝、風の強い丘陵地に「姿現わし」した三人」でありその後ろの「は」がこの部分までが主語である、と示しています。

この部分を見極めれば「村が一望できる場所に「姿現わし」した」ということが分かるでしょう。

これらの能力を高めたいなら、いくつも参考になる書籍がありますが、個人的にお勧めなのは
三色ボールペンで読む日本語-角川文庫-斎藤-孝
です。

これは興味のあるところに引く、というものですが、興味のあるところに引いていると、ほぼ自動的に主部・目的部・述部を見極めている、ことになります。
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「姿現わし」は「姿を現す」という句を名詞化した名詞句です。



そして、それを動的に捉え直し、「した」と表現したものです。したがって、単純に言えば、「姿を現わした」ですが、魔法の力によって現われたという意味を明確にするために、「姿現わし」という魔法の名前にし表現したものです。

本をたくさん読むというより、新聞や雑誌を丁寧に読み、不明な点は辞書を引くなど基礎的な理解力を深めるのが効果があると思います。■
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