僕は、エホバの証人と聖書を勉強している学生です。
先日、神が人間を作った目的について考えていたのですが、聖書には人間を喜ばせることが目的だと書いてあります。
しかし、どうも僕は「神が自分への崇拝を求めて」人間をつくったのではないかと思うのです。
そして、聖書もキリストも悪魔も、「自分への愛情を源とする濃い崇拝行為」を望んで用意した壮大な「ストーリー」なのではないかと思うのです。
僕の聖書研究司会者は、「矛盾点がある」というのですが、それがどこか分かりません。だれか教えてください。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (6件)

Masato aさん、質問する相手を間違えていますよ。


神様のことは神様に聞かなくっちゃ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼日時:2001/07/26 21:14

そもそも我々人類が最終的な目的かどうか解らないですね。

まだ宇宙ができて数百億年しかたっていないのにこの後、数百億年も人類が繁栄するはずないでしょうね。私にいわせれば人類が滅びた後ちがう生物が知能を発達させ、我々よりもましな生き方をするかも知れないし。我が世の春と栄えた恐竜たちは滅びましたが、それでも一億年以上は持ったわけです。あるいは、違う星ではどうでしょう。宇宙では多くの水が確認されました。水は生物発生の絶対条件です。地球以外にも生物が発達する可能性も高いわけです。
問題は聖書が神がこれほどまでに巨大な宇宙を作ったのに「地球限定」で書かれていること。人の体を宇宙に例える事があります。あなたの体には60兆もの細胞があり、それらが不思議な原理で体を構成し、トータルとしてあなたの意志があります。あなたのその一つの細胞にとってみれば、あなたの体は宇宙であり、あなたの意志は神の意志ともいえるでしょう。その細胞はあなたのために働き、崇拝しているかも知れません。でも、あなたはその細胞に意識を集中させることすらできず、
怪我でもすれば、自分の体を守るるために外科的に(輸血せずとも)斬ることもあるでしょう。人間の存在など神にはどうでもよいのです。滅びても痛くも痒くもありません。
 「聖書に書かれているから正しい」というのは間違いです。聖書がどのように編纂され、省かれ付け加えられたか、その宗派専用聖書もあるわけですから。
キリスト教があれほどまでに多くの宗派に別れているのは「聖書の解釈の仕方がそれほどできる」という証明です。
 もし、自分の思っていることに疑問を感じたならば、むしろ反対の立場の情報を積極的に取り込み、冷静に判断することです。
 科学、他の宗教、哲学、それを勉強して自分の信じているものが変わらなければよいし、あらたな発見であらたな境地へ向かうかも知れません。

この回答への補足

>数百億年も人類が繁栄するはずないでしょうね。

地上が楽園に変えられるそうですよ。よかったです。

>水は生物発生の絶対条件です。

前から思っていたんですが、この理論って適当です。
実に視野がせまい!!

>「聖書に書かれているから正しい」というのは間違いです。聖書がどのように編纂され、省かれ付け加えられたか、その宗派専用聖書もあるわけですから。

いいえ、聖書は信頼できる書物です。
しかし、僕は、聖書はエホバが考えた物語だと思います。
神は万能なのでかかれたとおりに物事を運ぶこともできます。

補足日時:2001/07/26 21:15
    • good
    • 0

矛盾点というより、逆に質問させてもらってもいいですか?



「『神が自分への崇拝を求めて』人間をつくった」のならば、神というのは人間がいる前には誰も崇拝しなかったのではないですか?
崇拝されないような神は神とはいえないのでは。
つまり、崇拝され、支配者となるために人間を作り、そして神となりえたのではないでしょうか。

「『人間を喜ばせるために』人間をつくった」というのもちょっと変ではないですか?
まず、人間という概念を神はどこから引っぱり出してきたのでしょうか。
ものがある前から名前が存在しているのはちょっとおかしくないでしょうか。

信じている人には何を教えても無駄といいます。
しかし、矛盾があると感じているのなら、ソクラテスの助産術のように、誰かとの対話によって解決するのが早道ではないでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>「『神が自分への崇拝を求めて』人間をつくった」のならば、神というのは人間がいる前には誰も崇拝しなかったのではないですか?

そのとーりですね。
しかし、生命が地球だけだとも分かりませんよ。

お礼日時:2001/07/26 21:12

あなたは遠藤周作の「深い川」に出てくる日本人修道士のようですね。



矛盾が有るというより教義に外れているのではないでしょうか。
「神が自分への崇拝を求めて人間をつくった」これでは専制君主が神を名乗るのと同じではありませんか?

わたし自身は無神論者なので聖書、ことに旧約聖書にはまるで暗く聖書の言うところの神については何も知りません。
ただキリストの受難はキリストの罪人も含めた人間への愛が行動原理なのではないでしょうか。
そう考えるとキリストが「自分への愛情を源とする濃い崇拝行為」としての教えを説いて歩いたとは思えないです。
「汝の隣人を愛せ」で言い尽くされるように自己愛ではなく自己犠牲がキリストの教えだと思うのですが如何でしょう?

この回答への補足

ありがとうございます。

僕は、キリストが神であるとは思っていません。
だから、キリストが崇拝行為を受けることはいけません。
神はエホバです。

それで、エホバがイエスを利用して自分への愛を高めようとしたのだとお思うのです。

補足日時:2001/07/26 04:18
    • good
    • 0

●人間が聖書を書いた。

(普遍の事実:人間がなければ聖書の存在自体がない)
●聖書もキリストも悪魔もそして人間も神から見て並列。(Masato_aさんの説)

神が聖書を書いたならあなたの説もあるかもしれません。
聖書は人間が書いた(本として著した)ものだから、あなたの説は矛盾する。(正確には矛盾する可能性がある)
説を貫くには、『その壮大なストーリーの中で、人間が聖書を書いた』と既成事実化することでしょう。

疑問があれば補足とかに書いて下さい。

この回答への補足

人間が書いても神が書いても、万能の神なら大して差はないと思うのですが。
つまり、神が人間に聖書を書かせたんです。

補足日時:2001/07/26 04:21
    • good
    • 0

こんばんは。


ぼくが思いますに、「神が人間を作った目的」という概念の前に、「人間が神(という概念)を作ったこと」に気づいたときに、「矛盾点がある」と理解できるのではないでしょうか。

この回答への補足

しかし、基本的に僕は神が人間を作ったことを信じていますし、また事実です。

補足日時:2001/07/26 04:23
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q最近僕は神なんじゃないかと思うんですがここで言う神ってのは世界の中心とかそういう感じのやつです まぁ

最近僕は神なんじゃないかと思うんですがここで言う神ってのは世界の中心とかそういう感じのやつです
まぁ世界の核ですね俺中心に世界は回ってる的な

中学2年生のときの現代文の最初のページに
夕焼けの色は見る生物によって変わる。生物が死滅したら夕焼けの色も死滅する
とかそんなようなことが書いてありました

僕は思いました
じゃあこの世界を観測する人が死滅すればこの世界もまた死滅する、と
つまり自分が死んでしまったらこの世界は死滅する、と

お前が死んでも別の人間が観測するだろあほと言われるかもしれませんが
僕は観測者というのは自身しかいないと思っています
もしどっかの知らないおっさんが何かを観測したところでそのおっさんの
話を聞かなければ(自身が観測しなければ)それは僕にとって観測されてない
と言えませんか
自分以外の観測者というのは結局自分にとっての観測対象または経由点であり
やはり観測者は自分しかいないと

僕は本当に神なんでしょうか?

Aベストアンサー

世界一の天才、という人に聞いてみて下さい。

Q全てを創造した神が人間に自由意志を与えたのは、人間が神の意志どおりに動

全てを創造した神が人間に自由意志を与えたのは、人間が神の意志どおりに動くロボットなら、神にとっては面白くもなんともないからではないのでしょうか。

神が、人間に自由意志を与えた目的はなんだと思いますか。

Aベストアンサー

神が、人間に自由意志を与えた目的はなんだと思いますか。

○頓知じゃありませんが「聞いてみればわかることですね。」
私の知りうるところでは、「金太郎飴のようなものはお嫌いなようですね。」
例えば、花畑でも様々な花が咲き乱れるというのが好きということですね。様々な花ということは花に「自由意志」を持たせないと様々な花になりませんからね。
つまり、言葉で言えば、百花繚乱、百家争鳴が創造神のよしとするところじゃないかと思うのですね。
神の創った箱庭に様々な花が百花繚乱ですね。それを愛でることが神の楽しみのようですね。
箱庭が宇宙ですね。地球人にとっては地球が箱庭ですね。百花繚乱、百家争鳴ですから地球人もそうですが、宇宙にもたくさんの人類型生物がいるのでしょうね。そんなところから「自由意志」を与えた理由がわかりますね。
また、創造神は遥か昔にこういったそうですよ。「我は、水の試練も、火の試練も与えよう、しかして限りなく強くなれ、我のようになれ。」とね。百花繚乱だけじゃなく「我のようになれ。」ですから人間は神に近づく努力をしなさいということですね。それも自由意志がある大きな理由の一つでしょうね。
仏教的には、仏に向かって悟りを求めよ。ということですね。
・・・そのように思いますよ。

神が、人間に自由意志を与えた目的はなんだと思いますか。

○頓知じゃありませんが「聞いてみればわかることですね。」
私の知りうるところでは、「金太郎飴のようなものはお嫌いなようですね。」
例えば、花畑でも様々な花が咲き乱れるというのが好きということですね。様々な花ということは花に「自由意志」を持たせないと様々な花になりませんからね。
つまり、言葉で言えば、百花繚乱、百家争鳴が創造神のよしとするところじゃないかと思うのですね。
神の創った箱庭に様々な花が百花繚乱ですね。それを愛で...続きを読む

Q結局僕は神なんですか? 心配になってきました。 神ですよね?

結局僕は神なんですか?
心配になってきました。
神ですよね?

Aベストアンサー

そうです。貧乏神!

Q私は神ですか?しかし、人間は神ではない。

馬鹿で、非常識で、アホで、間抜けで、有り得ない・・・そんな質問ですよね?これって。

常識的に言って、1人1人は、生きては死ぬだけの、ただの生物であり、
ただの人間ですよね。

だから、ぶっちゃけ、1人が例え、死のうが、地球上には60億人、日本には1億人もの大勢の人がいるのですから、1人が死んでも、別にどってことないわけです。そりゃ、悲しむ人もいたりしますが。

だから、1人がどんなに頑張ろうとも、政治家になって、総理大臣にでもならない限り、どこぞの社長にでもならない限り、日本や世界へ多大なる影響を与えることは無理なわけです。

その上で、とあるブログをまた発見しました。
また、というのは、一度検索して発見していたブログだからです。
そこには、創造主が貴方、とあります。
つまり、創造主=神は貴方、という意味だと思います。

しかし、常識的に言って、私だって、他人だって、ただの人間であり、神ではありません。
神とは?そりゃ、すごい人で、なんだってできる存在ですよね?
つまり、私は神ではないということです。
また、他人だって、神ではないということです。
これらは、常識であり、ほぼ100%合っていると断言できます。
この意見に反対する人達は、ただの馬鹿な、非常識な人々でしょう。
キリスト教など、宗教知りませんが、彼らだって、神=偉大な存在だと捉えていて、人間は神ではないとしています。

以下、引用します。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
http://www.vcafe.jp/harukanaima/blog/entry-16343

神はサイコロで遊びたかった

2013年02月20日 23:35
カテゴリ : 基本的な理解の整理



「神は創造主なので、当然、「確率」というサイコロを創造できました。
そしてサイコロで遊べる世界、「確率の世界」も創造できました。

さらに神の壮大なところは、確率の世界をもっと楽しめるように、
神であることを忘れた自分までをも創ったことです。

「地球次元」、あるいは「人間」という体験は、こうして創造されました。


『創造主であることを忘れた創造主』、それがあなたです。
あなたは神、創造主の一つの視点を担っている存在です。

あなたは本来、無限に広大な存在です。
ですが、いまそれを忘れているのは「神の計画」によるものなのです。

「自分をもっと体験したい」という神の衝動によって、
自分が神であることを忘れたあなたが創られたのです。

すべてを忘れれば、すべてのものが初めて触れるものになります。
すべての体験が新鮮なまま、深く、詳細に味わえます。

神であることを、創造を、深く体験するためには、
神を、創造を、新鮮な驚きをもって深くつぶさに味わうためには、
神である自分を忘れる=「神ではない自分」、
創造を忘れる=「創造できない」
という体験が必要になります。


その体験をより強烈なものにしてくれるツールが、
「確率」という機能だったのです。

確率に翻弄されれば、
自らが創造主であることなど想像すらできなくなります。

確率に翻弄されるなど、
もっとも創造主らしからぬ振る舞いです。

どんなものでも思いのままに創造できる創造主にとって、
これほど楽しめる体験は他にありません。

神の計画ですから、当然、完璧に成功しました。
あなたは自らの無限の広大さを完全に忘れ、
「確率」というシステムは完璧に作動し、
確率に振り回される世界とあなたが完璧に創造されました。

あなたは神の計画に見事に協力してきたのです。


神は『「確率」という体験』を創造しましたが、
神自身は確率に振り回されることはありません。

なぜなら、
創造主は自分の創造したものに支配されることはできないからです。

「確率」は、創造主である神の計画によって、
その計画の通りに寸分違わず創造されたものです。
『神はサイコロを振らない(アインシュタインの言葉)』のです。

しかしながら、この地球次元の体験から確率性が排除できないのは、
単にそのようにデザインされているからです。

そもそも「位置(”ここ”、”そこ”)」や
「運動(”ここ”から”そこ”への移行)」
「時間("このとき”、”そのとき”)」という、
二元性の世界に特有の相対的な現象自体が、創造された幻想なのです。
(さらに言えば、
「現象」という概念も、また「概念」も相対的な性質のものですが。)

そして、
それらの現象の現われ方にも様々なバリエーションがあるので、
地球次元的な「位置」や「運動」、「時間」の実現のために、
「確率」という機能をこの次元に組み込んでいるのです。

すべては、『自分が創造主であることを忘れる』という体験を
可能にするためのデザインなのです。


『自分が創造主であることを忘れる』という体験の次元においてのみ、
「確率」が効果を発揮する、
『量子の不確定性(「不確定性原理」:量子物理学上の理論)』
という体験が可能となります。

ですから、
『量子の不確定性』も『神はサイコロを振らない』も、矛盾し合う概念ではなく、
それぞれ
『「確率」がその効果を発揮する次元』と『「確率」を創造した次元』
を説明しているのであり、
それぞれが認識している次元、解明しようとしている次元が
異なるだけなのです。

つまり、
どちらの考え方も成立する、言わば”正しい”ということです。」

馬鹿で、非常識で、アホで、間抜けで、有り得ない・・・そんな質問ですよね?これって。

常識的に言って、1人1人は、生きては死ぬだけの、ただの生物であり、
ただの人間ですよね。

だから、ぶっちゃけ、1人が例え、死のうが、地球上には60億人、日本には1億人もの大勢の人がいるのですから、1人が死んでも、別にどってことないわけです。そりゃ、悲しむ人もいたりしますが。

だから、1人がどんなに頑張ろうとも、政治家になって、総理大臣にでもならない限り、どこぞの社長にでもならない限り、日本や世界へ多...続きを読む

Aベストアンサー

人が神になるもならぬも自分次第です。
神はとてつもないものではありません。
貴方はなぜここに居るんですか?宇宙に散らばる無数の原子、分子。
その幾ばくかが結合して人間を形成する、その無限分の一の確率のなかで貴方という存在がある。
人口では60億分の一かもしれないけれど、それが貴方という存在になるのは分母が何倍もの数になるはず。
それだけの確率で貴方という存在を得た魂が神で無いはずが無い。

でもそれだけでは単なる確率でしかありません。人が生きているのは確率ではないです。
貴方が神の如き存在になるかどうかは貴方自身の意識の持ち方の問題なんです。
偉くなるとか有名になるというのが神ではありませんよ。
逆に彼らはそれによって生まれる責任を全うできるかどうかで普通になれるかどうかということなんです。
つまり偉いから偉くなるんじゃない、人より劣っているからそれだけの課題をこなさなければ進級できない仮合格者なんですよ。
そのことにも気づかず、この世でオラが春を謳歌すれば、死後その借財を払わねばなりません。
もっとも私語を信じない人にとっては、自分が神である必要も無いわけで、後に苦労してもそれは自業自得でしかないんですけれどね。
井の中の蛙にどとの広い世界の事を語っても豚に真珠という事です。

人が神になるもならぬも自分次第です。
神はとてつもないものではありません。
貴方はなぜここに居るんですか?宇宙に散らばる無数の原子、分子。
その幾ばくかが結合して人間を形成する、その無限分の一の確率のなかで貴方という存在がある。
人口では60億分の一かもしれないけれど、それが貴方という存在になるのは分母が何倍もの数になるはず。
それだけの確率で貴方という存在を得た魂が神で無いはずが無い。

でもそれだけでは単なる確率でしかありません。人が生きているのは確率ではないです。
貴方が神の...続きを読む

Q偶像を崇拝するななるオシへは 一つの偶像ではないか

クルアーンの文章ではあいまいなところがあるようですが 
この一つの問題を問います。

神について偶像をつくってはならない。偶像を拝んではな
らない。
――こういうイマシメがあるとき ところがこのイマシメ
としての(あるいはオキテとしての・もしくはオシへとし
ての)意味内容は 

じつは人間のことばで表現されているからには 神の心を
仮りに示すもの=すなわち偶像であると考えられ得ます。
彫像ではなくとも観念もあるいは言葉も 偶像たり得ます。

さもなければ アラビア語〔だけ〕は 神の言葉であって
人間の言葉ではないとなります。

つまり 偶像を崇拝するなというオシへを守るなら オシ
へとしての偶像に従ってしまうことになる。という矛盾が
起きるという問題です。




クルアーンにおける詳しい文章などについても含めて お
しえてください。 

またイスラームに限らず 《観念となった神やオシへ》は 
明らかに偶像です。人間がつくった想像物であり 思考の
産物です。

たとえばまた 《神は死んだ》という観念が 偶像の神と
なって現代人のあいだで崇拝されている側面があります。

ので そのような広く大きな問題にもなるかと考えます。
ご見解を惜しみなく述べてしまってください。

クルアーンの文章ではあいまいなところがあるようですが 
この一つの問題を問います。

神について偶像をつくってはならない。偶像を拝んではな
らない。
――こういうイマシメがあるとき ところがこのイマシメ
としての(あるいはオキテとしての・もしくはオシへとし
ての)意味内容は 

じつは人間のことばで表現されているからには 神の心を
仮りに示すもの=すなわち偶像であると考えられ得ます。
彫像ではなくとも観念もあるいは言葉も 偶像たり得ます。

さもなければ アラビア語〔だけ〕...続きを読む

Aベストアンサー

私は、信仰をもって4年目のクリスチャンです。
ですから、キリスト教の教えについても理解がまだまだ足りないと思いますし、増してやイスラム教の教えはまったく分かりません。

でも、何か通ずるところもあると思いますので、私なりのキリスト教への考えを投稿させていただきます。

キリスト教において、聖書によって神様を知ろうとするのは、履歴書や自伝によってある人を知ろうとするのと似ているのではないでしょうか。
履歴書に一文字として嘘が書かれていなかったとしても、その文章だけで、その人の全てを正確に理解する事はできませんよね。
文字は限られた情報しか伝えられないし、文字を読むときにその人の解釈が入るからです。そのようなズレが偶像の一種になるのではないかと言うお話ですよね。

では、どうしたらより正確に知れるのか。その人をよく知るためには、直接会うのが良いですね。そして、一緒に過ごす時間が長くなれば長くなるほど理解も深まるでしょう。
でも、残念ながら直接会ったとしてもその人の全てを正確に理解する事はできないと思います。なぜなら、目で見たり、触れて感じたり、話して知ることができた部分は知ることができても、それがその人の全てではないですし、その一つ一つに自分の解釈が入るからです。

人と人では、それ以上深く交わる事はできませんから、それ以上知ることもできないですよね。
神様との関係においても、ここまでのレベルで終わってしまえば、確かに神様を知ったとは言えず、自分の勝手な想像の神様を信じていることになるかもしれません。

でも、神様との関係はもう一つ深くなることができると思います。
それは、クリスチャンで言う「自分を聖霊(神様)で満たす」ことです。

残念ながら、私はまだ感覚的にこのことを理解できません。
でも、考え方としては理解できます。
自分を神様に委ね、自分の中に神様がいて、導いてくれる状態。
そうなった時には、個と個の存在が一つになるので、自分を感じるように神様を感じることができるのかもしれません。

あなたの質問について考えたことで、自分の信仰も一つに前に進んだように感じます。
ありがとうございました。

私は、信仰をもって4年目のクリスチャンです。
ですから、キリスト教の教えについても理解がまだまだ足りないと思いますし、増してやイスラム教の教えはまったく分かりません。

でも、何か通ずるところもあると思いますので、私なりのキリスト教への考えを投稿させていただきます。

キリスト教において、聖書によって神様を知ろうとするのは、履歴書や自伝によってある人を知ろうとするのと似ているのではないでしょうか。
履歴書に一文字として嘘が書かれていなかったとしても、その文章だけで、その人の全てを...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報