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今の75歳以上の人だと中卒で働いてた人多いらしいんですが、当時の人って中学出てすぐ働くんですか?何か職業訓練校みたいなの行くんですか?

A 回答 (5件)

私は ちょうどその年代ですが 都会でも中学卒業時に高校に進学する人は半分もいませんでしたよ


地方では もっと低かったでしょう。中卒の集団就職列車というものもありました
そういう人たちが 低賃金で 高度成長を支えてきたのです  今は高齢者になって金食い虫と言われていますがwww
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戦前であれば、小卒(含む、高等科卒)が太宗。


戦後学制改定後、中学まで義務化され、
1960年ころまでは中卒、高卒が太宗。
1960年以降、高度成長期には大手メーカーは優秀中卒のために、
社内で養成工制度をつくり、修了者には高卒認定並みの待遇を与えたり、
夜間高校通学の便宜を図っていました。
職業訓練校は、小規模ながら有りましたが、
当時、大手メーカーにとっては職業訓練校は非実践的として、企業丸抱えの社内教育が太宗。
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中学行けた人は凄いと思います。

尋常小学校卒業で仕事していた亡き祖父が居るので。
当時の中学は今の高校の前身にあたるので、職業訓練校に行けた人は、そんなに居ないと思います。当時はすぐ働く人が多いと思います。高校は今だと大学に当たります。女性の進学率は低く女性は勉強すると生意気だと言われていたので、今は平等に学べる平和な世の中で恵まれているので大学で色々学んで祖父と祖母といつまでも仲良く暮らして下さいね。きっと可愛い孫と一緒に過ごせて喜ばれますよ。
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その年代だと、訓練校みたいな利用者は僅かでしょうね。


1947年に制定された職業安定法で訓練校の前身のような補導所が規定され、1958年に制定された旧職業訓練法で一般職業訓練所ができたようです。
75歳以上と言えば1944年以前の誕生、当事者にしてみれば出来る前や出来て間もない施設ですね。
当時の総数は知りませんが、訓練校が十分に有ったとも考えにくいです。

自分の両親も80代です。
父は小学生までに両親と兄弟を亡くし、叔父の家で育ちました。
中学を卒業し、職人の叔父の下で腕を磨き、結婚を機に独立して工場を建てました(一代で終了…)。
母は中学卒業後に隣町の医者に奉公に出されました。
奉公と言うと聞こえは良いですが、口減らし(くちべらし:辞書でどうぞ)ですね。
裕福な家なら、高校や大学にでも進むのでしょうが、そういった家庭は多くは無かったと思います。
父は就学時から叔父を手伝っていましたし、母は小学生から新聞配達をしていたので、むしろ卒業前から働いていたことにはなりますね。
父は全国ネットのクイズ番組で優勝経験があるので、学力が特別劣っていたワケでもなさそうですw

多くは家庭の経済事情によるのではないでしょうかね。
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>当時の人って中学出てすぐ働くんですか?



その通りです。
そもそも高校への進学率ですら50%程度であり、高校以上に進学するのは経済的に余裕がある家庭だけでした。
中学を出てすぐに働くのが「普通」だったということです。

その後、高校に行くのが普通になり、
ここ20年くらいは大学まで行くのが普通になりました。
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