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西欧から植民地化されなかった強国として日本とオスマン帝国が挙げられますが、日本は17世紀までは強国でしたが長い間の鎖国により19世紀に入ると弱体化しました。一方でオスマン帝国も17世紀は西欧を圧倒していたものの19世紀になると瀕死の病人と言われるようになります。

19世紀といっても初期、中期、末期でかなり異なると思いますが、19世紀の日本とオスマン帝国を比較すると、軍事力・経済力はどちらの方が上だったでしょうか。

A 回答 (3件)

タイ王国も。


まぁ、日露戦争でなんとかロシアに勝った日本でしょう。
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19世紀といっても


日本は1867年までは江戸時代

明治維新以降の工業も繊維工業など軽工業中心でこの傾向は第二次世界大戦まで変わりません

重工業も国策として発展させようとしていましたが、主力輸出品が絹糸など繊維製品や日本茶で第一次世界大戦中の欧州諸国の輸出が低下した4年間を除き貿易収支は毎年赤字で
重工業促進のため、イギリスなどから多額の外資を導入し、第一次世界大戦がなければ財政破綻寸前まで追い込まれていました

で、促進したはずの重工業も
第一次世界大戦前の粗鋼生産量は25万tに過ぎず
ドイツ(1380万t)、イギリス(800万t)には勿論
ロシア(450万t)、オーストリア・ハンガリー(220万t)、イタリア(90万t)にも及びませんでした

しかしながら19世紀末ならオスマンよりは状況は良かったはずです

オスマンはアジア初の憲法を制定した国でしたが
工業は重工業は未発達
宿敵ロシアとは16世紀から十数次にわたる露土戦争を繰り返していてなかなか平穏に工業化を進められる状況下にありませんでした

アナトリア半島は植民地化されなかったものの、バルカン半島のスラブ民族諸国の独立、そしてそれらの国々の領土拡張、イタリアに敗れ(伊土戦争)リビアを喪失など領土は浸食されています

19世紀四半世紀まではオスマンは日本より強力
19世紀末になってようやく日本の国力がオスマンを上回っていたと推測されると思われます
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軍事力も経済力も相手あってのことです。


敵国との比較、敵の同盟国との比較、中立勢力との比較、味方になりうる国との比較。
その中ではじめてどちらが上と決まります。

だからどの国の軍隊も「仮想敵国」を設定し、その国に勝てることを目標に軍事力を整備するのです。

日本とトルコの間にはそのようなやり取りはありません。
したがって現実的な比較は不可能です。

経済力もしかりです。
(当時のトルコの近隣に中国・韓国はなかったし日本と列強は陸続きでなかった)
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