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ピリピ人への手紙に、こうあります。
私はどんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。
私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。

これを読んでどう思われるでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • お礼の続きです。
    >人間がいかに嫌い、そしてののしろうが、また好きだと言おうが、それらを超えているというところに絶対性が位置します<
    この視点は、神の人間への働きかけ如何にかかわらず、神の不動の位置づけとして支持します。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/04/06 09:05

A 回答 (12件中11~12件)

執着から離れることでしょうね。



経済的な貧富から離れ、思惟の深浅からも離れ、
ただ在る。

満ち足りるということの中には、
幸福な状態で満足であるという意味ではなく、在るために要する環境が揃っている安堵のようなもの。
混乱や混迷の無い、共存、共依存の自然な状態を、
骨からわかった人達なんでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
執着が諸悪の根源だと私も思います。
人はあらゆる煩悩から解放されてはじめて心の自由を手に入れることができるのでしょう。目に見えるところによらず。

お礼日時:2019/04/05 16:39

確かに足ることを知ることは、真の自分を知ること。


そして、足ることを知ることによって、その足ることを
補うことに人は、努力し成長するものです。
ただ、その足ることの環境にいなければなかなかその足ることも
発見できませんよね。
なので、自分自身を劣悪環境に身を置くことが大事かと思います。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。
>足ることを知ることによって、その足ることを補うことに人は、努力し成長するもの<
ハングリー精神ですね。私が提示している考えは少し違います。足ることは満ち足りることを表しています。ハングリー精神があって人は成長するものですが、いつか器がいっぱいになって溢れるようになると思うのです。
うまく言えないのですが、富に足るとはそれ以上求めない、貧に足るとは物質的に極限状態になっても精神的に崩壊しない(難しい面もあると思いますが)豊かな中にあっては人に分配し、乏しい中にあっては物を大切にし工夫して生活する。というようなことです。どう思われますか。
>自分自身を劣悪環境に身を置く<
そうして、はじめて真の自分を知ることができると私も思います。

お礼日時:2019/04/05 16:04

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