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仏教というのをざっくり書くと、六道から抜け出して極楽又は浄土に行くために悟りを開きましょうと言う話かと思います。
もしかしたら六道から抜け出したらあらゆる苦しみから開放されるということから、「無」になるのかもしれませんが。

一方で、天国と地獄を紹介する有名な話のなかに、長い箸の話があります。
 ⇒天国も地獄もほとんど同じだが、地獄では箸が長いせいで誰も食べれないが、天国では互いに食べさせ合うからみんなが食べれる。

疑問1
 ここで言う天国とはどこのことでしょうか。
 天道のこと?それとも、六道から抜けたあとの世界?

疑問2
 天国が六道から抜けたあとの世界を指している場合
 せっかく悟りを開いたのに、行き着く先は地獄道とほとんど同じなんですか?
 長い箸の話で紹介されているのは食堂のような場所のことと思いますが、それ以外の場所も地獄とほとんど同じと読めます。
 しかも、解脱したせいで輪廻もできないので、永遠に地獄にいるということになります。
 そんな事になるくらいなら、悟りを開かずに輪廻で天道か人間道辺りをうろうろしてたほうが良くないですか?
 
疑問3
 天国が天道を指している場合
 現世が悟りに一番近い人間道なのに、悟りから遠くなる天道に行きたくなるような話をするのはどうなのでしょう。
 仏教の目的は解脱なので、支離滅裂な教えに見えるのですが。

よろしくお願いいたします。

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    六道輪廻は死んだあとの世界の話だと思いますが、釈迦はそんなことを考えていなかったんですか?

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/04/10 12:55

A 回答 (13件中11~13件)

>疑問1


 ここで言う天国とはどこのことでしょうか。
 天道のこと?それとも、六道から抜けたあとの世界?

・結論から言えば、天国も地獄もその人の生命状態(心、境涯)の中にあります。
そしてその生命状態(心、境涯)が反映されて、目に見える現象が人間の身体や行動、
あるいは生活環境にまで現れるのです。
いうなれば、生きている中において既に天国であり、地獄なのです。
また、生命状態(心、境涯)が変わらなければ、その環境も変わらないという事です。

※『六道』という言葉が出ているので、質問者様は『十界互倶』は理解されている
ものとして回答いたします。


>疑問2
 天国が六道から抜けたあとの世界を指している場合
 せっかく悟りを開いたのに、行き着く先は地獄道とほとんど同じなんですか?
 長い箸の話で紹介されているのは食堂のような場所のことと思いますが、それ以外の場所も地獄とほとんど同じと読めます。
 しかも、解脱したせいで輪廻もできないので、永遠に地獄にいるということになります。
 そんな事になるくらいなら、悟りを開かずに輪廻で天道か人間道辺りをうろうろしてたほうが良くないですか?

・六道から抜け出れば悟りを開くのかと言えばそうではありません。そこのところ
が、質問者様の中ではごちゃ混ぜになっていませんか??
また、『悟り』とは言ってもそんなに簡単に悟れるものではありません。人間は
簡単に『悟りを開く』なんて言いますが、何の悟りなのでしょうか??
基本的には釈尊の『悟り』をもって仏教では『悟り』としています。
それと違うものを悟ってしまえば、それはもう仏教ではありません。

 
>疑問3
 天国が天道を指している場合
 現世が悟りに一番近い人間道なのに、悟りから遠くなる天道に行きたくなるような話をするのはどうなのでしょう。
 仏教の目的は解脱なので、支離滅裂な教えに見えるのですが。

・仏の説話の中には、『比喩』というものが良く使われます。
解り易く、例えの話をして、その後に本題を説くというものです。
仏教で言うところのそうした説話が広まる背景にも、一般の人間的に『解りやすい』
ということがあるのではないでしょうか。しかし、その後は難しく理解しがたい為に
持ち帰れなかった(記憶にとどめられなかった)という事なのだと思います。

ご理解されていると思いますが、『箸』の話というのは知恵の話でもあり、根底には
生命状態(心、境涯)がありそこから出る知恵の状態が天国の衆生(人間)と地獄の衆生
(人間)では同じ状況にいてもそれほどの違いが出るという事です。
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この回答へのお礼

> 『十界互倶』は理解されている
全く知らなかったのでさっと調べたのですが、天台宗が六道に4つプラスしたのが始まりっぽいので、大本の仏教とは関係ない話ですね。

私は仏教と言う大きな枠でしか見ておらず、各宗派独自の考えについてはさっぱりわからないです。
そんな私が読んでわかったことをざっくりと記載します。

天国も地獄も生きてる間の気の持ちようのことで、死んだあとには天国も地獄ない。
(死後の天国について一切の記載がなかったため)

ありがとうございました。

お礼日時:2019/04/10 14:34

天国という場所では無い事を どうして悟らないの?



折角「天国と地獄を紹介する有名な話のなかに、長い箸の話があります。
 ⇒天国も地獄もほとんど同じだが、地獄では箸が長いせいで誰も食べれないが、天国では互いに食べさせ合うからみんなが食べれる。」←この譬えも 知ってるのに・・
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この回答へのお礼

箸が長ければ折って使えばいいし、折れないなら手で食べればいい。手もだめなら犬食いすればいい。
そのようなことを認めず、すべての前提条件を受け入れなければ読めない物語のくせに、天国も地獄も場所ではないんですか。

ただの下手くそなたとえ話ということですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2019/04/10 13:24

あなたの言う仏教とはなんなのか


お釈迦様の追求した教えなのか
それとも後世の坊主が追求したお釈迦様なのか

あなたの言う仏教がお釈迦様だとするならば
お釈迦様は神様がどうのとか極楽浄土がどうのとかスピリチュアルの世界には居ませんでした。
お釈迦様はいかにして苦を乗り越え人生を生きるかであり
死んだ後のことなど考えては居なかったと思われます

僕は本来の仏教は宗教というより人が生きる道を教え、道徳などを学ぶものだと思っております。
この回答への補足あり
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