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「天国の(故人の名前)」という言い方が時々されますが、どうも断定的過ぎるのではないでしょうか?かってに故人の居場所を特定するのは不遜のような気がします。もしかしたら。。地獄にいるかもしれない。

「地獄の(故人の名前)」って結構インパクトありますよね。発言者との関係によっては逆に生き生きする表現でもあります。

だから、そういう極端な例もあるわけですから(もちろん一般人にはあまり当てはまらないのだろう)「鬼籍にある(個人の名前)」くらいの表現の法がいいと思うわけですが、趣味の問題でしょうか?

A 回答 (8件)

> 趣味の問題でしょうか?



そうではありません。

昔友人の結構披露宴に出席した際、媒酌人が新婦のことを「才媛」と呼んで散々誉めちぎりました。でも、後日新居に遊びに行った際に事実を確認したところ、彼女の学業成績は至って普通だったことが判明しました (笑)
大して親しくもなかった人を指して言う「天国の」という枕詞も、基本的にこれと同種の表現だと思います。
なお、件の奥様は「全然才媛なんかじゃないのに、失礼だわ! (怒)」とは言っていませんでした ( ^^

【例外】
(1)「早く天国のお母さんに会いたいわ」
この場合は身内ですから、「きっと天国にいるだろう、そうあってほしい欲しい」という希望的観測に基づいて語っています。

(2)「もう直天国の組長に会わせてやるから、楽しみに待ってな」
この場合は単なる皮肉です (笑)

以上ご参考までに。

この回答への補足

質問文に書き忘れましたが、この表現が同も引っかかるというのは、たとえば本の中でも実地でもいいですが、誰か著者、他人がその身内とか知人とかの故人のことを言うときに使ったとして
「そりゃ、あんたにとっては「天国」にいてほしい人なんだろうが、こっちにとっちゃ知ったこっちゃないんだから、そういう無言の共感を強制するような言い方はやめてくれない?」
という気持ちがもやもやっと湧き上がるからではないでしょうか?

補足日時:2008/09/02 17:00
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この回答へのお礼

ああ、才媛と同じりくつなのですね。しかし「天国」となると、どうもこの言葉の響きがなにか受け入れるのにより抵抗があるという気がします。それが好きな人はいいのですが、私のようなかたくなな人種にはどうもいけません。
ちなみに、私が件の奥方だとしたら怒りますw「醜媛とでもいってほしいもんだ!」
あ、いやな思い出がありますね。この種のやつで。ほんと、実態を無視されたような実に軽薄感が漂っていて、これを私に向かっていった人を憎みました。真実と向き合ってほしいんですね。

お礼日時:2008/09/02 17:05

私が件の奥方だとしたら怒りますw「醜媛とでもいってほしいもんだ!」


あ、いやな思い出がありますね。この種のやつで。ほんと、実態を無視されたような実に軽薄感が漂っていて、これを私に向かっていった人を憎みました。真実と向き合ってほしいんですね。
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このお礼の方を読んでいませんでした (笑)
披露宴で新婦のことを黙っていても自動的に “醜媛” と呼んでくれる媒酌人は比較的少数でではないかと思います。希望する場合には事前に打ち合せておいた方がいいでしょう。次回は上手く行くことを祈っています ( ^^
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この回答へのお礼

やっぱりね、人は楽なほうへと自然に流れてしまうから、釘をさしておかないとだめですよね。真実、真相、そして、一種の愛着愛情=罵倒という図式もありますね。

お礼日時:2008/09/03 17:24

「慣用句」と思うのが一番ラクです。

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この回答へのお礼

いえ、慣用句だからこそ、なぜ一方的なのか、そこがますます引っかかってきますね。

お礼日時:2008/09/03 17:23

> そのにおいは、花の例よりはるかに強い臭気を放っています。



まあ、邪推すれば切りがないということですね ( ^^;
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この回答へのお礼

確かに、物は考えようです。
柔軟性がほしいものですね。

お礼日時:2008/09/03 17:22

> この表現が同も引っかかるというのは (中略) 「そりゃ、あんたにとっ


> ては「天国」にいてほしい人なんだろうが、こっちにとっちゃ知ったこっ
> ちゃないんだから、そういう無言の共感を強制するような言い方はやめて
> くれない?」
> という気持ちがもやもやっと湧き上がるからではないでしょうか?

人によって言葉から受ける印象は様々ですから、その辺は何とも言えません。ただ少なくとも、誰もが等しく「共感の強制」と受止めるということはないでしょう。私は少し考え過ぎだと思います。
仮に「天国の‥」と言っただけで強制になるのであれば、「まあ、きれいなお花」と言ったって「一人で勝手に思ってろ!」と突っ込まれることになり、誰も何も言えなくなってしまいます ( ^^;
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この回答へのお礼

「きれいなお花」と「天国の○○」はちょっと重みが違いますよね。前者は純粋です。他意はありません。そんなこと「なんかぱっとしない花だなぁ、気色悪いなあ、でも花はキレイというのが常識的だからそういう台詞をほざいておくか」という人は珍しいでしょう。でも、天国の○○はなにか非常に社会的なにおいがしますね。そのにおいは、花の例よりはるかに強い臭気を放っています。

お礼日時:2008/09/02 22:31

キリスト教も知らずダンテも読んだこともないニッポン人


が妄想でそう意っているわけです。このニッポン人という
のはクリスチャンでもないのにわざわざハワイの教会で結
婚式を挙げたり、こと宗教に関してはメチャクチャで白痴
レベルですから。まあ、ろくでもない日本人は地獄だけで
用が足ります。ことに糞役人はすべて地獄で十分。

この回答への補足

質問文に書き忘れましたが、この表現が同も引っかかるというのは、たとえば本の中でも実地でもいいですが、誰か著者、他人がその身内とか知人とかの故人のことを言うときに使ったとして
「そりゃ、あんたにとっては「天国」にいてほしい人なんだろうが、こっちにとっちゃ知ったこっちゃないんだから、そういう無言の共感を強制するような言い方はやめてくれない?」
という気持ちがもやもやっと湧き上がるからではないでしょうか?

補足日時:2008/09/02 17:00
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この回答へのお礼

そうですね。本当にそう思います。クソ役人以外にもそういう軽佻浮薄腹黒人間がうごめいていますね。

お礼日時:2008/09/02 16:59

日本では昔から(天国=幸せな国)というイメージが強くありました。


知人や親族には死んでからも幸せに暮らしていてほしいと思うのは当然と言えば当然のこと。
「どちらにいるかわからないのだから天国にいると思っておこう」
と考えるのはありだと思います。

しかし「地獄の○○」ですか、映画とかで見ると格好良いですね。

この回答への補足

御礼は後ほどいたします。

質問文に書き忘れましたが、この表現が同も引っかかるというのは、たとえば本の中でも実地でもいいですが、誰か著者、他人がその身内とか知人とかの故人のことを言うときに使ったとして
「そりゃ、あんたにとっては「天国」にいてほしい人なんだろうが、こっちにとっちゃ知ったこっちゃないんだから、そういう無言の共感を強制するような言い方はやめてくれない?」
という気持ちがもやもやっと湧き上がるからではないでしょうか?

補足日時:2008/09/02 16:57
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この回答へのお礼

それはありですね。しかし、補足に書いたような事情があるので、それを実際発するのはどうかと思ったしだいです。
「地獄」のはかっこいいですよ。これこそ、本当の人間への信頼といえるんじゃないでしょうか。
あ、その人に対する本当の信頼がないので使うこともあるのかもしれませんね。

お礼日時:2008/09/02 17:08

こんにちわ。



それは人それぞれの感じ方、または宗教観、死後についての捉え方
の問題だと思います。まあ言葉のチョイスの趣味の問題じゃないでしょうか。
故人との生前の関係を踏まえた上での個人の表現の自由なので、よほどの言い方じゃなければ、失礼にもあたらないでしょうし。
キリスト教の人は、神様の元にいらっしゃる、というような
言い方をする方もいますし。その他の表現だと、土に還ったとかいう
言い方も聞きますよね。他にもたくさんあると思いますけど。

ちなみに鬼籍も、地獄の閻魔大王が持ってる帳簿の事なはずなので、
地獄の~と言ってるのとだいたい同じなんじゃないかと思いますが。

この回答への補足

御礼は後ほどいたします。

質問文に書き忘れましたが、この表現が同も引っかかるというのは、たとえば本の中でも実地でもいいですが、誰か著者、他人がその身内とか知人とかの故人のことを言うときに使ったとして
「そりゃ、あんたにとっては「天国」にいてほしい人なんだろうが、こっちにとっちゃ知ったこっちゃないんだから、そういう無言の共感を強制するような言い方はやめてくれない?」
という気持ちがもやもやっと湧き上がるからではないでしょうか?

補足日時:2008/09/02 16:53
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この回答へのお礼

天国のという、なにか特別な響き印象があります。これは、軽々しく発する言葉ではないと思うんですが、実に軽薄に使われていませんか?しかもほとんどポーズとしての言葉みたいなものです。これが、趣味の問題で済ますにはどうも引っかかります。

お礼日時:2008/09/02 17:07

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