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オートバイは、多くの人が右利きで、軸足が左足なので、ブレーキペダルが右側になったと、聞きました。他に説があれば、教えてください。

A 回答 (3件)

リヤブレーキが右足になったのは諸説ありますが、『クルマがそうだったから』というのが主な理由とされています。



※クルマの場合、発明されて以来約140年間で、一貫してブレーキペダルは右足で踏みます。
 一方バイクは’60年代まで左ブレーキが主流でしたが、少数ながら戦前から右ブレーキ車も混在しており(例えばBMWは、最初から右足ブレーキでした。但し最初期の頃は『カカトで踏む』という特異なペダルでしたが)、更に’60年代後半より急激に売り上げを伸ばした日本車がいずれも右足ブレーキだった為、やがて右足ブレーキに統一されてしまいました。

※では何故左足ブレーキが主流の時代があったか?というと。
 日本車が世界征服する前、バイクの生産数で世界を席巻していたのは英国車です。
 英国では、アクセルは比較的早い時期から右グリップを回転させるもので統一されましたが、そうなるとクラッチは左レバーになり、変速はアクセルから手を放して右手でシフトレバーを操作する『ハンドチェンジ』となりました。
 この時代のハンドチェンジとは、ベスパやランブレッタの様な左グリップを回す方式の『グリップチェンジ』ではありません。変速機から長いリンクを介してガソリンタンクの右側のシフトレバーとつなげる構造のもので、右側にシフトレバーを取り付ける構造上、変速機は右側にシフトドラムの回転シャフトが飛び出す設計になります。
 この時代、リヤブレーキペダルは右も左もあってバラバラでしたが、やがてハンドチェンジが廃れ、変速機のシャフトに直接変速ペダルを取り付ける様になったら、当然変速ペダルは右側に来て、そうなるとリヤブレーキは左足で操作せざるを得ません。つまり左足ブレーキは、『他に置くところが無かった』という理由で標準化されました。

※欧州では、上述したBMWの様に英車とは全く違う変速機の構造で最初から右ブレーキだったバイクもありましたが、しかし市場では英車が圧倒的に多かった為、欧州車全体が英車に習ったということもあり、’60年代までは左ブレーキが『デファクトスタンダード』となっていたワケです。(イタリアの名門MVアグスタとか2ストの天才パコ・ブルコ設計の一連のスペイン車でさえ、エンジン/変速機の構造が英車とは違っていたにも関わらず、英車に倣い右チェンジ/左ブレーキでした。)
 そういう『数量のパワー』的な話で言うと、左足ブレーキを駆逐し右足ブレーキを『デファクトスタンダード』としたのは日本車と言えるでしょう。

※クラッチがペダルだったという御回答がありますが、ペダルだったのは北米車の一部、具体的に言うとハーレーとインディアンだけです。
 更に細かく言うと、左足がクラッチで右足はリヤブレーキ、左手ハンドチェンジで右手アクセル、フロントブレーキはありませんでした。
 これは・・・ちょっと考えてみてください、坂道発進は絶望的です(登坂で停止から発進しようとして、右足ブレーキを踏みながら左足クラッチを切るのは不可能です)。この仕様のハーレーは、現代では『スーサイド・コントロール』(自殺操作機構)などと呼ばれていますが、運転に非常に特殊な技能が必要ということで、コアなハーレーファンの中には敢えてこのコントロールに改造するヒトもいます。

※カワサキW1Sの元ネタ、メグロW1が右足シフトだった理由は、極めてカンタンです。
 ’60年代、世界最大のバイクメーカーだった英国のBSA社のカタログ最大モデル、ゴールデンフラッシュの650㏄ツインエンジンと変速機をパクッてW1が設計されたからに過ぎません。
 BSAはトライアンフと並ぶ『英国車の決定版』『世界のバイクメーカーの手本となるバイク』であり、英国車の典型例とも言えます。ゴールデンフラッシュも当然右足チェンジ/左足ブレーキでした。

・・・以上、ですが最後に左足ブレーキにまつわる余談など。

※’70年代に活躍したGPライダー、バリー・シーンは、スズキワークス時代、自身のバイクを左足ブレーキに改造させていました。
 イングランド出身で1969年に英国選手権の125㏄クラスでチャンピオンとなったバリーは、当然小僧時代は左足ブレーキの中古の英車を乗り回して練習したんでしょう。
 バリー・シーンがGPから引退したのは1984年ですが、この頃まで左足ブレーキの方がウマく運転出来るレーサーがいたということです。84年というと、日本は第一次バイクブームの真っ只中で、HY戦争がそろそろ終結する頃です。
 左足ブレーキのバイクは、知ってるヒトが死に絶えてしまった様な大昔の話ではありません。

※現代では左足ブレーキのバイクは、少なくとも日本では販売されていませんが、比較的最近まで作っていたのはインドのロイヤルエンフィールドです。
 現存する世界最古のバイクメーカー・ロイヤルエンフィールド社は、元々英国有数のメーカーで、第二次大戦の空挺部隊用バイク『フライングフレア』を独占生産したなどかなり大きな会社でした。
 インドがまだ英国領だった頃、ロイヤルエンフィールドのノックダウン工場が建設され、その後インドが独立しても工場が残り今日まで生産を続けています。
 この『インドのエンフィールド』は、英国エンフィールドが1953年にISDC(インターナショナル・シックスデイズ・トライアルという、現在も開催されている国際オフロードレース)に優勝した時の350㏄モデルと、その排気量を拡大しただけの500㏄モデルを市販車『ブレット』として2007年まで生産しており、設計年度から当然左足ブレーキが標準仕様でした。
 上述したハーレーマニアがスーサイドコントロールをこよなく愛するのと同様、欧州製のクラシックバイク乗りにとって左ブレーキ/右チェンジ車を乗りこなすのは一種のプライドであり、ブレットシリーズはクラシック英車ファン、或いはクラシックバイクオーナーの『普段乗り用』として、コアな人気がありました。
 現在では、左ブレーキモデルはマニアが所有しているケースが殆どで、特に輸入台数の少ない500㏄モデルは滅多に中古車市場に出てこないレアバイクとなっています。

※最近、かつて中間排気量クラスで最速だった7R『ボーイ・レーサー』や無敵の耐久レース用マシン『ポーキュパイン』などでバイク史に名を残す英国の名門AJS社のブランド名が復活し、日本でも125㏄の軽量スポーツを驚愕の低価格で販売していますが、残念ながら右足ブレーキです。左足ブレーキ仕様を作ったら、高価なヒストリックバイク乗りだけでなく左ブレーキのインド製エンフィールドを大切に隠し持っているヒト達も、セカンドバイク、サードバイクとして興味を持つと思いますが‣・・・非常に残念です。
 ついでに言うと。
 かつて世界最高のハンドリングと謡われたノートンや『アメリカ人すらハーレーから乗り換えた』トライアンフなども現在では復活していますが、『高価な太古車』のノートンやトライアンフを所有しているオーナーの殆どは、全く相手にしていません。まぁ、さすがに『現行車は右ブレーキだから』だけが理由ではありませんが、そういう細かいところに往年の英車の存在感が感じられないのは確かです。

・・・・左足ブレーキ/右足チェンジは、ヒストリックなバイクのマニアにとっては、実は結構重要なポイントです。
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大昔のバイクはギヤーチェンジが左手でした。

(クラッチは右足)その為後輪ブレーキが左足です。

ワイヤーが出来て力点が曲げられる用になりクラッチが左手になりましたが右足ギヤチェンジ左足後輪ブレーキはしばらく残りました。

カワサキw800の前進のメグロw1は左足後輪ブレーキは有名ですよね。

では何故後輪ブレーキが左足から右足に変わったのか?

これからは私の想像ですが
バイクを三輪にし大型荷台を付けてオート三輪が出来て車のブレーキと同じ右足に成ったのだと思います。
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四輪車と同じだからじゃないんですか?


ずっとそう思っていました
右側(右足)が加減速
左側(左足)がギアチェンジ
日本車(右ハンドル)の場合は左手でシフトノブ操作しますが、これはたまたま
左ハンドルでもクラッチは左足ですからね

いかがでしょう
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