アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

四国艦隊下関砲撃により外国の強さを知った後なぜ尊王倒幕に繋がったのか教えてください。

A 回答 (3件)

尊皇倒幕



江戸時代は、300近い国家の連合体のような
モノでした。
それでは欧米列強に対抗出来ないので
天皇を中心とした、中央政権体制にしたい
ということです。
そのためには、連合体の長である幕府を倒す
しかない、ということです。

白村江の戦いで大敗した日本は、中国に対抗
するため、天皇を頂点とした中央集権体制を
推し進めましたが、それと同じです。
    • good
    • 0

歴史は、その順番に起こっていったから、Aが起きてBが起きたと教えるのだけど、そのAとBに直接的な関係がないことも少なくないのです。



幕府が諸外国と勝手に条約を結んで開国したから、幕府何やってんだよ外国人なんかぬっころせ、って日本中が思ったわけ。
で、倒幕(討幕)は『幕府何やってんだよ』の部分、で『外国人なんかぬっころせ』が攘夷下関砲撃、で返り討ちにあって攘夷は無理ってわかったけど、討幕だけが残って尊王倒幕、って感じ(だと思う)。

実はさらっと調べただけでも、もっと複雑な力関係があったことが分かる。上の説明には薩摩も将軍も出てこないけど、これに天皇やら水戸藩やら坂本龍馬やら新選組があれこれやっててそうなった、くらいの話にはすぐになります。
    • good
    • 1

四国艦隊下関砲撃で外国の強さを嫌というほど知ったので、そのまでの尊王攘夷が尊王倒幕にかわったんだと思うけど。

    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!