
下記質問からの派生です。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11188591.html
・真面目に取り組む
あるいは、
・笑顔で取り組む
とは言えても、
・真面目で取り組む
とは言えないと思います。
これはなぜでしょうか?
無駄なお手数をかけないために、私見を先に述べておきますと、たとえば各辞書では以下のような語釈になっています。
【に】
[ 新明解 ]
(四)動作・作用が、どんな状態・状況で行われるか、ということを表わす。
「暗いうち―起きる/卒業―際して / ~」
[ 大辞泉 ]
(8)動作・作用の行われ方、その状態のあり方を表す。
「直角―交わる」「会わず―帰る」
【で】
[ 明鏡 ]
❹ 動作を行うときの様態を表す。
「急ぎ足で歩く」
「親子で出席する」
「笑顔で答える」
「土足で上がる」
以上から、
「真面目」は様態ではなく(心理的)状態であるから。
あるいは、
「笑顔」は状態ではなく様態であるから。
というのが私の答え。
これは文の構造を
格助詞+名詞
と考えた場合であることはご承知のとおりです。
形容動詞と考える立場で、どのように説明できるでしょうか?
というのが当質問の趣旨になりますので、よろしくお願いいたします。
念のため申し添えておきますが、形容動詞としての使われ方自体を否定しているわけではありませんので、その点誤解なきようよろしく。
No.24ベストアンサー
- 回答日時:
コメントありがとうございます。
>>こうした使い分けを私たちは無意識に行なっているというわけです。
◆彼らはそれを意識してはいないが、しかも彼らはかく行うのである。
K.マルクス 〔『資本論』 第1章 「商品」 〕
◆文法学は言語に於ける右のような潜在意識的なものを追求し、これを法則化するのである。ここに文法学がややもすれば観念的に、思弁的になる危険があるのであるが、ただ現象的なものの追求からは文法学は生まれてこない。
時枝誠記 『日本文法 口語篇』
>>その機能の説明が間違っているとまで言うのは、坊主憎けりゃといった感情論に過ぎないのではありませんか?
と何度も申し上げているとおりです。
「機能の説明が間違っているのではなく、機能を本質と取違えているのが誤りだ」、と何度も申し上げているとおりです。
>>であれば、アスナロウさんは、本質論を展開なさればよいわけです。
それゆえ、ここで最初から何度も本質論を取り上げているのですが?
>>「実体論―現象論」を否定しなければ、本質論を展開することができないわけじゃありませんよね?
唯物弁証法の三大法則の一つに、否定の否定があります。そして新たな段階に止揚(しよう、独: aufheben, アウフヘーベン)されなければなりません。
>>「に」の本質である「着点」
「に」の本質は着点ではなく、<空間的時間的な位置付けの意識>です。
◆真実はいつも少数派 《湯川秀樹》
■
#24です。
>「機能の説明が間違っているのではなく、機能を本質と取違えているのが誤りだ」、と何度も申し上げているとおりです。
:
だれが『機能を本質と取違えている』のですか?
お尻ペンペンしてやりましょう。
>それゆえ、ここで最初から何度も本質論を取り上げているのですが?
:
いや、それはわかってますよ。
機能の説明(辞書の用法)が間違っていると言わなくても、それはできるでしょう?
という点が本旨。
言語における語と文は表裏一体であり、語なき文は成立し得ないが、文なき語は意味をなさない。一方のみを語るのは言語学の本道から外れる。
と山田孝雄も言っています。
語の分析だけでは意味がないのであって、思想としての文という背景を念頭においておかないと言語の本質には迫れない、ということなのでしょう。
>唯物弁証法の三大法則の一つに、否定の否定があります。そして新たな段階に止揚(しよう、独: aufheben, アウフヘーベン)されなければなりません。
:
それは、否定することでしか止揚できない場合に適用される法則でしょう。
視点を変えることでアウフヘーベンできるものはたくさんあります。
>「に」の本質は着点ではなく、<空間的時間的な位置付けの意識>です。
:
その『位置』こそ、まさに「着点」であることにお気づきいただきたいものです。
No.29
- 回答日時:
若干補足させていただきます。
言語実体観、構成主義的言語観から、言語過程説への転換は言語学のコペルニクス的転換と呼ばれるように一つのパラダイム転換です。
天道説から地動説、古典力学へのパラダイム転換が、16世紀のコペルニクスによる地動説の提唱から17世紀末のニュートンのプリンキピアによるニュートンの力学の確立、そしてそれがニュートン力学、古典力学として定着するのは18~19世紀のフランス唯物論に支えられてのことです。このフランスの俗流唯物論の伝統がフーコーやルフェーブルらによる構造主義ヘの追従を促しているのは歴史の皮肉というしかありません。
フーコーやルフェーブルらがソシュールパラダイムを克服できないのも、こうしたパラダイムの呪縛を示しています。
これも、否定の否定という唯物弁証法の発展の法則の一事例でしょう。
この、古典力学の確立については、山本義隆『重力と力学的世界―古典としての古典力学』(現代数学者)、『磁力と重力の発見 1~3』(みすず書房)が詳述しており、パラダイム転換がいかに困難かが理解できます。
これに言及しながら、自然科学としての言語学などという頓珍漢なことを公言している福井 直樹 「自然科学としての言語学―生成文法とは何か」(大修館書店 :2001/02)なども重用されている状況なので、こうした背景も踏まえ『日本語はどういう言語か』を読まれると理解が進むのではないかと思います。■
No.28
- 回答日時:
>これらの辞書語釈は間違っている、というご見解ですか?
『「に」によって状態を表す語を指定することができる』(この言葉そのままでいいかどうかは問題ですが、)のようないいかたで辞書がいっているのであれば、分かりやすい話です。
「真面目にやる」の「に」は「やる」という動作の状態が「真面目」だということを指定していると言うのであれば納得出来るのでは無いかと言っています。ただいちいちこんな言葉を付け加えるのが面倒なので、「(「に」は)動作の状態を表す」となってしまうのでしょう」そういうことが前提であれば、この話がこれほど問題にはならないだろうと考えますん。そういう前提なしに、「に」は状態を表すと言うから、長い話になるのです。
No.26
- 回答日時:
コメントありがとうございます。
率直な感想を記させていただきます。
>>だれが『機能を本質と取違えている』のですか?
お尻ペンペンしてやりましょう。
辞書の説明であり、それを真に受けた貴解釈です。
>>機能の説明(辞書の用法)が間違っていると言わなくても、それはできるでしょう?
再三言っているように、語の意義の説明をすべきところに文の意味(機能の説明)を羅列することが誤りだということです。この点で、辞書の説明は誤っています。
>>言語における語と文は表裏一体であり
これはカントに依拠した山田の誤りです。語と文は話者の観念、思想を媒介とした立体的表現構造を持っており、山田もここでは機能主義に転落しています。規範による媒介と云う構造を理解できていません。
言語表現の対象→認識→表現という規範による媒介の立体的構造を正しくとらえないと言語の本質には迫れない、ということです。
>>『位置』こそ、まさに「着点」であることにお気づきいただきたいものです。
それは、格助詞「に」とは関係ありません。■
ご回答ありがとうございます。
お互い水代がもったいないので、旧版も注文したことでもあり、それを読んで、三浦氏の意図を確認してからにしましょう。
No.25
- 回答日時:
>形容動詞連用形語尾「で」が副詞的用法を持たないわけではない、ということですね。
殆ど持たないでしょう。「静かに歩く」「穏やかに話す」はあるが、「静かで歩く」「穏やかで話す」とは言いません。
「真面目にやる」を「真面目でやる」とは言わないのと同様です。
>辞書が言っているのは、
『「に」によって状態を表す語を指定することができる』
そんな話なら、こんなに長々と、しかも複数の「スレッド」を立てて話が続くはずがないのですが。
【「で」と「に」についてなのですが、どちらも《状態》を表す助詞ですよね】その3
から、そう感じていました。もっとも、「に」は「状態」以外にも関係ある助詞ですよね。
ご回答ありがとうございます。
1.
>>形容動詞連用形語尾「で」が副詞的用法を持たないわけではない、ということですね。
殆ど持たないでしょう。
:
そうですか。
わかりました。
「本気で勉強する」
「元気で仕事する」
「いつまでも綺麗でいてください」
などは稀な例と考えればいいのですね。
2.
>>辞書が言っているのは、
『「に」によって状態を表す語を指定することができる』
そんな話なら、こんなに長々と、しかも複数の「スレッド」を立てて話が続くはずがないのですが。
:
すみません。
表現不足で意図がはっきりお伝えできなかったのかもしれませんね。
私がお尋ねしたかったのは以下のような内容です。
#14で、
「格助詞」の「に」や「で」が状態を表すなどというのは、説明の都合上おこった話で、状態を表すのは、本来の役割である「形容詞」(形容動詞を含む)その他、動詞などと考えるべきです。
とおっしゃっておられますよね。
しかし、補足欄に一覧した各辞書では、格助詞「に」について、
・どんな状態で行われるか、ということを表す
・状態を表す
・状態(や目的など)を表す。
・状態をそれと示す
・状態的に修飾する
・その状態のあり方を表す
・状態の行われ方・あり方を表す
・状態を示す
などとなっています。
ほとんどすべての辞書が、
「に」は【状態を表す】格助詞である。
と言っていると思うのですが、 OKATさんとしては、これらの辞書語釈は間違っている、というご見解ですか?
No.23
- 回答日時:
もう少し、補足させていただきます。
>>「に」によって場所を表す語を指定することができる』
ということじゃないですかね。
違います。これは、機能で語の本質は意義にあり、語が「指定」などしません。
>>他の用法はない、と言ってるわけじゃありませんし、「に=場所」だと言ってるわけでもない。
それなら、他の用法との共通点、何故同じ「に」が使用されるのかの本質と関連を明らかにしなければなりません。先に引用した三浦の解説を良く読んで下さい。■
ご回答ありがとうございます。
まあ、このへんは水掛け論になるでしょう。
暇をみつけてもう少し勉強してみますので、また、それからということにしましょう。
No.22
- 回答日時:
>>「に」の【用法(意味)】は、空間軸・時間軸において認識された着点を表わすことである。
と言えるでしょう、ということです。 言えないですか?
言えませんと何度も申し上げている通りです。
それはだれ【に】もらったの?
会議は何時【に】始まるの?
この「に」が着点?
着点は名詞ですが、先にも説明した通り、体言、用言と助詞、助動詞は何が異なるのか、各品詞の定義、本質は何か、この点を明確に出来ないまま思考するため誤った結論に至るということです。
>>日本語の文が表現する意味において「に」がどういう役割を果たすことができるのか、について解説しているのが辞書です。
これは、誤り、嘘です。「犬」の語釈を見てみましょう。
いぬ【犬/×狗】
[名]
1 食肉目イヌ科の哺乳類。嗅覚・聴覚が鋭く、古くから猟犬・番犬・牧畜犬などとして家畜化。多くの品種がつくられ、大きさや体形、毛色などはさまざま。警察犬・軍用犬・盲導犬・競走犬・愛玩犬など用途は広い。
【デジタル大辞泉の解説】
ここでは、最初に犬の普遍性、本質を説明しています。例文など記されていませんよね。隣の犬や、駐車場の犬や、「フランダースの犬」に出てくる犬やその文での使い方など説明していません。若干用途は補足していますが。これは辞書の役割を放棄しているのでしょうか。誰もそうは考えず、正しい辞書の在り方だと考えています。
しかし、残念ながら格助詞や格助詞「に」「で」「が」については、この普遍性、本質が不明なため、それを使用した例文を並べ、文の意味を解説しお茶を濁しているということです。警察犬・軍用犬・盲導犬・競走犬・愛玩犬などに使用されるのが犬だ、と同語反復の説明をするようなものです。
「どういう役割を果たすことができるのか」というのが機能で、本質が不明なため、機能の説明の段階に止まっているということです。
武谷三男は自然科学の発展段階を「実体論―現象論―本質論」と規定していますが、言語論、文法論は「実体論―現象論」の段階をうろついているということです。■
ご回答ありがとうございます。
1.
>
それはだれ【に】もらったの?
会議は何時【に】始まるの?
この「に」が着点?
:
そのとおりです。
a.
「もらう」というと相手側からこちらに来たような感覚になるかもしれませんが、「もらう」という自分の動作が、そもそも発生した地点(=相手)に立ち戻る意図で表現しているわけです。
つまり、もらった相手に「着く」意図がある。
・それはだれ【に】もらったの?
⇒あなたにとっての「もらう」という動作を発生させた相手は誰なの?
⇒「もらう」という動作を発生させた相手を探っていくなら誰に辿り着くの?
というニュアンス。
一方、もらった相手から「来る」意図で表現したい場合には、起点という本質の格助詞を使って、
それはだれ【から】もらったの?
と言う。
⇒あなたにとっての「もらう」という動作は誰が起点となって発生したものなの?
というニュアンス。
こうした使い分けを私たちは無意識に行なっているというわけです。
b.
・会議は何時【に】始まるの?
⇒始まる時刻は色々想定できるが、結局最終的には、何時という結論に辿り着くの?
というニュアンス。
まさに、始まる時刻そのものに着目した表現。
・会議は何時【から】始まるの?
⇒何時を起点として会議は始まるの?
というニュアンス。
始まったあとの経過経過を(無意識に)想定した表現。
2.
>例文など記されていませんよね。
:
『日本語の文が表現する意味において「に」がどういう役割を果たすことができるのか、~』というのは、「この日本語の文が」という意味ではありません。
あくまで「日本語の文というものが」という意味。
『憲法の文が表現する意味において「前文」がどういう役割を果たすことができるのか、~』と書いてあるからといって憲法自体を表記する必要がないのと同じです。
>「どういう役割を果たすことができるのか」というのが機能で、本質が不明なため、機能の説明の段階に止まっているということです。
:
それは別に否定していませんよね。
ですから、『機能の説明の段階に止まっている』からといって、その機能の説明が間違っているとまで言うのは、坊主憎けりゃといった感情論に過ぎないのではありませんか?
と何度も申し上げているとおりです。
以下、補足欄で。
No.21
- 回答日時:
No.15の続きです。
>>あなたは、ここを説明する自信がないため、あえて「本気に取り組む」という例文を避けたのでしょう。
ですよね?
正直に告白してください。
厳しい、ご詮議ですね。(笑)
それは、やぶにらみというものです。単に OKATサンが「本気に/で」(仕事をする)と書かれていたので、思いついた文を記したに過ぎません。
普通は、「本気に取り組む」とは言わずに「本気になって取り組む」と云います。
「本気に取り組む」は本気が名詞に感じられ、空間的な位置付で、静的な対象として目的と捉え易いため、「本気になって取り組む」が適切です。
但し、「彼は本気だ」というように属性表現の語としての意義もあるので、その意味で使用すれば副詞的用法として「本気に取り組む」も有効ではあるということです。
何度も言いますが、《「に」は状態を表わし、「で」は様態を表わす。》というのは本質的に誤りなので、これを基に解釈しても無意味で問題になりません。■
ご回答ありがとうございます。
>その意味で使用すれば副詞的用法として「本気に取り組む」も有効ではあるということです。
:
どうも、同じことを言っているように思えてきました。
・実体=(そのものの)状態
・属性=(そのものの)様態
と言えるのでは?
あとは、どちらの表現のほうがわかりやすいかということに収斂していくような気がします。
・本気な状態とは、動作主が本気を出していることを意味するシチュエーションを指し、
・本気な様態とは、本気を出していると客観的に見えるシチュエーションを指す。
これは正しく、且つ、わかりやすくないですか?
>何度も言いますが、《「に」は状態を表わし、「で」は様態を表わす。》というのは本質的に誤りなので、
:
誤りとおっしゃる根拠に合理性があるとは思われませんので、たとえ、年金を食いつぶしているだけの頑固頭め!と罵倒されたとしても、到底頑じ得ません。
ま、この件に関しては、少し間を置きましょう。
No.20
- 回答日時:
なお、直接関係はありませんが、『日本語はどういう言語か』を取り寄せ中とのことでしたが、多分、講談社学術文庫版だと思います。
この本は、初版が1956年に講談社から出され、その後絶版となったため、1971年に季節社から再版され、1976年に改訂新版が講談社学術文庫として出されています。ここで、問題にしている格助詞「に」については、講談社学術文庫版では削除されています。この新版では格助詞「が」や、副助詞、係助詞「は」他に重点がおかれ、旧版から削除された部分があります。基本的な内容に変化はありませんが、一応お知らせまで。
大学の図書館や、大きな図書館には旧版も所蔵されていますので、参照下さい。■
ご回答ありがとうございます。
>問題にしている格助詞「に」については、講談社学術文庫版では削除されています。
:
\(-_-;)/
そうなんですか。
それは残念。
では、アスナロ先生を頼りにしますかね。
暇を見つけてネットでもぼちぼち調べてみますか。
>この新版では格助詞「が」や、副助詞、係助詞「は」他に重点がおかれ、
:
実は、この点について実に論理的に解説されているというレビューも見まして、大いに期待しているところです。
こちらについても、いずれご見解を伺うことになるかと存じている次第。
>大学の図書館や、大きな図書館には旧版も所蔵されていますので、参照下さい
:
そこまでの馬力は無いようです。
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#14お礼欄からの続き。
【に】
[ 新明解 ]
(四)動作・作用が、どんな状態・状況で行われるか、ということを表わす。
「暗いうち―起きる」
[ 明鏡 ]
㋘ 動作・作用のあり方や付帯的な状況を表す。
「言われた通りに作る」
[ 学国 ]
動作・作用が行われる場合の状態をそれと示す。
◆古藤は繰戸のガラス越しに、切割りの崖(カ゛ケ)を眺めてつくねんとしていた〔有島武郎・或る女〕
[ 日国 ]
3 下の動詞を状態的に修飾する。
*古事記‐下「足母阿賀迦邇(あしもあがかニ)嫉妬(ねた)みたまひき」
[ 大辞泉 ]
(8)動作・作用の行われ方、その状態のあり方を表す。
「直角―交わる」
[ 大辞林 ]
(10)動作・状態の行われ方・あり方を表す。
「左右―ゆれる」「ぴかぴか―光る」
[ 広辞苑 ]
⑯本質・内容・資格・状態を示す。
万葉集14「筑波嶺の岩もとどろ―落つる水」
#19お礼欄からの続き。
かなり参考になりましたが、わたしとしては、
「に」の意義とは、空間軸・時間軸における着点の認識である。
とすればスッキリするでしょうに、と申し上げている。
さらに肝心な点は、
「に」の【用法(意味)】は、空間軸・時間軸において認識された着点を表わすことである。
と言えるでしょう、ということです。
言えないですか?
#22お礼欄からの続きです。
3.
>武谷三男は自然科学の発展段階を「実体論―現象論―本質論」と規定していますが、言語論、文法論は「実体論―現象論」の段階をうろついているということです。
:
まあ、その論理はわかります。
そうなのかもしれません。
であれば、アスナロウさんは、本質論を展開なさればよいわけです。
「実体論―現象論」を否定しなければ、本質論を展開することができないわけじゃありませんよね?
と申し上げている。
しかし、そうまでおっしゃるアスナロウさんが、「に」の本質である「着点」をご理解なさらないというのは、若干、不思議な気がしますね。