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帝国海軍は消滅したものの掃海部隊だけは解体を免れて今現在に至る。掃海部隊は海軍と海自を繋ぐ血統書であるというような事を聞いたのですが本当なのでしょうか?

A 回答 (2件)

帝国海軍の掃海部隊も戦後いったん武装解除されましたが、連合国最高司令官総司令部の指示の下に、日本国及び朝鮮水域にある機雷について、日本政府として掃海作業を実施することなり、海軍省内に掃海部が設置されました。

 1945年10 月には艦船 348 隻、人員約 10,000 名の掃海作業の組織的な態勢が整えられました。 その後、掃海業務の所管は、海軍省の廃止に伴い、第二復員省、復員庁、運輸省海運総局、海上保安庁へと変わっていきました。 そして、朝鮮戦争当時、日本を占領下においていた連合国軍の命令を受けて、海上保安官や民間船員など8000名以上を国連軍の作戦に参加させ、開戦からの半年に限っても56名が命を落としました。 そのご、海上警備隊が1952年に創設され、後の海上自衛隊と引き継がれていったため、掃海部隊は海軍と海自を繋ぐ血統書であるという人もいるのでしょう。
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この回答へのお礼

なるほど、一旦は武装解除となったわけですね。具体的な数字まで教えて頂きありがとうございます。

お礼日時:2019/07/18 18:24

>本当なのでしょうか?



本当だったと思います。

「だったと思う」というのは、私が直接見た訳ではなくて、既に故人となった私の叔父から聞いた話を元に判断した結果です。

私の叔父は大戦中に帝国海軍の巡洋艦に乗務しており、奇跡的に戦後まで生き延びた人でした。ソロモン海戦当時は水兵でしたが、その後選抜されて海軍術科学校で水雷の訓練を受けて下士官になりました。

その叔父が戦後は海上自衛隊で掃海艇に乗務して、大戦中にアメリカ軍が日本列島周辺にバラまいた一万個を超える機雷を処理する任務に黙々と従事していたのです。当時小学生だった私は、時折会っていたこの叔父からいろんな話を聞かせてもらっていました。

No.1の回答者さんも書かれていますが、機雷を処理する掃海作業というのは極めて危険な作業であり、船乗りなら誰でも出来るというようなものではありません。私の叔父は旧海軍の術科学校で水雷(魚雷・爆雷・機雷)に関する専門教育を受けていたので実務能力があったということのようです。

終戦後、占領軍は日本の徹底的な武装解除を行い、上級の軍人は戦犯として裁き、その他の佐官・尉官も公職から追放し、日本の「軍」としての組織を徹底的に解体することに努めていました。けれども掃海部隊だけは例外で、日本を占領する連合国の船舶にとっても航行の安全は必要不可欠でしたから、むしろ掃海作業を積極的に後押ししていたようです。

たとえば機雷を処理する方法の一つとして機関銃で機雷を爆発させることがあるのですが、アメリカ海軍はその必要性を知っていましたから、日本の掃海部隊に機関銃と実弾を支給していました。これは他の兵科ではとても考えられないことでした。

朝鮮戦争の勃発後はアメリカの日本に対する軍事面の対応がガラリと変わって、役に立つ同盟国として故障した兵器の修理や後方支援で便利に使おうという姿勢に変わり、ジェット戦闘機やら戦車やら装甲車やらを供与するようになりましたが、それまでの間で占領軍が日本側の(元軍人による)活動を認めていたのは掃海作業だけだったということです。
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この回答へのお礼

貴重なお話ありがとうございます。掃海部隊は復興のために命がけで大変な任務に取り組んで頂いたのですね。

お礼日時:2019/07/18 18:22

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