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国鉄時代の増解結時の転線について。
今、大阪発高山行きの『ひだ25号』が岐阜駅3番線到着後に一旦大阪方構内へバックしてしばらく停車し、4番線に名古屋発飛騨古川行き『ひだ5号』が到着すると再び前進して4番線に転線して連結と言う事をしていて、それが動画でも結構アップされています。
しかし、この様な事は急行列車の増解結が盛んだった国鉄時代には結構あったんじゃないかと思いますが、実際はどうなんですか?

私が記憶している限りでは、1974年(昭和49年)夏に竹野から大阪まで播但線経由の急行(『但馬』だと思う。)に乗った時に、姫路駅でバック・停車・転線を行った記憶があります。
たぶん、姫新線からの急行を併結するためだったのじゃないかと思っているのですが。

A 回答 (5件)

多層建て列車だと、連結したまま本線のホームに入線、支線直通車両を切り離して、支線直通車両がバックしてから支線のホームに点線するというのは結構あったようです。

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いや、支線に入る時は普通にあったのではないでしょうか。

本線が複線の場合、本線の両方向から直接支線に出入りできるケースの方が少なかったのでは?

地方どころか、東京のど真ん中でも、地上線時代の京急蒲田駅では、横浜方面から来た羽田空港行き急行が、上り線の3番ホームで客扱いをした後、一旦引き上げ線に入ってスイッチバックで1番ホームに入り直し、そこでまた客扱いをして羽田空港に向かってました。その時に、1番線で、品川方面から来た羽田空港行きと併合することも有ったように記憶してます。岐阜駅と全く同じ取り回しですね。
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#3さんも回答してるけど、客車の分割・併合だって当たり前のように


やってましたよね。
急行桜島・高千穂あたりは質問者さんの記憶と同時代ですし
ブルートレイン(死語)のさくら(長崎・佐世保)・みずほ(長崎・熊本)
とかは有名でした。
もう少し新しい平成時代になっても「富士ぶさ」「なはつき」とか
同じようにやってましたね。
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そもそも客車列車の場合、先頭に機関車があるので、増解結は直接はできません。


客車列車の全盛期には、当然の場面だったと思いますが、いかがでしょう。
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キハ58系急行準急時代は、2階建て3階建て列車が普通でした。


併結分割作業自体は、今でも随所で見られますが、後から入線する列車は、先に入線停車中の列車の数m手前で一旦停車、誘導員の旗に従い、ゆっくり前進、併結作業が普通。
ひだ25号+ひだ5号のような併結作業は、駅の配線と関係しているのでは?
何れにせよ、珍しい併結作業だと思います。
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