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アインシュタインは、次のように言っているそうです。
<理論とは、それを考え出した本人だけは信じているが、他の誰も信じていないものだ。
実験とは、それを行った本人は信じていないが、他の誰もが信じているものだ。>
私は、前段には同感せざるを得ません。
しかし、後段は理解できませんので、助け船を出して下さい。

A 回答 (6件)

前半部。


まだ世に無い新しい理論というのは、難しい数式や論理展開が含まれている事が多く、難解なんですよ。作った当人は、理解して数式を使いこなしているわけなので理論の正しさ、言い換えると数学的証明の正しさを信じているわけですが、周りは難しすぎて理解できないので、感情的に疑ってかかる。

後半部。
論理的に、相関関係があっても、因果関係があるとは限りません。実験結果というものは相関関係を示すものであって、因果関係を示すとは限りません。しかし世の中の人は、相関関係を見て、さも因果関係のように誤解する事が多い。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
投稿カテを誤り申訳けありません。
<実験結果というものは相関関係を示すものであって、因果関係を示すとは限りません。しかし世の中の人は、相関関係を見て、さも因果関係のように誤解する事が多い。>のですね。
実験者たる者は、実験により因果関係を解明した、と安易に楽観的立場に立たない・立てないのですね、

お礼日時:2019/08/10 18:10

調べてみましたが、「実験結果と言うのは不確かさを含んでいるので、追試のようなことも含めて、良く確認しないといけない。

実験した本人は一番そのことを分かっている筈だ。」と言う意味ではないかと言う解釈が一般的なようです。

昨今の実験の不正データ騒動を予期していたとしたら、さすがはアインシュタインですね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<投稿カテを誤り申訳けありません。>
<実験結果と言うのは不確かさを含んでいるので>
<実験した本人は一番そのことを分かっている筈だ。>ということですね。自分の実験だと言っても、結果をけして過信してはならない、と自覚している、ということなのですね。

お礼日時:2019/08/10 18:34

私はアインシュタインのことはよく知りませんし難しい話も出来ませんが、単純に考えて分からない、不確定な物事に対して疑ってかかるのが科学であり実験であると言っているだけじゃないですかね。

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<投稿カテを誤り申訳けありません。>


<確定な物事に対して疑ってかかるのが科学であり実験である>なのですね。実験者は常に疑っている、ねばならない、ということなのですね。

お礼日時:2019/08/10 18:28

科学者の姿勢を言っているんじゃないですかね?


実験する人の立場で変わるもんだと思いますし。

もしくは、
自分は実験をする人間ではない。
自分は実験をする立場にいない。
という前提としているんじゃないでしょうか?

ですから、理論を実証しようとする人間は、
反証するような人間でなければいけない。
周囲が『偉大な理論』の実証に注目し、
期待していることに流されてはいけない。
(ような人物が、実験をしなければいけない)
といったポリシーを言っているのではないでしょうか?

いかがでしょう?
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
投稿カテを誤り申訳けありません。
<理論を実証しようとする人間は、反証するような人間でなければいけない。>なのですね。
実験者は、<『偉大な理論』>を追従し称賛するような結果を出すのではなく、<『偉大な理論』>の隙をうかがうようにしなければならない、ということなのですね。

お礼日時:2019/08/10 18:19

僕は物理屋じゃないので推測ですが・・・


 まず前段は「瑕疵の無い理論」というように形容詞が付くと思います。そして理論というのは単なる「真実」ですから,検証をする必要はありません。もっとも,僕らのような似非学者の理論は検証が必要ですがね。例えば最近のブラックホールのニュースを見てもわかるように,アインシュタインは何らかの「事実」を踏まえて理論を構築したのではなく,「こうだったらいいなぁ」「きっとこうだろう」と思って理論を構築していますから,「事実」に基づいた理論でもなく,検証もされていません。そういう理論は構築した本人は信じますが,「事実」や「検証」を気にする他の多くの研究者は疑ってかかるということでしょう。
 後段も「ミスの無い実験」というように形容詞を付けます。実験をした人は得られた・観察した「事実」は単なる「事実」でしかなく,その実験条件の下で「のみ」観察されることを知っていますから,それが何らかの「真実」を証明するものではないことはわかっています。ですから,その結果は条件付きの結果でしかないので,「もしかしたら,あの条件がもっと現実的だったら・・・」という恐怖を常に持っていて,完全には信じていないのでしょう。しかし,その結果「だけ」を見た人は,その研究の実験装置や各種条件の本当の状態・設定等の「事実」を確認できない状況にあるのが一般的ですから,もしその実験「事実」が解こうとしている問題の「真実」をちょっとでも説明できていたとすると,信じてしまう可能性があるということでしょう。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
投稿カテを誤り申訳けありません。
<何らかの「事実」を踏まえて理論を構築したのではなく,「こうだったらいいなぁ」「きっとこうだろう」と思って理論を構築していますから,「事実」に基づいた理論でもなく,検証もされていません。そういう理論は構築した本人は信じますが,「事実」や「検証」を気にする他の多くの研究者は疑ってかかるということでしょう。>とうとうそのまま引用してしまいました。
<実験をした人は得られた・観察した「事実」は単なる「事実」でしかなく,その実験条件の下で「のみ」観察されることを知っていますから,それが何らかの「真実」を証明するものではないことはわかっています。>ので、信じることに臆病になり、なるべきなのですね。

お礼日時:2019/08/10 16:06

確証を得るために実験をするし、それに投資されるわけですから、


成功する実験は、あらゆる失敗を想定し排除しないと失敗します。
だから信じこんだ実験は失敗するし、失敗しないための実験って確証になりません。

すると、実験者は結果を信じても実験を信じないし、傍観者は結果を見るまで理論を信じないし実験は成功するのが前提の立場になります。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
投稿カテを誤り申訳けありません。
実験には<あらゆる失敗を想定し排除しないと失敗します。>ですね。実験者は個々の実験を疑い、成功したと迂闊に思ってはいけないのですね。<傍観者>は<成功するするのが前提の立場になります。>なのですね。

お礼日時:2019/08/10 15:56

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