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物理学科の研究室で、就職を考えると実験系の研究室のほうが役に立ちそうですがなぜか理論系の研究室が人気と言う傾向があります。なぜでしょうか?素粒子の研究室で超弦理論を学びたいという憧れがあるのでしょうか?教えてください

A 回答 (10件)

(ANo.8のつづき)


(5).物理の幅の問題
(4)とも関連しますが、理論には束縛がありませんから(むしろ個々で人と違うことをしなければならないという逆の縛りがある)各人がそれぞれ独自の分野に詳しくなっています。また、元が優秀な人たちですから、物理一般に対する含蓄も深いのです。
で、それらの知識はある程度仲間内で共有することができますから、総合的に物理の各方面の知識やテーマについてより掘り下げることが可能になるわけです。

※実験にもすごい人は居るのですが、どうしても層の厚みや環境etc.かなわない面があるように感じます。
余談ですが、東大京大の出身者が有利なのは、こうした知識の懐の深さも大いに関係があるように思うところです。(ポスト数の多寡は言わずもがなとして)

(6).物理系学生の研究志向
以上の話でお気づきかもしれませんが、基本的に物理の学生は研究者志望がとてつもなく強いので、社会的評価はともかく、研究者として生き残れる可能性の高い選択こそが尊ばれるわけです。
 何せ「就職は負け組」という言葉があるくらいでして、もともと研究室のスタッフ自身が究極の研究志向ですから、学生にもその価値観が投影されて価値観が形成されてしまうのも自然な流れなのでして。
そういう観点から見てみますと、素論から物性や宇宙論、数理物理に行ったり、はたまた情報工学に進出したりとマルチタレントぶりを発揮している先輩の存在というのは非常に心強いものがあるのですね。

ただ、ここで注意しなくてはいけないのは、そういう超人は元々とてつもなく優秀だったからこそ他分野に行っても成功したのであって、普通の人間が理論に行ったからといって突然優秀になれるわけではないということ。
この辺を勘違いするとエライ目に遭いますので、自分の能力を冷静に判断し慎重に行動することが大切です。(おわり)
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大昔、同じような疑問をもったものです。



時は簡単、湯川秀樹のようにノーベル賞を貰いたいからにつきるのではないでしょうか。

日本人はどういうわけか、「ノーベル賞」を超過大評価しているようですね。まあ、あまり周りにノーベル賞受賞者がいなかったせいかもしれませんが。

何回か湯川教授の授業、講演を聴いたことがあります。
多分聴衆の相当数がショックを受けたはずです。自分もおなじでした。

「これなら、俺でもノーベル賞はもらえそうだ」。

これが物理学科の人々が、理論へ走った最大の理由と思います。

自分は、「ノーベル賞」受賞者を調べてみると、案外理論系の方が優勢でもなさそうだということにまず気がつき、その次に「ノーベル賞」というのは「酒がノーメル賞」とほぼ同じぐらいの価値を持つ賞であることに気がつき、「実験」を選びました。

最近の新入社員のかたとお話しをしていると、上記以外に
1.大学では実験をせず、コンピュータを用いたシミュレーションがはやりであること(実験設備の点で大学が企業の足下のも及ばなくなっているため)
2.大学の教員、および学生さんで「自らの手を汚して実験をすることを好まない風潮が強い」から
等々の理由が浮かんできました。
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(ANo.7からのつづき)


(3).実験物理の巨大科学化と、それに対する幻滅
(1)とも関連する話ですが、そもそも実験が難しい立場に追い込まれてしまったのは、それだけ科学が発展して未開拓の領域が減ってしまったからです。
つまり、生半可な実験ではもう新事実を発見することはできないので、スケールを巨大にして対応するか(a)、絶妙なセンスと創意工夫をもって「取りこぼしを拾いに行く」か(b)、博物学をやるか(c)しかなくなってしまった。

(a)は未開拓の領域なので確実性は高いですが、やるのは非常に大変ですし(たとえばKEKの電力使用量は確か年間500メガワット時なので、電気代だけで100億円オーダーのカネがかかる計算)、個々の研究者の能力云々より政治力やマンパワーの力仕事の要素が大きいので、個人の名誉欲と冒険心を満たすという面では薄くなる。(ちなみに私が実験に行く気が失せたのは、素粒子実験で何百人もの名前をずらぁぁぁっと並べている論文を多数見てウンザリしてしまったことも理由の一つです)
(b)は(a)の反対で、個人の関与できる要素は増えますが、そこから有望かつ独創的な物理を取り出すのは非常に難しい。で結局、(c)のような毒にも薬にもならない研究で糊口をしのぐ事例が大勢を占めることになってしまう、と。(「銅鉄主義」という言葉もあるくらい)
※他にも大学の講座制の問題等もありますが、長くなるので割愛。

ということで、学部3,4年にもなりますとその辺の事情が大体見えてきますから、(a)や(c)に比べれば個人で動ける理論の方がまだマシに見えるので、野望を持つ人間ほど理論に集まる傾向があるのではないかと……(実際には理論でも(c)のようなクソ研究は非常に多いのだが)。

(4).人材流入の相乗効果
人というのは優秀な人間に憧れるものでして、それは物理の学生も例外ではありません。
憧れの先輩や学友が素粒子を目指せばその世界が魅力的に見えるものですし、逆もまた真なり。
その流れがある程度循環して固定化されれば「人気の差」として認識されることもあるかもしれません。
(ANo.9へ続く)
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 「普遍へのあこがれ」と「名誉欲&冒険心」というのは、より詳しく言えば「物理系の学生は、より普遍的で絶対的なものに価値を見出す傾向があるし、できればアインシュタインや湯川のように独創的な仕事と名声をモノにしたいと強く願っている」ということになるかと思います。



 以下順を追って説明します。
(1).現代の物理学において、理論の「一人勝ち」状態が続いてきたこと
元来物理というのは力学・熱・電磁気のように実験(経験)を主体にして発展してきました。
ところが20世紀の初め頃から理論と実験のパワーバランスが崩れてしまいまして、理論が一方的に実験結果を予測し、実験は(高温超伝導などの)ごく一部の逆襲を除いて「理論の予測結果を確認する」ものになってしまったのです。
それどころか、メゾスコピック系の物理のように、実験が革新的な新事実を発見しても結局理論に主導権を奪われてしまったケースもあり、よほどのセンスと政治力と運がなくては実験主導で新領域の物理を開拓するのが難しくなってしまったことも要素の一つとしてあげられましょう。

(2)戦前からの伝統
もともと日本という国は理論物理の研究には非常に強かったのです。まぁカネがない割には比較的人材に恵まれていたという社会的な背景が大きかったのでしょうが、第二次大戦時に米国が調査した際にも「日本で国際水準に達している分野が3つある。それは養蚕、水産業と理論物理」とまで言われたとの逸話もあるほどですから。(実際、言語の壁がなければあと2,3個はノーベル賞を取れていたはず)
一方で実験の方は、ニュートリノ振動やBファクトリーのように国際的成果が出ているところもありますが、基本的には研究費をどれだけ出せるかにかかっていますから、国や企業の財政状況に鑑みれば先細りとなる点は否めないかと思われます。(それを言うなら理論はもっと暗いんですが)
(ANo.8へ続く)
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このご質問は大変魅力的なテーマですし、一応理論系に進んだ当事者としても答えたいのは山々なんですが、ちょっと今日は疲れましたので(名古屋から長良川の上流まで往復+山道を徒歩で10キロ移動)回答は明日まで待って頂けますか?



※私自身は、この問題を「普遍へのあこがれ」と「名誉欲&冒険心」のキーワードで考えています。(詳細は明日以降に)
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この回答へのお礼

僕は化学系なのでわかる範囲で回答いただきたいです

お礼日時:2007/07/08 19:36

まあ、僕も実験の研究で飯を食べていますが。

。。

そもそも実験って普通は、理論の後追いみたいなこと
ばかりなので、物理が大好きという人は、実験だと
物理学をやっている気がしないからではないでしょうか。

しかし実験からすると、そんな紙で書いた理想的な理論は
実世界ではどうなんだろ。。。と思ってしまう理論の人も
結構見かけますが…

でもやはり、理論が物理学の主役でしょうね。
そもそも実験だけなら、工学部でも物理の実験系と
似たようなことやっているところは結構ありますから。
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1、理論にはロマンがあり、憧れがあるから。


2、理論を研究するには凡人ではだめなので理論をやってることでの
  実験の人に対する優越感が欲しい
3、実験に比べて楽だから。

のいずれかだと思います。
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この回答へのお礼

1であってほしいですね

お礼日時:2007/07/08 19:30

すみません。

補足します。
実験系であると、観測とか測定とか、物理の非常に実証的な面が目立ち、
そういう哲学的な気分と相容れないから、理論系にあこがれるのだと思います。
そういう気分というのは、何か、どこか宇宙の遠くにある唯一の絶対的な真理からすべての法則が導き出される。といったようなものだと思いますが、科学上の法則は、最終的には結局は実験したらそのようになった、としか
いいようのないものですが、そういう哲学的な気分の持ち主はそういう実証的な説明よりは、理論のみの説明を好むためとおもいます。
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私はこう思っています。


大学に入る前の中学生高校生時代には、「自分は何で存在するのか?」とか「この世界、事物、宇宙はなぜそんざいするのか?」とかいう、ちょっと哲学っぽい、思想っぽい疑問なんかを一般的に持ちやすかったりします。
 また一方でブルーバックスなどの、物理学の、特に宇宙論とか素粒子論とかの話題を、上記のような疑問をもった心の琴線に触れやすい形で紹介する本が出版されていたりします。
 上記のような疑問をもちやすい感じやすい心もった中学生高校生が
こういう本を読むと、なんとなく、自分の持っている疑問や世の中や世界に対する疑問や謎を、物理学の宇宙論や素粒子論を勉強すると、解決できるかのような気持ちになる。

そして、そんな気分が、そういう分野へのあこがれを育てる。ということではないかと思います。

上記は私がかつて感じたことを振り返ったものですが、似たような考えや気分で物理の理論に来た人はまわりにも多かったです。

 実際には、勉強の途中で、物理学は、そういう気分や疑問を解くものではないと気づき、物理と、自分のもった世界とか自分の存在への不安などといった気分的な疑問とは分けて考えるようになり、物理は物理と割り切って研究や勉強に向かう人も多かったです。

中にはそういう割り切りができす、あるいは、物理と思春期特有の気分の峻別ができず、物理学研究の向こうに神秘的なものを求めながら研究や勉強をしつづける人もいましたが、科学というのは基本的には神秘的なものも神秘性を剥ぎ取って理性で理解していくという営みである以上、ある段階で矛盾や無理が生じ立ち行かなくなり、ドロップアウトなんてことも多かったよです。
 
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この回答へのお礼

わかりやすい解答ありがとうございました

お礼日時:2007/07/08 19:30

憧れはあると思います。



あと、実験系だと実験技術の修得に時間が割かれるので物理以外のことに
時間を使うのはいやだと言う学生さんもいらっしゃいます。
実験技術自身も物理ですし楽しい苦労なのですが……(笑)
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この回答へのお礼

僕もそう思います。

お礼日時:2007/07/08 19:22

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