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昔のやり方は間違っている、今は個性を大事にするべきだ。

と皆さん言っておりますが、昔の時代の方が個性がある気がするんですが気のせいですか?

A 回答 (10件)

本来は、



「日本全体で個人の面倒を見る方法は諦めたので、

 個々の幸せは自己責任としたいが、いかがか?」

と言う意味ですよ。

小泉首相のときに、そんなブームがありまして、

色んなところで凄い抵抗がありましたよ。

そこから、大きく風潮が変わりました。

公共機関、研究機関、教育機関とかは、国民のためと言うより、

ビジネス性を重要視するようになりました。

国が守らなくなり、各機関も生き残るための方法を模索するようになったんです。


例えば、

・住む所がないと言っても、家賃を払わない公共アパートの住人は追い出す。

・死人が出るとしても自己責任。料金未納者の電気は止める。

・番組が面白くないと言われても、受信料を払わない人は訴える。

などなど。


そういう状況になったため、

「私は誰もあてにせず、自分で考えている。私の邪魔はしないでくれる?」

と言いたくなる人がいても不思議じゃない。

昔ながらの慣例による締め付け、しかしこれに対する保護が無い。

こうなりますと、締め付けだけが残ります。

ですので、締め付ける側にも配慮が必要。

「俺の言う事を聞け。後で、わかってくるから」

と言う言い方はだめです。

そんな人を諭すため、

「昔と違う。個性を尊重しなさい。(どうせあんたも面倒見れないんだし)」

と言う話が出てきたわけです。

けっして、芸術性や創造性に関する個性じゃありませんよ。

自己責任や自立と言う意味合いのほうが強いと思います。

子供や学生は、何の事か分らないと思います。

揺り篭から墓場まで、国が面倒を見るべきだという思想が全世紀は主流だったんです。


今では、

絶望して自殺したり、犯罪に走る人が出ても、ニュースになるだけで問題視されません。

私たちが政治に無関心なように、政治も私たちに無関心なんです。


学校を辞めて家に閉じこもりたいという子供がいたとき、

昔の親なら引っ叩いても卒業させたと思いますが、

その個性(自己責任)を尊重するというのが現代です。

会社を辞めたいと言う人の慰留もそれほどしなくなりました。

「うーん。ここより良い職場があると言うんだから、仕方ないかも。

 俺だってそんなとこ見つけられたら・・・」


本人の自己責任よって、淘汰と適応を促す。

「未来が読めない時代。

 良かれと思って教えても、間違いになるかもしれない。

 多くの選択肢があれば、

 適応する新しい道が見つかるかもしれない。

 淘汰される人には気の毒なので、それぞれの選択は個人に任せたい。」


私は古い世代でしたから、これらを詭弁だと思いました。

しかし、

「働いたら負けだ。」

と言う論法が出てきて驚きました。

確かに、個性が増えている?

これらが正しいか?ではなく、人生を捧げて参考情報を与えてくれていると捉えるわけです。

自分に採用するか否かを個々人に任せる。



創作物の世界でも、

アニメ業界、漫画業界が何を重要視し、どうなっていくのか?

これらに是非をつけず、他業種の参考になれば良いんです。


今の質問者さんの様に、思い、考えて、論議をしていることが重要です。

「そうなるんか。俺は真似しない様にしよう。」

などと一歩引いて考えること。

変化の激しい時代では、そういう思想をもち、賢く適応する人を生き残らせようとします。

個性がある人を尊ぶと言う意味ではなく、

「個性として整理し、全体の責任にしない」

と言う意味です。


以上、ご参考になれば。
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そりゃぁ、国境も法律もない頃は、個性も無限にあっただろうなぁ。

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>昔のやり方は間違っている


と言ったって、全部が間違っているわけではないです。 いいものもあれば悪いものもある。今の価値判断から見て悪いと思ったら変更しましょう。 ということです。
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『普通』とされるものが今と違うだけでしょう。



あと、強烈なのだけが記録に残り質問者様が知ることができただけなのでは。
昔は地域のつながりも強く周囲から突出するような違いのあるものはたちまち排除されたり矯正されたり座敷牢に閉じ込められたりしてたと思います。

だいいち、個性が大事なんて主張はリベラル気取りのエラい人が人気取りのために言ってるだけだと思いますよ。
それかいじめられっ子とか皆に迷惑かけて孤立したはみ出し者の自殺を防ぐためのおべんちゃらかもしれません。

さてはて、個性的と称される変人と共に暮らす人らの立場を考えて言ってるのやら。
自分が容認できる程度の違いしか想定してないと思うんですがね。
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気のせいです。



ある工場の煙突は、3本だったり2本になったり4本に増えたりします。
しかし「事実」は、正方形に並んだ煙突を進行する列車の窓から見ているだけです。

煙突でさえ、見る角度によって数が変わります。
それが「事実」の見方の基本です。
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この回答へのお礼

でも実際、流行に乗ることしか頭にない若者は個性もへったくりもなくないですか?

例えば音楽も周りの人はほとんど米津玄師やback numberのようなジャンルしか聞かなかったり、服装がダサいと避けられたり、

結局みな同じじゃないと納得しないのでは?

お礼日時:2019/08/12 22:51

個性の履き違えですね。

昔も今も個性はあるんです。ただ協調性等で周囲と同調する傾向が強くてオリジナリティが発揮されにくい傾向にあったんです。だから個性を大事にしようとゆとり学習になったにも関わらず、集団で発揮出来ない個性(と言っていいのかわからないけど)というかわがままだけ育っちゃって。
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言われてみればその通りだと


思います。

昭和30年代などは、天皇さえお笑いの
ネタにしていました。

昔の方が自由で、だから個性も発揮されて
いたように記憶しています。

今は、管理社会になって、一定の枠から
はみ出すことを、極端に嫌うようになっている。

みんな良い子。


そんな感じがしますね。
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この回答へのお礼

今の子供達はみんな大人しくて反抗期もなく大人の言うことに従順で扱いやすいロボットになってくれて良かったですね

お礼日時:2019/08/12 15:29

確かに昔の方が個性的でした。


今の時代テレビつけたらわかる様に朝から晩までワイドショーばかり!
そうなってくるとテレビ的には、叩く相手を見つけないと番組的には盛り上がらない!
そうすると個性的な人とか少し道から外れた人を叩く! しかも能無しの芸人とかが。 テレビ局的にはそっちの方が経費もかからないし。
やはりテレビの影響は大きいと思います。
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音楽や映画などのマスメディアは収益の最大化に向けて自己調整しますので、平均的なヴォリュームゾーンに収斂します。



これに対して、個人の記憶に残る人物は個性がある人ばかりとなります。
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個性が無いのもたくさんおったけど、個性のある例外的人物だけが人の記憶に残るのです。

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この回答へのお礼

今の音楽業界や映画を見るとどれも歌い方同じで、ありきたりな歌詞、映画はわざと面白いおかしくコメディ化してつまらない。
対象を全年齢にしたところ大人が見れるものが無くなり子供と女だけが楽しむ下品な娯楽になってしまった。

逆に個性が失われていませんか?

お礼日時:2019/08/12 13:28

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