天使と悪魔選手権

下記サイトに野田尚史氏の見解がまとめられています。
https://yousei.arc-academy.net/manbow/index.php/
彼は両者の差異を5項目に分類しているようですが、目から鱗の部分を感動的に取り上げつつ、蛇足と思われる部分などを批判する形で述べてみたいと思う。
長くなるので、一項目づつ取り上げるつもりです。
お陰様で色々検討課題も浮かび上がってきていますが、とりあえず地均しの段階ですので先へ進みます。

今回は、3番目の項目である下記記述(※)について。
因みに個人的には、
a.「は」の意義⇒「主題提示」。
b.「が」の意義⇒「主格」または「可能・希望・好悪・巧拙などの対象」を、特定または指定する。
です。
「特定」とは「特に指定する」という意味であり、主格や対象を限定的(強調的)に表わす意図がある点で単なる「指定」とは区別する。
前者は「特記のガ」、後者は「中立叙述のガ」とも呼ばれるが、いずれにせよ「ハ・ガの違い」という切り口において、「ガ」は「指定する」という意義であるという点が重要。
辞書には多くの語釈が列挙されていますが、これら a. b. [ だけ ] が根本的な意義であることを押さえておくと両者の違いが見えやすくなるはず。

(3)主格がどこまで係る(=つながる)のか、文末まで係るのか、節の中だけにしか係らないのかによって使い分ける方法。
  主格が文末まで係るときは「は」を用いて、節の中だけにしか係らないときは「が」を用いるということを基準にして使い分ける方法である。
 ・父は晩酌をするとき、冷や奴を食べる。
 ・父が晩酌をするとき、つきあう。

文を『解釈する場合』には、たしかに面白い分類かもしれません。
個人的には目から鱗でした。
ただ、『使い分ける場合』には、却ってネックにならないでしょうか。

 ・父 〇 晩酌をするとき、冷や奴を食べる。

という文でどちらを使うか迷った場合、《「晩酌をする」のも「冷や奴を食べる」のも同じ父なのだから、『主格が文末まで係る』ことになるはずで、だから「は」を使えば良い。》という思考プロセスが要求されることになります。
しかし、単に「父について言えば冷や奴を食べる」という意図なのだから主題提示の「は」を使う。
という思考プロセスのほうが簡潔ではないかと思います。
どんな時に?という点について「晩酌をするとき」と補足するだけでよい。
さらに、

 ・父が晩酌をすると、必ず酔っぱらう。

といった文が誤りであると受け止められる可能性がある。
よって、この分類項目はあくまで『解釈する場合』に限定されるべきであり、使い分けの分類からは排除すべきと思うのですが、みなさんのご見解をお聞かせください。

質問者からの補足コメント

  • #3お礼欄からの続き

    であるのに、
    f.
    >認識は、こうした抽象の階層を容易に昇り降りし、その側面を表現します。
    このように、個物は立体的な階層構造をもっており、このどの側面を捉え表現するかを「は」「が」で表しています。
    :
    といった記述が直後に続くので、わからなくなるわけです。
    端的に言うなら、(立体的な階層構造を持っているはずの)「が」の意義を説明する際に個別性はでてくるが、普遍や特殊といった概念がでてこないのはなぜ?
    という疑問です。
    ここをお答えいただけると、多少は理解が進かもしれない。

    下段へ続く

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/08/23 23:08
  • 上段からの続き

    g.
    >象は鼻が長い。
    は、象という特殊性の認識の下での鼻という個別性の認識を表わす、立体的な認識構造の表現です。
    これを、野田尚史や質問者の珍奇な「は」「が」論で説明、解釈できますか。

    ・象を主題として取り上げて言うならば、主格を鼻とするところの「長い」という状態が存する。

    野田氏については全面的に肯定すべきかどうかを、まさに現在検討途上ですので。

      補足日時:2019/08/23 23:09
  • #8お礼欄からの続き

    3.
    >この点をAmazon レヴューで指摘しています。

    拝見しました。
    【料理はフリアおばさんが抜群にうまい。】が自然なのは同意できます。
    しかし、
    【単語「は」が何故、「主題を表す」ことができるのかを解明するのが科学的文法論の任務である。】とのことですが、
    野田は、【<「は」は,聞き手にとって関心がありそうな名詞の後について,その名詞がその文の「主題」であることを示す働きをするのだ>】と言っているわけで、これがまさしく答えでしょう。
    つまり、人には《聞き手にとって関心がありそうな事柄を主題として取り上げたい》という願望をアプリオリに持っているということじゃないですかね。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/08/24 21:16
  • #9お礼欄からの続き

    6.
    >つまり、人には《聞き手にとって関心がありそうな事柄を主題として取り上げたい》という願望をアプリオリに持っているということじゃないですかね。
    ⇒まあ、俳句や短歌を作るのはそうかもしれませんが。
    「は」とは何の関係もありません。

    大いに関係ありますけどね。
    そこまでごねるなら見解の相違と言わざるを得ないかも。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/08/24 23:48
  • 申しわけない。
    #9お礼欄に訂正があります。

    ×
    懸案の場合は、

    ・(「は」という語が)指し示すのは指です。

    というよに、「は」を対象ではなく主格として捉えた場合の「指し示す」なので混同なさいませんように。


    懸案の場合は、

    ・(「は」という語が)指し示すのは「は」の前の語です。

    というように、「は」を対象ではなく主格として捉えた場合の「指し示す」なので混同なさいませんように。

      補足日時:2019/08/24 23:59
  • #12お礼欄からの続きです。

    5.
    >「は」を対象ではなく主格として捉えた場合
    ⇒毎回指摘していますが、格は客体に対する格付けで「は」は主体的表現の語です。
    本をちゃんと読んで下さい。

    たしかに厳密性を欠いた表現でしたね。
    脈絡を把握していれば理解可能であり許容範囲の曖昧さなのですが、言い訳はしません。
    どうも失礼しました。
    いずれにせよ、要点は下記ですから、そこをしっかり押さえてください。

    野田は、

    ・(「は」という)語は意義を表わすもので、(「は」の直前の語が)【文の「主題」であることを《示す》働きをする】

    と言っているのです。
    下段へ続く。

    No.12の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/08/25 17:49
  • 6.
    >懸案の場合は、
    ・(「は」という語が)指し示すのは「は」の前の語です。
    ⇒語は「指す」ものではないと言っているのが理解できませんか?
    Oui, ça va bien, merci.
    これらの語が何か《指し》ているように見えますか?

    ・彼は社長だ。

    この文において、(「は」という語が)指し示すのは「は」の前の(「彼」という主題提示として取り上げた)語である。

    と言えますよね?
    主題提示なのですから、何を提示しているのか(何を示しているのか)についての解説です。
    どこが、なぜ間違いなのかわからない。

      補足日時:2019/08/25 17:54
  • #13お礼欄からの続き

    5.
    >主題とは何か、語に示すなどという機能はなく、チャランポランです。

    (「は」という)語は意義を表わすもので、(「は」の直前の語が)【文の「主題」であることを《示す》働きをする】

    という解説は間違いだとおっしゃるのですね。
    見解の相違ということになりそうです。
    第三者の判定に委ねるしかありませんな。
    『語に示すなどという機能はなく』というのがまったく理解できない。

    >【語】は指し示しなどしません。指し示すのは【指】です。

    ・指し示すという動作の主体は【指】です。
    ・指し示すという動作の対象は「は」の前の【語】です。
    これらを混同してはいけません。
    日本語の理解力に疑問があります。

    No.13の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/08/25 23:15
  • 頓珍漢な指摘に惑わされて普遍性と特殊性を逆に記してしまいました。
    お詫びして下記の【】内のように訂正します。

    1.
    >消去法【でも】そうなりますよということです。

    誠に残念ですが、そのように言えるのは、積極法による具体的な解釈を述べている場合に限られます。
    あなたはそれを一切示さず消去法に逃げている(と判断せざるを得ない)。
    その点を問題にしているわけです。

    【特殊性】である積極的根拠を、具体的な解釈で述べてみてください。
    可能ならば。

    >「普遍性」というもの自体の説明を云われているのでしょうか。
    それは、参考書他を挙げていますが。

    そのように逃げてはいけません。
    【普遍性】については持論を展開するのに【特殊性】だけできないのはなぜなのですか?
    ご自分の言葉で述べることができない、ということ自体が、【特殊性】という定義の曖昧さを物語っているかのようです。

    No.16の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/08/26 14:30
  • #23お礼欄からの続き。

    >この人たちに理解でき、あなたに理解できないのは努力が不足という以外にありませんが、自覚していますか。

    『この人たち』とは誰?
    こういった無茶苦茶な論理展開の文を読むのは慣れていませんので、たしかに努力不足とは言えるかもしれませんね。
    しかし、表現としてですが不合理な論理がまかりとおっていますので、ある程度くわしい解説は必要になるかと。
    何もなしに理解できるのは、三浦理論に精通している方に限られるでしょう。

    論理には、ある程度自信がありますので、そんな私にすら通用しない論理を振り回しても、誰からも賛同は得られないという気はしますね。
    私は、可能な限りわかりやすく単純な質問しかしてないはずですので、逃げずにお答えいただきたい。
    そして、三浦本人も述懐しているように、常に、自分が間違っているかもしれない、という謙虚さはお忘れになりませんように。

      補足日時:2019/08/30 18:48

A 回答 (24件中11~20件)

No.11 のお礼について



>>つまり、『前項と同一の主格が適用できる』場合もあることをお認めになっておられるのですよね?

係り結び

係り結び(かかりむすび)は、ある文節が係助詞によって強調され、あるいは意味を添えられた(係り)場合に、それを直接の連用要素とする述部の最後尾要素が呼応して特定の活用形に決まる(結び)という文法規則をいう。(ウイキ)

で、「が」は係助詞ではないので係り云々がそもそも誤りです。

中学校の文法を先ず正しく理解して下さいと何度も言っていますが。

人の説明にあれこれ言うのは、それからにして下さい。

質問は結構ですが。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>>つまり、『前項と同一の主格が適用できる』場合もあることをお認めになっておられるのですよね?
⇒「が」は係助詞ではないので係り云々がそもそも誤りです。

わざと論点を外してます?
それとも質問の趣旨を理解することができない?
どちらですか?
私の質問主旨は以下の箇所。
見落としたかもしれませんので再掲して差し上げます。
答えられないなら答えられないと言うのが、せめてもの礼儀では?

>であれば、
>>「が」は個別性の認識を表わすので、<文末まで係っていると思います。>が誤りなのは明らか

とは言えないのではありませんか?

お礼日時:2019/08/25 23:19

No.12 のお礼について



1.
>>消去法であることはお認めになるということですね。
ただ、特殊性はまだ許容できるとしても、一方の選択肢を「普遍性」としていることが誤りではないのか、と申し上げています。

「は」は副助詞と係助詞しかありません。
消去法でも必然的に特殊性の副助詞になるということです。
論理的な思考を身に付けて下さい。

>>三浦が言ってることなら何でも鵜呑みにするという姿勢では真理には辿り着けません。

三浦の文章も理解できずに、一丁前の口をきくのは10年いや、20年早いです。
この思い上がりが理解の妨げとなっており、謙虚に相手に向かう必要があります。

2.
>>・桃太郎は咄嗟に算盤を取った。

当然、桃太郎という特殊性の認識を表わすもので、何を云っているのか不明です。

3.
>>そんなこともありませんか?

ありません。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11257473.html
のNO.9の応答を参照下さい。

4.
>>限定なしに指定することはできる。

し‐てい【指定】

[名](スル)
1 人・時・所・事物などを【特に】それとさして決めること。「指定の時刻」「約束の場所を指定する」
〔デジタル大辞泉の解説〕

できたら、やって見せて下さい。

5.
>>(「は」という)語は意義を表わすもので、(「は」の直前の語が)【文の「主題」であることを《示す》働きをする】

判らんひとですね~。
「は」という)語の意義ではないと言っているのに。野田の論理の誤りです。
主題とは何か、語に示すなどという機能はなく、チャランポランです。

>>(「は」という語が)指し示すのは「は」の前の(「彼」という主題提示として取り上げた)語である。。

【語】は指し示しなどしません。指し示すのは【指】です。

Oui, ca va bien, merci.

これらの語のどれかが指を出していますか。

この誤りは、別途「【語】が指示するという誤り」で問いかけました。

何故、この程度のことが理解できないのか、日本語の理解力に疑問があります。■
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

1.
>「は」は副助詞と係助詞しかありません。
消去法でも必然的に特殊性の副助詞になるということです。

?????
意味が伝わらなかったようですね。
申しわけありません、と申し上げておきましょう。
再度、わかりやすく記しますので文意をご理解なさってください。

消去法であることはお認めになるということですね。
ただ、消去法による選択というのは、積極的ではない選択を意味するのが常識なのです。
つまり、消去法によって選択された「普遍性」というものの妥当性について、アスナロウさんは何も説明していませんよね?

というのが私の趣旨です。
ご理解いただけたでしょうか?

2.
>三浦の文章も理解できずに、一丁前の口をきくのは10年いや、20年早いです。
この思い上がりが理解の妨げとなっており、謙虚に相手に向かう必要があります。

この点に関しては認めます。
ただ、『三浦の文章も理解できずに』とのことですが、論理的なご指摘については、素直に認めているはずです。
つまり、私にすれば、誰が言ったかなど何の関係もないわけ。
論理的に整合性が取れてさえいれば、(仮に同意できなくとも)十分、その言い分は尊重していますよね。
しかし、アスナロウさんの説明自体が、あまりにも妥当性を欠くものであるため、反論的に補足説明を求めざるを得ない、というのが実態なのです。
この点に、ぜひお気づきになっていただきたいと思います。

そして、ぜひ、論理的な反論によって、傲慢さを打ち砕いてください。
むろん、【論理的な反論】が可能であれば、の話ですが。
たびたび申し上げていますように、是々非々という姿勢が肝要です。
三浦が言っているから、とか誰それが言っているから、などというたわごとを根拠とする愚はお避けにならないと。

3.
>・桃太郎は咄嗟に算盤を取った。
⇒当然、桃太郎という特殊性の認識を表わすもので、何を云っているのか不明です。

つまり、「算盤を取ったのは桃太郎以外の人間ではない、という意図がある」という意味ですか?
この感覚がまったくわからん。

4.
>できたら、やって見せて下さい。

「応募資格を二〇歳以下に限定する」
「応募資格を二〇歳以下に指定する」
この差異がわからなければ、何を言っても無駄でしょう。
以下補足欄へ。

お礼日時:2019/08/25 23:14

NO.9 お礼欄について



1.
>>「特殊性」とする根拠の曖昧さについて問うているところ。
普遍性じゃないから特殊性しかないよな・・・的な判断ではないのか?

二者択一なのでそうなります。必然の選択で、曖昧ではありません。
これが論理的ということです。

2.
>>判断辞じゃないですよね?
ということ。

だから何なのですか?
独断の、曖昧語法は止めて下さい。

3.
>>『次郎や三郎ではなく』という想定をする必然性はないのではないか?
と申し上げている。
そう思いませんか?

思いません。
対象の特殊性の側面を捉えた表現であること、客体世界の立体的な在り方が理解できていないための妄言です。

4.
>>特定(限定)か単純指定かの違いでしょう。

限定なしに単純との判断はできませんが。曖昧な論理的根拠のない区分です。
そんなことわからないで、あれこれおっしゃっていたのですか?

5.
>>野田は、
・(「は」という)語は意義を表わすもので、(「は」の直前の語が)【文の「主題」であることを《示す》働きをする】と言っているのです。

判らんひとですね~。
「は」という)語の意義ではないと言っているのに。野田の論理の誤りです。

>>「は」を対象ではなく主格として捉えた場合

毎回指摘していますが、格は客体に対する格付けで「は」は主体的表現の語です。
本をちゃんと読んで下さい。

>>懸案の場合は、
・(「は」という語が)指し示すのは「は」の前の語です。

語は「指す」ものではないと言っているのが理解できませんか?

Oui, ça va bien, merci.

これらの語が何か《指し》ているように見えますか?■
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

1.
>普遍性じゃないから特殊性しかないよな・・・的な判断ではないのか?
⇒二者択一なのでそうなります。必然の選択で、曖昧ではありません。
これが論理的ということです。

消去法であることはお認めになるということですね。
ただ、特殊性はまだ許容できるとしても、一方の選択肢を「普遍性」としていることが誤りではないのか、と申し上げています。
三浦が言ってることなら何でも鵜呑みにするという姿勢では真理には辿り着けません。

2.
>判断辞じゃないですよね?
ということ。
⇒だから何なのですか?

会話の文脈に忠実に従っているだけなのですけどね。
『係助詞の場合は結びの判断辞が続くのが普通です。』とおっしゃいましたが、
・桃太郎は咄嗟に算盤を取った。
という文の場合、係助詞だと思いますが、判断辞じゃないですよね?
という意味で申し上げたところです。
いや、しかし、今思いましたが、ひょっとしてこれも特殊性だとおっしゃいますか?

>独断の、曖昧語法は止めて下さい。

留意いたします。

3.
>『次郎や三郎ではなく』という想定をする必然性はないのではないか?
と申し上げている。
そう思いませんか?
⇒思いません。
対象の特殊性の側面を捉えた表現であること、客体世界の立体的な在り方が理解できていないための妄言です。

う~む。(ー_ー;)
そこまでおっしゃるなら、もう少し考えてみます。
しかしですね、こうしたお考えゆえ、

・紫式部は源氏物語の作者だ。

という文の紫式部は特殊性の認識であり、

・清少納言や小野小町ではなく、紫式部は源氏物語の作者だ。

という意味だ。
という妄言につながっているような気がするのですが、そんなこともありませんか?
何か弁明がございましたら伺います。

4.
>特定(限定)か単純指定かの違いでしょう。
⇒限定なしに単純との判断はできませんが。曖昧な論理的根拠のない区分です。

単純指定とは「限定の意図のない指定」という意味。
限定なしに指定することはできる。
「単純」という語の係る先を判断できないため起こる勘違いです。
「応募資格を二〇歳以下に限定する」
「応募資格を二〇歳以下に指定する」
この差異を理解できないようでは困りますね。

以下補足欄へ。

お礼日時:2019/08/25 17:46

NO.10 のお礼について



>>あくまで後項に対しても前項と同一の主格が適用できる、という意味。

同一の主格が適用できない例文を挙げていますが?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。


・父が晩酌をすると、必ず(父はすぐに)酔っぱらう。
・父が晩酌をすると、必ず(一緒にいるタマが)酔っぱらう。

の通り、「酔っぱらう」の動作主は不定です。

とおっしゃっていますよ。
つまり、『前項と同一の主格が適用できる』場合もあることをお認めになっておられるのですよね?
であれば、
>>「が」は個別性の認識を表わすので、<文末まで係っていると思います。>が誤りなのは明らか

とは言えないのではありませんか?
ということを申し上げているのですが。
そんなに難しいですかね?

お礼日時:2019/08/25 16:54

NO.7 のお礼について



>>「が」は個別性の認識を表わすので、<文末まで係っていると思います。>が誤りなのは明らか
とはならないのでは?

先の例文を読まれましたか?

この誤りが、No.2で指摘した。

(1)太郎が部屋に入ると、すぐに窓を開けた。
(1)では、窓を開けたのは太郎ではない。【さきに部屋にいた誰か】

という誤りに繋がっています。ここでも、誰が窓を開けたかは不定で、

・太郎が部屋に入ると、(太郎は)すぐに窓を開けた。
・太郎が部屋に入ると、(次郎は)すぐに窓を開けた。
・太郎が部屋に入ると、(父は)すぐに窓を開けた。
・太郎が部屋に入ると、(彼女は外から)すぐに窓を開けた。

のようになります。/

このように文末まで係っていませんが。
これで、係っているのですか?
係っているとは、何を云われているのでしょう?■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>先の例文を読まれましたか?
>・太郎が部屋に入ると、(太郎は)すぐに窓を開けた。

同様のことを#1お礼欄で述べています。

>係っているとは、何を云われているのでしょう?

繰り返しで恐縮ですが、すでに申し上げたとおりで、

ここでの「係る」は文法的なことではなく、あくまで後項に対しても前項と同一の主格が適用できる、という意味。

お礼日時:2019/08/24 23:54

No.8 のお礼について



1.
>>『この場面は普遍性を述べているのではないので、』ということからも、消去法で『特殊性を表わす副助詞になります』とおっしゃっているのではないでしょうか。
と申し上げている。

だから何なのですか?

>>・桃太郎は咄嗟に算盤を取った。
という文も成立するかと。

だから何なのですか?

>>(2)太郎は部屋に入ると、すぐに窓を開けた。
の太郎が、どんな意味で『特殊』なんですかね?

次郎や三郎ではなく太郎という人の特殊性です。

>>・他の誰でもなく太郎【が】、すぐに窓を開けた。
という意図の文でないと言って良いことは明白だろうと思うのですが。

「太郎が」なので、「太郎は」とは当然異なる文です。
だから何なのですか?
最後まで明確に書きましょう。

2.
>>「が」の個別性に関しても、特記と中立叙述という2面性があるはずです。

客観的対象の在り方は「個別/特殊/普遍」しかありません。
特記と中立叙述という2面性は文の意味の問題で、次元が異なります。

そもそも、この特記と中立叙述とは何かの概念規定が不明です。
客観的対象の在り方のような具体性、論理性がありません。
無意味な曖昧な概念です。
定義を示して下さい。

>>【<「は」は,聞き手にとって関心がありそうな名詞の後について,その名詞がその文の「主題」であることを示す働きをするのだ>】と言っているわけで、これがまさしく答えでしょう。

何度言っても理解できませんね~。呆れます。
語は意義を表わすもので、【文の「主題」であることを《示す》働き】などありません。
指し示すのは指です。

>>つまり、人には《聞き手にとって関心がありそうな事柄を主題として取り上げたい》という願望をアプリオリに持っているということじゃないですかね。

まあ、俳句や短歌を作るのはそうかもしれませんが。
「は」とは何の関係もありません。
主題とはなんですか。
俳句の季語は主題を表わしますが。■
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

1.
>『この場面は普遍性を述べているのではないので、』ということからも、消去法で『特殊性を表わす副助詞になります』とおっしゃっているのではないでしょうか。
と申し上げている。
⇒だから何なのですか?

「特殊性」とする根拠の曖昧さについて問うているところ。
普遍性じゃないから特殊性しかないよな・・・的な判断ではないのか?
ということですね。

2.
>・桃太郎は咄嗟に算盤を取った。
という文も成立するかと。
⇒だから何なのですか?

判断辞じゃないですよね?
ということ。

3.
>(2)太郎は部屋に入ると、すぐに窓を開けた。
の太郎が、どんな意味で『特殊』なんですかね?
⇒次郎や三郎ではなく太郎という人の特殊性です。
⇒「太郎が」なので、「太郎は」とは当然異なる文です。
だから何なのですか?

ですから、この文のような状況で『次郎や三郎ではなく』という想定をする必然性はないのではないか?
と申し上げている。
そう思いませんか?

4.
>そもそも、この特記と中立叙述とは何かの概念規定が不明です。
客観的対象の在り方のような具体性、論理性がありません。

『特記と中立叙述という2面性は文の意味の問題』と言うわりには、
『この特記と中立叙述とは何かの概念規定が不明』と断定なさる。
かなり曖昧な発言ですね。(笑)
特定(限定)か単純指定かの違いでしょう。
そんなことわからないで、あれこれおっしゃっていたのですか?

5.
>語は意義を表わすもので、【文の「主題」であることを《示す》働き】などありません。
指し示すのは指です。

正確に書くとご自身の不合理性が明らかになると思います。

・語は意義を表わすもので、【文の「主題」であることを《示す》働き】などありません。

とおっしゃいますが、野田は、

・(「は」という)語は意義を表わすもので、(「は」の直前の語が)【文の「主題」であることを《示す》働きをする】

と言っているのです。特に、

・指し示すのは指です。

と言えるのは、

・(「は」という語を)指し示すのは指です。

という場合。
懸案の場合は、

・(「は」という語が)指し示すのは指です。

というよに、「は」を対象ではなく主格として捉えた場合の「指し示す」なので混同なさいませんように。

以下補足欄へ

お礼日時:2019/08/24 23:47

No.4 のお礼について。



1.
>>この場面で太郎が『特殊性』である必要はないのではないか?
いう疑問です。

「は」は副助詞か係助詞かのどちらかです。
この場面は普遍性を述べているのではないので、特殊性を表わす副助詞になります。係助詞の場合は結びの判断辞が続くのが普通です。

吾輩は猫である。
箱根の山は天下の嶮。

のように。

2.
>>「立体的な階層構造=普遍や特殊」だと捉えたのですが。

いいえ。「立体的な階層構造=個別/普遍/特殊」です。

3.
>>これを意義じゃないと言われてしまうと。

「に」「へ」の時から行っていることです。この意義と意味の相違と関連が理解できていないところが致命的です。
ソシュールパラダイム下の言語実体観の発想ではそうなるのが論理的必然だと以前から指摘していますが。

当然、野田尚史もこのパラダイム下でしか思考できていないということです。それゆえに、頓珍漢な「は」「が」論を展開しており、この点をAmazon レヴューで指摘しています。■
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

1.
>この場面で太郎が『特殊性』である必要はないのではないか?
いう疑問です。
⇒「は」は副助詞か係助詞かのどちらかです。
この場面は普遍性を述べているのではないので、特殊性を表わす副助詞になります。係助詞の場合は結びの判断辞が続くのが普通です。

吾輩は猫である。
箱根の山は天下の嶮。

『この場面は普遍性を述べているのではないので、』ということからも、消去法で『特殊性を表わす副助詞になります』とおっしゃっているのではないでしょうか。
と申し上げている。
また、
・桃太郎は咄嗟に算盤を取った。
という文も成立するかと。

(2)太郎は部屋に入ると、すぐに窓を開けた。

の太郎が、どんな意味で『特殊』なんですかね?

・他の誰でもなく太郎が、すぐに窓を開けた。

という意図の文でないと言って良いことは明白だろうと思うのですが。

2.
>「立体的な階層構造=普遍や特殊」だと捉えたのですが。
⇒いいえ。「立体的な階層構造=個別/普遍/特殊」です。

なるほど。
『「が」が、(立体的な階層構造を持っているのではありません。
(立体的な階層構造を持っているのは、対象であり、その反映としての話者の認識です』
とおっしゃった箇所について勘違いしていたようです。
しかし、改めてお伺いします。
「は」に関しては、普遍/特殊という2面性に触れておられますが、
「が」の個別性に関しても、特記と中立叙述という2面性があるはずです。
これが「立体的な階層構造」として取り上げられてないのはなぜなんですかね?
素人としては、こうした素朴な疑問に答えていただくと、非常に有難いのですが。
個人的には、
・普遍ー中立叙述
・特殊ー特記
のように対応しているはずなので、対照的に解説できれば、非常にわかりやすい構図になると思うわけです。

以下、補足欄へ。

お礼日時:2019/08/24 21:15

NO.6 のお礼について



>>『個別性の認識を表わす』と、なぜ<文末まで係っていると思います。>が誤りになるのか?

個別の側面、対象に対する判断を述べた後は、次にどの対象向き合うかは、具体的に指定されない限り、文脈から判断するしかないということです。そのままでも良いし、別の対象に向かってもかまわないので。

特殊、普遍の側面、対象に向き合えば、その特殊性、普遍性への認識がそのまま継続し、その中の個別、特殊に向き合う認識構造になります。

それを、切り替えるのであれば、その旨表現することになります。

>>ここでの「係る」は文法的なことではなく、あくまで後項に対しても前項と同一の主格が適用できる、という意味であることぐらい理解してくださいよ。

当然で、だから上記のように、継続する立体的な認識構造の表現を係ると呼ぶ、文法的な用語です。「係り結び」というように。

中学校の文法を正しく理解して下さいと再三再四指摘しています。勝手な、思い付きのチャランポランな用語では混迷するだけです。というのは、このことを指していますが。

指摘した例文の意味は理解できましたか。
ようは、主節の主語は誰でも、犬でも猫でも酔う主体であればOKということです。
「は」の場合は、そうはなりません。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>個別の側面、対象に対する判断を述べた後は、次にどの対象向き合うかは、具体的に指定されない限り、文脈から判断するしかないということです。そのままでも良いし、別の対象に向かってもかまわないので。

であれば、
>「が」は個別性の認識を表わすので、<文末まで係っていると思います。>が誤りなのは明らか

とはならないのでは?

お礼日時:2019/08/24 20:10

No.5 について。



>>私には、「父がお酒を飲むと、(飲んでいない)母が(酒の臭いだけで)酔っ払う」というような状況しか思い浮かべることができません。
つまり、私には「父が酒を飲む」→「父が酔っ払う」とは解釈できないのです。

「が」は個別性の認識を表わすので、<文末まで係っていると思います。>が誤りなのは明らかですが、<「父が酔っ払う」とは解釈できないのです。>は誤りです、

・父が晩酌をすると、必ず(父はすぐに)酔っぱらう。
・父が晩酌をすると、必ず(一緒にいるタマが)酔っぱらう。

の通り、「酔っぱらう」の動作主は不定です。

この誤りが、No.2で指摘した。

(1)太郎が部屋に入ると、すぐに窓を開けた。
(1)では、窓を開けたのは太郎ではない。【さきに部屋にいた誰か】

という誤りに繋がっています。ここでも、誰が窓を開けたかは不定で、

・太郎が部屋に入ると、(太郎は)すぐに窓を開けた。
・太郎が部屋に入ると、(次郎は)すぐに窓を開けた。
・太郎が部屋に入ると、(父は)すぐに窓を開けた。
・太郎が部屋に入ると、(彼女は外から)すぐに窓を開けた。

のようになります。
このように、話者の認識の立体的な構造を正しく捉えないと判断を誤ります。
「が」の意義が正しく捉えられていないためです。

この事実は、野田尚史、質問者、Syntactic_Structures氏の「は」「が」論、文法観、言語観がいかにお粗末かを明証するものです。

>>アスナロウ氏もAmazonで見当違いの批判されています

具体的な指摘を戴けるとありがたいのですが。
正しいご指摘的であれば、反省の材料とさせていただきたく。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「が」は個別性の認識を表わすので、<文末まで係っていると思います。>が誤りなのは明らかですが、

この因果関係がよくわかりません。
具体的にどういう意味ですか?
つまり、

『個別性の認識を表わす』と、なぜ<文末まで係っていると思います。>が誤りになるのか?

ということ。
また、ここでの「係る」は文法的なことではなく、あくまで後項に対しても前項と同一の主格が適用できる、という意味であることぐらい理解してくださいよ。
こうした些事に拘るから、なかなか前へ進まないのです。

お礼日時:2019/08/24 14:16

>・父が晩酌をすると、必ず酔っぱらう。


>などは、文末まで係っていると思います。

これはちょっとびっくりです。
私には、「父がお酒を飲むと、(飲んでいない)母が(酒の臭いだけで)酔っ払う」というような状況しか思い浮かべることができません。
つまり、私には「父が酒を飲む」→「父が酔っ払う」とは解釈できないのです。

文末までかけるなら、「父は」とする必要が(私には)あります。




>野田氏については全面的に肯定すべきかどうか

ここでの野田氏の見解というのは恐らくこれが元ネタでしょう。


「は」と「が」 (新日本語文法選書 (1)) 1996/11/1
野田 尚史 (くろしお出版)

アスナロウ氏もAmazonで見当違いの批判されていますが、あくまで、90年代までの国語学・日本語学で得られた成果をまとめたものです。
もちろん、オリジナルな見解もありますが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>・父が晩酌をすると、必ず酔っぱらう。
>などは、文末まで係っていると思います。
⇒私には「父が酒を飲む」→「父が酔っ払う」とは解釈できないのです。

Syntactic_Structuresさんの感覚はよくわかります。
たしかに、あまり使う機会の少ないシチュエーションだとは思います。
ただ、たとえばですが、
「お金は落ちている」
を不自然にお感じになるようなものじゃないだろうか、という気がします。

・お父さん、晩酌が楽しみだと、いつも言ってますよ。
・父が晩酌をすると、必ず酔っぱらうちゃうのよね。だから本当は、あまり飲んでほしくないのよ。
などと娘さんが愚痴る場面などでは使えそうに思われませんか。

晩酌をすること自体に反対ではないのだが、「父に限っては、」という意図で特記のガを使う。
たしかに特殊性のハという解釈もできるかと思いますが、この文は父について何らかの判断を示そうという意図ではなく、あくまで「晩酌をする」という事実に言及して、順接仮定の「と」につなげる意図ではないかと思う次第です。

お礼日時:2019/08/24 14:05

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