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LGBTの偏見は昔と比べと少なくなってきたしたね。
そして平成も終わり「偏見」自体少なくなってきたよう「思えます。

逆に、この偏見は無くなったらダメだろという偏見は有りますか?

A 回答 (5件)

「偏見」を無くす為に、「傾向」が見えなくなるのはダメだと思います。


例えば世代。
バブル世代、ロスジェネ世代、など世代による傾向はあり、問題もあり、その解決方法も違います。高齢者の交通事故の問題などもそうですね。

出身地もそうです。場所によって犯罪率も違うし、収入も違う。国内、国外両方です。それによって行政の対応も変えなくてはいけない。「偏見」「差別」とつながりやすいですが、「傾向」は正しく知らなくてはなりません。
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逆に、この偏見は無くなったらダメだろという偏見は有りますか?


 ↑
男らしさ、とか、男はかくあるべし、なんて
偏見。

社会学者の「森岡 淸志 (放送大学特任教授)」
によりますと、女らしさを言うと批判されるが、
男らしさはそれほどではない。

これは男から男らしさを奪った場合の社会に
与えるインパクトが強いからだ、そうです。

男は家族に対して責任を持て、稼げ、
男なんだから。

そうした偏見が無くなったら、社会が、家族が崩壊
するかも知れない。

米国の某経済学者も指摘していました。

経済発展するか否かは、男の責任感にかかっている。
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偏見は無くすべきで有り無くなったら駄目というものでは本来では無いのですが個人的に、子供を放置する親に対して子連れで放置する親に対しては虐待だと偏見はあっても良いと思いますよ。

走り回っていても無視、スーパーで子供がコマを回していても無視、ずっとスマホいじりまくりの親だったら偏見しても良いと思いますよ。個人的に泣いても良いよステッカーは、やる事やってからノイローゼになってる親に対して店主がうちの店なら大丈夫と貼るステッカーを勘違いした親が自作して泣いても良いよステッカーを貼って子供が泣くことを放置するために貼ってるやつだけは偏見しますね。
きちんとあやしたり、叱ったりする方ならつけても良いと思うのですが。
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ご質問の意図と多少ズレることになりますが、興味深い話題だったので反応してしまいました。


「そういうこと訊いてんじゃないんだけど」ということでしたらスルーしていただければと思います。

LGBTに対する偏見。
確かに「昔と比べれば」減ってきているとは思います。
しかしまだまだ、かなり根強く残っているとも感じています。
たとえば職場の同僚との雑談で「同性愛をジョークにする」なんてことは、(もちろん昔と比べれば減りましたが)未だになくなることがありません。
「○○君は(右手の甲を左頬に当てる動作をして)こっちの人だからなー」みたいなことを、(陰口というわけではなく悪気のないジョークとして)口にする人は、未だにたくさんいます。
「同性愛をジョークにする」ということが悪いことだと思っておらず、それによって傷つく人がいるかもしれないことを、全く考えていないのです。
「同性愛者も異性愛者と同じように誰かを愛し、異性愛者と同じように生活している」ということが理解できない、偏見による問題です。

また、私の会社は年に一度、職場の全従業員を対象にした「人権研修」のようなものをやっているのですが(セクハラやパワハラなどの話題がメインです)、数年前に、その人権研修の場で「セクシャル・マイノリティの人権」についての講習を私にやらせてくれないか、と会社に打診したところ、人権研修の担当である上司に「なに?ぷりんたい君(私)ってソッチの人なの?」という意味合いのことを言われました。
これは「同性愛者を支援する人も同性愛者だ」という偏見から出てくる言葉です(言う必要のないことかもしれませんが、私は異性愛者です)。
たとえば「障害者の権利についての講習」をやろうとしている人に向かって、「え?あなた障害者だったの?」なんて言う人はいませんよね?
それと同じことであって、「健常者だろうと障害者だろうと異性愛者だろうと同性愛者だろうと、同じように人としての権利を認める」という講習をやりたいと会社に具申したら、あろうことか「人権研修を取り仕切る上司」に偏見にまみれた言葉をぶつけられたのです。
(余談ですが、きちんと説明したら上司は理解してくれて、それから現在まで毎年、セクシャル・マイノリティの人権についての講習を担当させていただいております)

少しずついい方向へ向かっていることは確かなのですが、それでもまだまだ、多くの人がLGBTに対する偏見を持っているのだと、日々の中で強く感じています。
また、LGBTに関するものだけではなく、他の様々な分野についても、「昔と比べれば」という但し書きをつけなければ「減った」と表現できないのではないかと、個人的には思います。
現在においても様々な偏見はとても強く残っており、昔よりは「マシ」になったということに過ぎないのではないか、昔より「マシ」になったことで満足してはいけないのではないかと、私は思うのです。



これだけだとあまりにもご質問の趣旨から離れていますので、「この偏見は無くなったらダメだろという偏見は有りますか?」という所にも言及いたしますと。
個人的に、「無くなったらダメな偏見」というものは存在しないのではないかと思います。
「偏見」というのは読んで字の如く「偏った見解」のことで、ある一方の視点だけにとらわれた見かたのことです。
物事を判断するときにはあらゆる視点から見て総合的に判断するべきものですが、それを一方向からの視点のみで判断してしまうことを「偏見」というのです。
つまり偏見というのは、その人が物事を判断するだけの適切な情報を持たない(あるいは敢えて無視している)状態の見解、ということなのです。
「物事を判断するだけの適切な情報を持たない状態の見解」は、全部なくなっていいと思いませんか?
最終的にどのような結論に至るとしても、適切な情報を全て得た上で判断するべきですよね?
ですので、「偏見」というものはその内容に関わらず、全て無くなっていいものですし、無くなるべきものだと考えています。
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うーん、根拠に基づくものはそうかな?



例えば、入れ墨の人の多くは、他人を威圧するために入れている=他人を威圧し、気に入らなければ危害を加える可能性が高い人。
もちろんそうでない人もいますが、無警戒だと危険が増します。
子どものいるプールなどに入場できなくなるのはやむを得ないことかと思います。

あとは同じように男性への偏見…とか。
女性への偏見って、結構男が作り出した妄想の産物だったりしますけど(女性はネチネチしてる、とか、女性はすぐ若い子をひがんでいじめる、とか)、
男性への偏見って主に犯罪やセクハラをする率の高さから来ています。
犯罪をしない人でも、「法律さえ許せば」したいと思っているとか、
冗談でも普通の会話で女性を加害することを言うとか、差別して侮辱する、奴隷扱い(食事を作らせておいて連絡もなく飲み会に行くとか、二人の子どもなのに子育てを全て押し付けるとか、男性同士なら絶対にしないことをする)をするとか、「女」というコンテンツ扱いで人間扱いしないとか。
そういった男性が身の回りに一人もいない、なんて環境になったことがありませんから、それは警戒するに決まっています。
こちらも入れ墨の人と同じく、無警戒だと危険なので、男性=危険度が高い、性的搾取をもくろんでいる可能性があると考えておかないといけません。
もちろん、そのような危険な男性がいなくなれば、その偏見もなくすべきだとは思いますが…
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