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医師よりこんな酷いアスペルガーの人は見たことがない、仕事も家庭も一切持てないほどコミュニケーション能力がないと言われて手帳と年金の3級を二次障害も知的障害もなくアスペ単独でもらったものです(誇張ではなくて事実を述べてます。以前指摘されたので断っておきます)。
現在も一般枠で就労し妻子も持っています。破綻はしてないです。

ADHDにしろASDにしろ、健常者の社会の中で生きようとするなら健常者よりも自分と社会との折り合いで苦労を買ってするべきだと思うのですが間違っていますか?

自分に合う仕事、自分に合う学校、自分に合う交友関係

どれにしてもトライ&エラーを繰り返す中で痛い思いや辛くて悲しい思い。死にたいとすら思うほどの絶望と付き合いながら、自分の特性や長所短所を理解し、対応策を自分なりに考えていくことが大切だと思うのですけど、こういう話をすると当事者や関係者の何割かは耐えられない、もっと楽な方法があるというのです。
でも具体的にこういう方法がいいとは言ってくれませんが。

例えば支援が必要でも、どんな支援が必要かは提案や教えは乞うても、最後は自分で選ぶべきで、そのためには自分が何を必要としているかを理解しなければならない。
そのためには成功と失敗を積み重ねて自分の特性を把握し、失敗を減らすための支援や努力をするべきだと思うのですが、間違っているんでしようか?

自分が絶対正義とは思わないのですが、では違うという人はどのように社会に適応しているのか、当事者会の人やネットを見ていてもよくわからないとか、それ適応してないんじゃ?と思うことが多くて

私が間違っているならもっと簡単に社会に対応する方法があるのでしょうか?
それとも細部や個人の適正で違うことはともかく基本方針は間違ってないのか?
皆様の思うところを教えていただけないでしょうか?

どうにも他人に頼って社会が対応してくれないと嘆く人たちの気持ちに共感できない自分がいて、納得できる答えはないかと思いまして。

よろしくお願いします

A 回答 (7件)

「仕事も家庭も一切持てない」等と本人に言ってしまうような医師・病院にまず問題があるように感じますので、


別の評判の良い病院を紹介していただけば、より良い検査を受けられたり、良いアドバイスを頂けるかもしれません。

ADHDにしろASDにしろ、全ての人がコミュニケーション能力が低いわけではありませんし、人から嫌われてしまうような特性を持っている人ばかりでもありません。
困り感の程度も特性・気質も人それぞればらばらで、困り感の改善方法も考え方もスピードも人それぞれです。
ですから、質問者様が誰かの考えを否定すべきではないと思いますし、質問者様のお考えを誰かが否定すべきでもないと思います。


トライアル&エラーしながら、特性理解し、自分なりの対応策を考えていくことが大切であることは、既に多くの当事者・支援員の共通理解になっていると思いますが、
そのために「死にたいとすら思うほどの絶望と付き合うこと」が必須であるとは、私は思いません。
これから発達障害ケアを受ける人たち、若い世代の人たちには、できるだけ苦痛の少ない方法でそれができるよう、色々な人が今試行錯誤している最中だと思います。
世界中でSDGs・不平等をなくそう等の考え方も広まってきています。

社会が対応してくれないと嘆いてばかりではなかなか問題は解決しないと思いますが、
社会の側にも変わるべき所はあり、今ちょうどそれが変わりつつあります。

例えばLGBT等のセクシュアルマイノリティーの方々に対しても、社会全体が差別をするかしないかで、当事者の方が適応できるかできないかは、大きく変わってきます。
身体障害者の方々の場合も、設備・仕組みが整っているかいないかで、当事者の方が社会に適応できるかできないかは、大きく変わってきます。

多数派・少数派どちらか一方ではなく、お互いに歩み寄る必要があるのではないかと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

通っている病院が地域で一番評判が良い病院だったりします

仰ることは分かりますが、どうにも若い世代が受けている(研究されている?)苦痛を軽減する方法が自分に有効なのか疑問です
これは改めて質問させていただこうと思います

歩み寄る幅が問題で、私個人は我々少数派がより多く歩み寄るべきと思うのですがたぶん考えが違うのでしょうね、難しいです

ありがとうございました

お礼日時:2019/12/21 10:51

自分もその傾向ですが、職も続かずフルタイムで一度も働けず、昔からいじめられ、ケンカばかりで友達もおらず彼女なしの生活。

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この回答へのお礼

ありがとう

私の場合、運がよかったとは思います。巡りあわせですね、ありがたいことです。
友達はいないし不満ばかりなのは私も似たようなものだと思うのでお互い頑張りましょう

お礼日時:2019/12/21 10:54

異端ではないと思いますが、



>発達障害者は人一倍の苦労すべき


人一倍の苦労

を→

人一倍の努力

のほうがしっくりきませんか?


度が過ぎる苦労など精神力がすり減って
二次障害になるだけで何にもなりません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
申し訳ないですが全くしっくりきませんでした

すいません

お礼日時:2019/12/21 10:45

間違っていないと思います。

トライアンドエラーで適職、居場所を見つけられればストレスが減り幸せに暮らせるのは健常者も同じだと思います。自分にしか分からない、やって失敗しないと掴めない、も同じ土俵だと思います。もっと楽な方法を求めていたら、発達障害の人は全て就労支援施設の単純作業で終わってしまい家庭すら持てないのでは。質問者さんはアスペルガーの方の理想的な生き方だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2019/12/14 11:22

そういう他人の気持ちに寄り添えないところがアスペルガーなんじゃないですかね?



人一倍苦労させると、単純計算で普通の二倍の挫折者が出て、社会復帰できなくなるのです。
そのサポートどうするの?その費用も人材も時間も全体で二倍以上発生する。

で、発達障害は健常者とボーダーラインの線引であって、障害の程度はピンきりですので一律な対応できません。
Aさんの人一倍とBさんの人一倍の合格ラインは全く別の次元ですし、健常者の要求する人一倍は健常者レベルの二倍ですので、ほぼ全員が達成できません。
個人個人の努力目標が違うのに誰が認証するのでしょう?

理想的な社会としては、「他人と比較せずに、自分らしく、できるだけ困難なく、生を全うするまで人生を充足できること」的なわけですから、
他者や弱者に困難を押し付け、人一倍の努力を強いる社会って、溺れる人間同士で足を引っ張り合ってるだけで
理想からかけ離れた歪んだ着地点しかないと思いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

そうですね、私は自分の経験してないことには寄り添えません。分かりませんから。医師から(以下略)ですから
その自覚の上で教えてほしいですが

>他人と比較せずに、自分らしく、できるだけ困難なく、生を全うするまで人生を充足できること

理想ですが現実にどこにそんな世界がりますか?私は出会ったことがないです、運がないだけかもしれませんが

>他者や弱者に困難を押し付け、人一倍の努力を強いる社会って、溺れる人間同士で足を引っ張り合ってるだけで

ここもわからないです。他社や弱者の困難ではなくて自身の困難だと思いますが、自分が何とかしようとすることは足の引っ張り合いですか?
同じようなことを前にもどこかで言われた気がします

具体的jに理想的社会がどこにあるか?
劣るものが追い付こうと刻苦努力することは理想からどうかけ離れているか教えていただけると嬉しいです

何しろ健常者のように寄り添えないもので、せめて知見を得て真似事だけでもしたい次第です
よろしくお願いします

お礼日時:2019/12/13 11:34

おっしゃることに概ね共感します。



たとえば四肢欠損がある障害者は、どう考えても健常者より苦労せざるを得ません。
その苦労を乗り越えて社会と折り合っていく必要があります。
地球上からすべての段差を取り除いて地球規模のバリアフリー化などできませんから、
その苦労は原則的に本人が請け負うべきです(すべてとは言いませんが)。

ただしこの場合は物理的な障害として目に見えるからわかりやすいという特徴があります。
そのわかりやすさとは、障害がわかりやすいことも当然ながら、
それをバリアフリー化しようとしたらすごいコストがかかるよね、簡単じゃないよね、ということもわかりやすいのです。

しかしADHDやASDなどの障害は物理的ではなくわかりにくいので共感されにくいという特徴があります。
また、周囲がその障害に対してバリアフリー化しようとしたら、物理的なコストではなくて、
対応の仕方を工夫するなどの作業コストを求められることになります。

作業コストは物理的コストや金銭的コストのように目に見えにくく、かつ気楽な扱いをされるので、
「そういうコストならみんな気軽に払えるだろ」と思われがちなのではないでしょうか。

それが「社会が対応してくれないと嘆く人たちの気持ち」なのではないかと私は思います。

いやいや、物理的コストも金銭的コストも、そして作業コストも、
すべて等しく「コスト」なのですよ、簡単に払えるものではないのですよ、と私も言いたいです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

作業コストですか、自身の努力と改善と受け止めてよいでしょうか?
それなら共感をもって納得できそうです。私自身失敗は山ほどしてますし、認められないつらさは身をもって体験してますから。
確かに簡単に払えませんね、でも払わないと適応できませんし、それに適切な評価を欲しいということなのでしょうか?

理解に間違いがあったら指摘していただけるとありがたいです

ありがとうございました

お礼日時:2019/12/13 11:34

現代のようなネット社会においては、コミュ力など然程重要ではなくなってきています。


それぞれの資質において、適正な能力を発揮するための基盤作りという観点からは、貴殿の趣意に賛成するものです。
然しながらどこに行っても嫌われてしまうような人間だと、社会生活を営むことに於いては、
並々ならぬ苦労を伴うという事実は、健常者であれ障害者であれ違いはないはずでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

私を含め嫌われる人が嫌われないための苦労をするのは、何にしろ大変だと思います。理解でなく共感できればというのが私の場合の課題です。

ありがとうございました

お礼日時:2019/12/13 11:22

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