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聖書はその最終章でハルマゲドンが到来することを教えていますね。
オウム真理教も聖書の教えに従いそのハルマゲドンを実践してみせました。
あらゆる小説や物語の核心的部分はその最終章に現れるものです。
聖書においてはその核心部分はハルマゲドンです。
イエス・キリストの奇跡物語はなぜハルマゲドンに発展するに至ったのでしょーか?

A 回答 (10件)

ハルマゲドンは忌避すべき事態です!



それは代替予言を用いてでも、起こさせてはならない。

されども人は目覚める刻…
それが近付いています。

目指すべきは許しあうジャジメントです!


それでも罪の確認と、どうしても放置できない咎人を
公正に(死刑の系統なく)
人権を守り、投獄するなどして、速い時間での改心を目指します。


今世紀は人類が戦争をなくし、手放した世紀
そうなるべきなのです

それでなければ人は、宙の彼方にまで争いを持ち込む

それでなければ人は、
 綺麗なまま、宇宙世紀には至れない。

 立ち上がるべき紳士たち、そして淑女たちがこの時代に必要です。


人の死なない、論理でノゥェブ戦闘。
それが、予想される
ジ (The)・hardなる戦い。


ラグナロク・ジャジメント・ジハードなるアーマゲスト!


さぁ、星の息吹、魂の存在価値を継承し、

私達は歩き出しましょう‼
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イエスキリストは 東洋人ですよ

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果たして戦争のイデアというのが有るのかhs臨戦が、


まあ、何らかの戦争が関係して宇野d章ね。
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遠い未来を考えるより今生きることを考えろ!聖書を読めば自ずと分かる。

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ユダヤ人の民族史(旧約)じたいが、一度はカタストロフィを経験していることも、影響を与えてはいないでしょうか。



楽園を追放されたアダムも、故郷を捨てたアブラハムも、エジプトを脱出したモーセも、
そして異民族の捕囚となり世界に散らされた十二支族も、
彼らの苦難の旅が始まったその時からすでに、終わりへと向かう物語なのかもしれない。

血脈にあってやがてもたらされる、これまでの世界の終焉という結末は、
物語の着地点としてはむしろ自然の流れだと思います。

「はじめに神が」で始まった物語が、「ついに神は」の大団円に向かった結果ではないでしょうか。
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広げるだけ広げすぎた物語を伏線回収しきれなくなったときの最終手段です


幼児が積み木で遊んで最後はぶっ壊すのとほぼおなじロジック
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あえて意味をさぐるならですが。



終末論というのは: 

ひとつに聖書一般としても《すべては表現の問題である》という大前提に立っており

そうしますと それぞれの表現をとおして聴く者読む者のあたまや心に想像の世界が
広がっていくということです。

この想像の世界は ハルマゲドンの問題としては 未来の果てと言いますか世の終わ
りについて述べています。

そして 表現の問題という視点を持ち出すと このような――過去のみなもとという
時点もそうなりますが――終末という時点も じつは この《いま・ここ》という現
在時に収れんしてきます。

過去と未来とは 現在時に言わば――過去は記憶として現在であり 未来は 予期と
して現在であるというかたちで――おさめられます。


言わばその意味において 現在は 《永遠の現在》という見立てにもなります。


つまりは 終末論が何らかのかたちで描かれているなら その出来事を想像すること
において 現在なるわれが 多少は より確実に――みづからの考えにおいて――位
置づけられてきます。

言いかえると 現在なる(実存としての)われの位置づけがたしかなものとなり 生
きることの視野がひろがり ちからをも与えられえます。


もっとも 勧善懲悪というかたちで 終末がすべて描かれているとしたら それはあ
まり(または ほとんど)意味がない。と思います。なぜなら ただの憂さ晴らしに
しか過ぎないからです。


要するに ハルマゲドンは イエスとも聖書とも何の関係もありません。
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まあ「最後の審判」だけだと 「終わりまで長いから 気長に行こうや」となって 教会に頼る人が減る。


もしかしたら 「キリスト来なければいいのに そうすれば地獄にも落ちないのに」という 罰当たりなことを考える人もいるかもしれない。
だから「その前に大変なことが起こる 身を引き締めて しっかり教会に帰依して 守ってもらわないと 破滅はそう 明日かもしれないぞ」と 戦いと苦しみを暗示する必要があったのだろう。

もし「全てのものが審判を受ける」日が なんてことのない日常に とたんにやって来たら 「どーして今来るの?! もうこの世界で生きられないの? この子は? まだ何も知らないのに」と困る人が続出する。
「死にたくない なんでお前らに 自分たちを殺す権利がある」と 退廃と駄欲(笑)に満ちた人間が怒るかもしれない。
そうなると「そんな未来など在ってたまるものか」と キリスト教を否定してしまう可能性は大きい。

しかしハルマゲドンがあれば 要は悪いのは悪魔とその一党なのだ。
神は良い人間を守ろうとして戦い こうしてめでたく 悪と悪に加担した人々が粛清されて 善良なる人々は「それみたことか」と 天国で笑うと。
めでたしめでたし。

極めて都合の良い話 正に人間が好む内容だ。

・・・こんな回答だと 「お前は聖書を否定している サタンだ」なんて言われそうだな。
むろん 聖書は教訓と慈悲と そして敬虔なるもの 悪いものではないが 盲信は結局の所 オーム真理教もそうだが 破滅と悪に属する結果になるのだ。
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死後に対する畏怖の感情を引き立たせるため。



「死んだら恐怖しかない地獄と、楽しい事ばかりの極楽に別れるんだぜ。
 キリスト教に入信すれば極楽浄土に行けるんだ。
 さあ、来れ迷える子羊どもwww」
…って脅しを効果的に使うために設けられたファンタジーだからさ。それ。
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終末期思想は 恐怖で人を支配する為に


必要な要素です。

人的努力は 神の英知に敵わない事を
示す力でもあります。
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