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《〈無い一万円札〉という一万円札》を どうしてみとめられるのか?

A 回答 (40件中1~10件)

ない神とある神のパロディー命題ですね。

無い一万円札は、一万円札の存在を、前提にしないと、言及できないですね。前提にすることで、不在の一万円札を認めることができます。
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この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうございました。
皆さん全員が<パロディー>として認識して頂いているのか、心許無いです。
ところで、<無い一万円札>と<不在の一万円札>との関係がわかりません。

お礼日時:2020/01/04 18:29

おはようございます。

 Q:インドの「0ルピー紙幣」が欲しいです。-さんhttps://q.hatena.ne.jp/1307856115が良かったです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2020/01/13 17:50

わたしの投稿をすべて削除したこととします。



きゅうに回答したことがあほらしく思えてきました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2020/01/12 17:51

「「無い一万円札」という一万円札をどうしてみとめられるのか?


の質問で色々と考える事が出来ました。
貴重な経験をさせて頂き有り難うございました
これからもよろしくお願いします
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2020/01/12 17:52

☆☆ (回答№35) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



〇 手元に無い<聖徳ぼんくら太子と福沢諭吉と渋沢栄一は> 《発行さ
れ流通の有る一万円札》だが 《いま持ち合わせの無い一万円札》だ。

★ (同上お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<《いま持ち合わせの無い一万円札》>であろうが、その〈無い一万円札〉
は、<有る一万円札>とみとめられる、ということですか?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ ええっとですね。

1. 経験的なもの(事物)やこと(事象)が有るか無いかにかんしては
基本として――ものごとにそのまま即してとらえるなら―― 感覚の刺激
があるかないかで 存在する・しないが決まります。

2. 一万円札についても――経験事物なのですから―― 当てはまりま
す。

2-1. 《無い一万円札》と言えば 存在しないもののことです。

2-2. ただし 人間には知覚〔による認識〕から離れた観念としての
《存在と言えば存在》があります。虚構としてのそれです。


3. 《無い一万円札》と表現した場合 虚構として・あるいは想像力の
問題として 《〈存在すると言えば 存在している〉と見なされる》場合
が出て来ます。

4. それは:
★ その〈無い一万円札〉が <有る一万円札>とみとめられる、という
ことで
☆ はなく そうではなく 《無い一万円札》という虚構表現としてあた
かもその存在がみとめられる。ということです。

5. たとえば:

〇 聖徳ぼんくら太子と福沢諭吉と渋沢栄一の肖像は 《〔発行され流通
の〕有る一万円札》だが ブラジェローヌが肖像として刷られたお札は 
《無い一万円札》であり 架空のものだ。

――と言えます。

6. あるいは:

〇 崇神ミマキイリヒコイニヱは 《初国知らししスメラミコト》なのだ
から 肖像として《あってもよい一万円札》ではないか。それなのに《無
い一万円札》だ。

――と言えます。

7. では こういう場合には どうなるか?

〇 第十代オホキミである崇神ミマキイリヒコイニヱが こんど一万円札
の肖像になるそうだ。《無い一万円札》だったんだなぁ。

☆ 《あたかも存在するものであるかのように用いられている》のでは?





8. 余分ですが 神のように超経験の場ないしチカラにかんしては 感
性〔および思考〕の問題を超えていますから その場合に《無い神》と言
ったなら それは《虚構や想像力の問題》とは微妙に異なる。という問題
にはなります。うんぬん。

8-1. つまり 《〈無い神〉という神》のことであると言わざるを得
ません。想定ですが 想像や虚構とは別です。

8-2. 想像や虚構は まだ経験事物と完全に縁を切ってはいません。

8-3. 仮りに想定する超経験の場については――経験事物であること
を超えているのですから―― 《そのような縁を絶っている》〔と人間が
知った〕ということではなく げんみつに言えば《縁があるかないかが 
人間の知性では分からない。分かるか分からないかが分からないナゾ》で
あるとなります。

8-4. したがって《有る神》と言っても《無い神》と言っても どち
らも自由で 互いに同等である。となります。それが 普遍神だというお
話でした。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2020/01/12 17:52

訂正です


と述べた→☓
との→○
です
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2020/01/12 17:52

「無い一万円札」という一万円札


との表現は文法上どうなのか?となりますね
「「無い一万円札」をどうしたら認められるのか」の方がスッキリしてます
加えて「どうしたはみとられるのか?」については「無い一万円札」の「何を」認めさせたいのか?その「何を」が明記されていません
一番の問題は「無い一万円札」です。
「無い一万円札」とは具体的にどのような「一万円札」の事なのか?それが明記されたいません
「無い一万円札」を各自自由に解釈してもいいとしても一般的にこのような表現はしないので具体的に明記していただかないとイメージすらできません
本来なら以上の事柄について論議すべきですがそうされていない時点で少なくとも哲学的な思考をされている人達と哲学的な思考されていない一般の人達と述べた間で思考方法に乖離が見られます
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この回答へのお礼

度重なるご回答ありがとうございます。
<具体的に明記していただかないとイメージすらできません>ですね。
ご存じでいらっしゃると思いますが、この質問は{《〈無い神〉という神》を どうしてみとめないのか?}という質問のパロディ―として作りました。したがって元の文に寄りかかって、私の質問文は<具体>性に乏しい、ですね。
今思い起こしてみると、”目の前で見れ無い一万円札を、見れる一万円札として、どうして認められるのか?”のような気がします(質問者として無責任ですが)。
ところで、この質問には予想に反して、ムカリン様をはじめ沢山の方から貴重な回答を頂き、私の疎いことを沢山指摘して頂き、貴重な財産になりました。
質問が長くなりましたので、そろそろ幕を閉じたい、と思っています。

お礼日時:2020/01/09 17:43

物体とそれ以外は実は同じだから。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2020/01/12 17:53

★★ (№23お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



ところで、観念として、無い一万円は、一万円札(無い・有り/対/両面を
含んでいる)としては認められる、とは思いますが、有る一万円札とは、
素直にみとめられないのですが。

☆☆ (回答No.30) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

肖像として 聖徳ぼんくら太子と福沢諭吉と渋沢栄一は 有る一万円札だ。

崇神ミマキイリヒコイニヱやイチノへノオシハあるいはスサノヲノミコト
ないしオホクニヌシノミコトについては 無い一万円札である。

★ (同お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

手元に無い<聖徳ぼんくら太子と福沢諭吉と渋沢栄一は>無い一万円札だ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


☆ いいえ。

〇 手元に無い<聖徳ぼんくら太子と福沢諭吉と渋沢栄一は> 《発行さ
れ流通の有る一万円札》だが 《いま持ち合わせの無い一万円札》だ。

☆ です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
こんがらがってきていますが、
<《いま持ち合わせの無い一万円札》>であろうが、その〈無い一万円札〉は、<有る一万円札>とみとめられる、ということですか?

お礼日時:2020/01/09 11:04

的な思考→☓


哲学的な思考→○です
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございます。

お礼日時:2020/01/09 10:55
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