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今はまだ、ドアをちょっと開けて中を覗いて見ただけなんだけど、デカルトってずるいよ!と思ってしまったね。

「疑わしいものは虚偽とみなされるべきである」なんて、断定しておきながら「しかしその間、この疑いは実生活に及ぼされるべきでない」なんて云っている。

これって、いいわけでしょ?

自分の立場を正当化しようと云う予防線、だよね。

質問者からの補足コメント

  • 今回は、質問自体に疑問を感じながら、、でした。
    十分に読み込んでいれば、こんな質問はしなかったろうと思います。

    敢えてベストな回答を選ぶとすれば、デカルトを読むに当たってヒントになるのではないかと思えた<判断保留>と云う言葉を下さった「英語」さんになるのかな。

    この言葉は、デカルトは使っているんでしょうか?

      補足日時:2020/02/09 21:09

A 回答 (5件)

デカルトは、疑いをかけるものに、全否定するのではなく、実生活に支障がある場合、エポケー=判断保留をかけて、とりあえず見逃そうと言っているのでしょうね。

デカルトは哲学者であり、数学者の判断ができるのでしょうね。
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この回答へのお礼

判断保留、ですか。

成る程、そんな受け止め方で読み進めれば、もう少し理解が進むのかもしれませんね。

有り難うございました。

お礼日時:2020/02/09 17:12

もういっちょう行きます。




▲ (ヰキぺ:ルネ・デカルト) ~~~~~~~~~~~~~~~~~
§ 3.2.3 神の存在証明

欺く神 (Dieu trompeur)・ 悪い霊(genius malignus)を否定し、誠実
な神を見出すために、デカルトは神の存在証明を行う。

第一証明 - 意識の中における神の観念の無限な表現的実在性(観念の表現
する実在性)は、対応する形相的実在性(現実的実在性)を必然的に導く。
我々の知は常に有限であって間違いを犯すが、この「有限」であるという
ことを知るためには、まさに「無限」の観念があらかじめ与えられていな
ければならない。

第二証明 - 継続して存在するためには、その存在を保持する力が必要であ
り、それは神をおいて他にない。

第三証明 - 完全な神の観念は、そのうちに存在を含む。(アンセルムス以
来の証明)

悪い霊という仮定は神の完全性・無限性から否定され誠実な神が見出され
る。誠実な神が人間を欺くということはないために、ここに至って、方法
的懐疑によって退けられていた自己の認識能力は改めて信頼を取り戻すこ
とになる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


▲ 第一証明 -  意識の中における神の観念の無限な表現的実在性(観念
の表現する実在性)
☆ というのは その《観念が われわれ人間の想像力の翼が飛び行くと
ころまでは伸びて行く》と言っているに過ぎない。
 
《表現的実在性》とは どこまで行っても 《観念》のことである。人知
のおよぶ範囲内にとどまる。

その神なる観念は:
▲ 対応する形相的実在性(現実的実在性)を必然的に導く。
☆ だろうか? 

《神》が どうしてこの経験世界における現実的実在性と対応すると言え
るのか? 対応すると分かったと言えるか? そこまで人知はおよんだの
か?

それはせいぜい《観念》が 対応するだけである。ことばによる思考や観
念をとおしての表象が 《現実的実在性》とおぼしきモノ・コトをとらえ
と思ってみるに過ぎない。


あるいは《神》という言葉が 《上》や《髪》や《守》や《紙》を連想で
みちびき 対応させるようなものに過ぎない。


われわれ人間の知について
▲ この「有限」であるということを知るためには
☆ て言ったって すでに《有限》だと言ってるぢゃん。朽ちる・または
うつろいゆかざるを得ない存在であるなら その知も有限である。

考える葦であろうがなかろうが 死ぬべき身と心なら それゆえにこそ
《永生なる無限》を想定してみるということである。《無限》を知ってか
ら わが身の限りあるを知ったというのは 生活歴史的な順序ではないだ
ろう。




▲ 第二証明 - 継続して存在するためには、その存在を保持する力が必要
であり、それは神をおいて他にない。
☆ その神が 無でもありうる。と言わねば議論にならない。言わないな
ら すでに神を大前提においている。



▲ 第三証明 - 完全な神の観念は、そのうちに存在を含む。(アンセルム
ス以来の証明)
☆ 観念の中にまた観念を放り込んだだけ。観念があれば 《存在》を言
えるのか? そういうことは休み休み言って欲しい。



▲ 悪い霊という仮定は神の完全性・無限性から否定され誠実な神が見出
される。
☆ もし観念が現実的実在性と対応する(第一証明)なら 《悪い霊》な
る観念も ただの仮定ではなく 現実であると言わねばならないはずだ。

もし《神》をまじめに想定したならば その神のもとには 人間の――人
間のである――善悪が繰り広げられている。神について いちいち《悪い
神》だとか《誠実な神》だとかと やはり人間の知性においてその観念を
弄(いじ)ってレッテルを張ろうというに過ぎないではないか。
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この回答へのお礼

何となくの感じですが、ブラジュロンヌさんに軍配を上げたくなりますね。

人知を超えている。分かるか分からないかさえ分からない。

嗚呼、僕のハートは洗脳されたか?
ブラジュ菌に・・・・・

あ、あ、ありがとう、、ご、ご、ございました。

お礼日時:2020/02/09 17:05

デカルトは神の存在証明で循環論法をやらかしてしまったので、哲学的思考力が欠落していたか、当時の境界権力に忖度したかのどちらかだと思うよ。

惜しいねぇ。
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この回答へのお礼

大体は、神の存在を信じているところから来る理論?でしょ。

先ずは、デカルトは神の存在を疑うところから出発するべきですよね。

有り難うございました。

お礼日時:2020/02/09 11:15

ルネくん〔の思想〕をけなします。



▲ (ヰキぺ:ルネ・デカルト) ~~~~~~~~~~~~~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/ルネ・デカルト
§ 3 思想
§ 3.1 哲学
§ 3.1.2 方法

ものを学ぶためというよりも、教えることに向いていると思われた当時
の論理学に替わる方法を求めた。そこで、もっとも単純な要素から始め
てそれを演繹していけば最も複雑なものに達しうるという、還元主義的・
数学的な考えを規範にして、以下の4つの規則を定めた。

1. 明証的に真であると認めたもの以外、決して受け入れないこと。
 (明証)
2. 考える問題を出来るだけ小さい部分にわけること。(分析)
3. 最も単純なものから始めて複雑なものに達すること。(総合)
4. 何も見落とさなかったか、全てを見直すこと。(枚挙 / 吟味)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ (4)については 《すべてを見直したあと なお見落としがない
かを確認する》のが ふつうである。

(3): 《単純なもの》か《複雑なもの》かを判定するには その判
定の能力について判定しその結果を自覚しなければいけない。つまり 
判定能力次第である。つまり 何か意味のあることを言ったとは思えな
い。

(2): 《考える問題》を《小さい部分に分ける》と言うけれど 《小
さい》というのは 量の問題だけではないはずだ。ということは その
大きい小さいの判断そのことが 《考える問題》になっている。何をか
言わんや。

(1): 《明証的に真であると認めた》と言っても すべては主観で
ある。明証性も 本人の主観次第である。何をか言わんや。
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この回答へのお礼

本の解説者は、取り敢えず読んで見てくれと云ってます。
という事は、この本は二読、三読しなければ分からないという事でしょう。

しかも読めば上目線で、抽象言葉を羅列されては、とてもじゃないけど一読さえ出来ません。

ブラジュロンヌさんのこの回答には、頷いてしまいます。
有り難うございました。

お礼日時:2020/02/09 11:07

本当はこうだということと、現実とは違って当然です


真実をそのまま現実社会に当てはめてはいけません。

たとえば「人を殺してはいけない」という真理があったとしても、
国によって法律が違うし、異教徒を抹殺することを正当化している
宗教もあるし、死刑という殺人もあるし戦争になれば
殺人が英雄視されるので、「殺人は悪」という真理を現実社会に
そのまま当てはめられないんです
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この回答へのお礼

デカルトを読み始めた途端、真理とは何かが分からないのにそんなことを云われても、と云った気分です。

姿勢がトップダウンですよね?

有り難うございました。

お礼日時:2020/02/09 09:52

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