好きな「お肉」は?

医師からこんな酷い人は見たことがないと言われる程度には酷いASD当事者です
手帳と年金の3級を受けています

今回は努力とはどんなものか教えてほしいのです

具体例として今私は職場の社命である資格の勉強をしています
日々コツコツと勉強を重ねています。自分ではできる範囲の努力をしているつもりです
ただ、もし資格試験に落ちた場合会社は資格が取れなかったので努力不足・評価に値せずと判断すると思います
自分では精一杯努力したが会社(他人)からは不足していると判断される
この差異はどこから生まれるのでしようか?

仮定として自身の評価する努力と社会的に評価される努力は判断基準が違うと考えているのですが
発達の方が多く集まるサイトでの議論で努力は努力、違いはないという意見を出されて明確に間違いだと立証できずもやもやしています

努力という言葉は単一の判断基準で確定した共通認識なのかそれとも同じ努力という言葉の中に立場・地位・生育環境など個人個人で違う判断基準を持ったものであるのかどちらなのでしょうか?

またもし後者である場合、健常者の方は判断基準の違いを会話の中で察して適切に理解・共感できるのでしょうか?

回答よろしくお願いします

A 回答 (8件)

>不思議なのですが他の回答者の方はそう答えていませんね


他の回答者の考えについては、他の回答者に質問してみた方が良いでしょう。

>意味は近いものだとしても文言は各人それぞれです
[努力」という言葉の意味は、「目標実現のために心身を労してつとめること」です。

>どうせお付き合い願えるなら他の方々と回答の文言が違う理由についてもご教示願えませんか?
「他の方々と回答の文言が違う」かどうかは知りませんが(他の方の回答を詳しくは読んでいないので)、[努力」という言葉の意味は、「目標実現のために心身を労してつとめること」です。

>「努力している自分に酔う」と言うような人も居ますので、解釈は様々可能ですと別の見解も提示されていますが?
解釈は様々可能ですが、[努力」という言葉の意味は、「目標実現のために心身を労してつとめること」です。

これは、AKBの峯岸さんを「ブスな女!」と解釈するのも、「かわいい女!」と解釈するのも自由であると言うような話です。
ちなみに、解釈という言葉の意味は「文章や物事の意味を、受け手の側から理解すること」です。
ただし、だからといって「峯岸みなみ」さんを「吉田よしこ」と「解釈」してはダメです。
峯岸みなみさんも吉田よしこさんも共通してブスであったとしても、峯岸みなみさんと吉田よしこさんは別人です。
峯岸さんを「ブス」と解釈するか「かわいい」と解釈するかは様々可能ですが、峯岸さんは峯岸さんであって、吉田さんではありません。
これと同様に、「努力という言葉の意味は、目標実現のために心身を労してつとめること」であって、「努力という言葉の意味は、目標を達成するための過程」等ではありません。
例えばあなたが何らかの目標を立てたとき、それを達成するために努力を必要とするかどうかは、あなたの能力次第です。
もしもあなたが100mを10秒で走ることが出来る能力を持つ人であった場合、「100mを9秒で走る」には努力が必要でしょうが、目標が「100mを20秒で走る」であれば、努力は不要でしょう。
目標達成に必要なのは、能力です。
その能力が不足する場合に多くの人が選択するのが、努力という手法です。

>国語辞典的な意味での回答なのでしょうか?
「言葉の意味がよくわからないとき」などに辞典に頼ることは普通のことですし、「努力」という言葉の意味がわからないなら辞典で調べてみると良いでしょう。
「言葉の意味」とは、一般的には「国語辞典的な意味」を指します。
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この回答へのお礼

うーん・・・

お話を伺っていると「私が」何かをするための手段としての「目標実現のために心身を労してつとめること」なのですが

他者が私に「努力しているね」という場合の努力も「目標実現のために心身を労してつとめる」ことでよいのですか?

私は能力が足りており努力をしていない状態でも努力をしていると評価されることがいくらかあります、100mを20秒で走る」であれば、私からすれば努力は不要という状態で、努力してるから昇給しておいたよとか
この場合、「峯岸みなみ」さんを「吉田よしこ」として相手が使っているのか正しく峰岸さんと使っているのかよく分かりません
お時間あればお付き合い願えれば幸いです

お礼日時:2020/05/06 15:43

>勘違い失礼いたしました健常者の方には統一された意味があるのですね


前回・前々回の回答に書いた通り、「努力」という言葉の意味は「目標実現のために心身を労してつとめること」であり、これは「健常者にとっての意味」ではありません。
「日本語としての努力という言葉の意味は、目標実現のために心身を労してつとめることである」と言うことです。
障害者にとっても「努力という言葉の意味は、目標実現のために心身を労してつとめること」です。
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この回答へのお礼

不思議なのですが他の回答者の方はそう答えていませんね
意味は近いものだとしても文言は各人それぞれです
どうせお付き合い願えるなら他の方々と回答の文言が違う理由についてもご教示願えませんか?
ご自身も
>「努力している自分に酔う」と言うような人も居ますので、解釈は様々可能です
と別の見解も提示されていますが?
国語辞典的な意味での回答なのでしょうか?
もしお時間あればお付き合い願えれば幸いです

お礼日時:2020/05/06 13:00

「努力」とは目標を達成するための「過程」に過ぎないというのが私の認識です。


要するに結果が全てであり、どれだけ努力をしたかなどは自己満足の範疇でしかありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

参考にさせていただきます

お礼日時:2020/05/06 10:46

>努力という言葉の意味に対してはこれが答えであるという事


努力という言葉の意味は、「目標実現のために心身を労してつとめること」です。
「目標実現のための手段」に過ぎません。

>努力という言葉は単一の判断基準で確定した共・・・・・持ったものであるのかどちらなのでしょうか?
努力という言葉の意味は、「目標実現のために心身を労してつとめること」です。
「目標実現のための手段」に過ぎません。

>私の資格勉強についての意見は例として出しているだけです
あなたの提示された具体例に基づき、「努力」を説明したのです。
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この回答へのお礼

ありがとう

ありがとうございます

勘違い失礼いたしました健常者の方には統一された意味があるのですね

例示も理解が足らず失礼いたしました

丁寧にご教示いただきありがとうございました

お礼日時:2020/05/06 10:45

>努力というのはこの一文の意味しかないという事でよろしいでしょうか?


「努力している自分に酔う」と言うような人も居ますので、解釈は様々可能です。
ですが、一般的には、或いは「普通の人」は、「努力」のような面倒なことは好まないものです。
「努力なんか出来るならやりたくは無いけれど、他に現実的で簡易な手段が見当たらないから、仕方なくやる」が、努力の一般的な姿でしょう。
努力という言葉の意味は、「目標実現のために心身を労してつとめること」です。
「目標実現のための手段」に過ぎません。

あなたのこの件の場合であれば、目的は「資格取得」であって、「努力」ではありません。
であるのに、「努力の大きさ」をもって「資格取得」への評価に変えようとするのは、本末転倒と言えそうです。
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます

>解釈は様々可能
努力という言葉の意味に対してはこれが答えであるという事ですね、ありがとうございました

誤解させてしまったのなら申し訳ないのですが今回質問しているのは
努力という言葉は単一の判断基準で確定した共通認識なのかそれとも同じ努力という言葉の中に立場・地位・生育環境など個人個人で違う判断基準を持ったものであるのかどちらなのでしょうか?
であり、私の資格勉強についての意見は例として出しているだけです、そこについての意見は求めていませんのであしからずご了承ください

お礼日時:2020/05/05 14:23

「手帳と年金の3級」だそうですが、これは、障害の程度とすれば「まだまだ」です。


このことは、1級を一流に置き換えればよくわかるでしょう。
3級は三流に該当するのです。

本件質問の「努力」について、あなたは「資格試験に落ちた場合会社は資格が取れなかったので努力不足・評価に値せずと判断すると思います」と書いていますが、これはあなたの誤認であり、妄想です。
資格試験に落ちた場合などの評価は「能力不足」です。
そもそも「努力」とは、無能な人が有能な人に追いつくための、誰にでも出来る方策に過ぎません。
あなたはご自分について「努力している」と考えているようですが、「努力の有無」や「努力の量」にはたいした価値はありません。
「努力」は、手段に過ぎないからです。
結果(この件の場合は資格取得)を得るための、ひとつの手段に過ぎません。
努力などしないで資格を取得した場合と、必死の努力末取得した資格は、同じ価値です。
努力なしで取得できるのか、努力なしには取得できないのかは、個人の能力や「運」次第です。
あなたの努力の目的は「資格取得」であるようですから、目的である「資格取得」と、そのためのひとつの手段に過ぎない「努力」を混同して考えることはやめた方が良いでしょう。

「資格取得」を目的とし、それを達成するための手段として「努力」を選択した場合、結果として「資格取得が出来なかった」なら、「資格取得のための手段に選んだ努力という方法が不足していた」です。
これは障害の有無に無関係です。
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この回答へのお礼

自分の基準で他人を判断するだけです

>そもそも「努力」とは、無能な人が有能な人に追いつくための、誰にでも出来る方策に過ぎません
努力というのはこの一文の意味しかないという事でよろしいでしょうか?誤解があればご指摘ください
能力不足という判断をする指摘は受け入れます、言葉が浮かびませんでしたので勉強になりました

ありがとうございました

お礼日時:2020/05/05 12:33

自分では精一杯努力したが会社(他人)からは不足していると判断される


この差異はどこから生まれるのでしようか?
  ↑
毎日4H勉強しなければ合格しない試験に対して、
2Hで十分と判断し2Hしか勉強しない。

その人は4H勉強しないと合格しないと
考えているが、
質問者さんは2Hで十分と判断している。

結果が総てと考える。
つまり、不合格だったから、努力不足だったに
違いない、と結果から逆に判断する。




努力という言葉は単一の判断基準で確定した共通認識なのか
それとも同じ努力という言葉の中に立場・地位・生育環境など
個人個人で違う判断基準を持ったものであるのかどちらなのでしょうか?
 ↑
努力という言葉の意味は同じです。
精一杯、という言葉の問題です。
どこまでが精一杯かは人によって
違う場合があります。



またもし後者である場合、健常者の方は判断基準の違いを
会話の中で察して適切に理解・共感できるのでしょうか?
  ↑
そんなことはありません。
自分の基準で他人を判断するだけです。
ワタシなどは、一日18H勉強して、それで
合格したことがありますので
一日10時間勉強で精一杯なんて話を
聞くと、バカみたい、と思ったりします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

>自分の基準で他人を判断するだけです
つまり人の分だけ判断基準があるという事でよいのですね、勉強になりました
あなたの勉強に支払える労力に敬意を表します

ありがとうございます

お礼日時:2020/05/05 12:30

障害なのかもしれませんが、文章がしっかりしていますし、他にも良い所があるのでは?と感じました。


資格が取れずに会社から〜というのは、現時点では被害妄想に過ぎず、またそれによって不当な扱いを受ける事はないと思いますよ。求人や契約書に書いてあったらダメですが、業務をこなせての対価ですから。
努力については「根性論」や「評価主義」など、残念ながら会社のキャラクターによって様々なので、合わない会社では悲惨だと思います。
また、真面目でない者が「努力はしました」と言った場合にどうするかなど、難しい面もありますよね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

>会社のキャラクターによって様々なので
つまり多くの価値観が努力という言葉の中には籠められているという事ですね

資格試験に落ちた場合の想定は被害妄想なのでしょうか?
試験に落ちたら努力不足・評価に値せずが当然と思っていたのですが、難しいものですね

ありがとうございました

お礼日時:2020/05/05 12:10

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