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「〜つつ」と「〜ながら」にはどんな違いがあるのでしょうか。
 下記の辞書を見ると、ほとんど場合は同じようなものですが、多少の例外があるようです。
 どのように考えればよいのでしょうか。
https://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/17254/meaning …
===========引用開始
ながら/つつ の解説 - 小学館 類語例解辞典
ながら/つつ の共通する意味
動作の並行を表わす。

ながら/つつ の使い方
ながら
▽(1)働きながら学校に通う ▽(2)狭いながらも楽しいわが家
つつ
▽(1)家族に見守られつつ、彼は亡くなった ▽(2)勉強しようとは思いつつ、つい遊んでしまう ▽(3)森林は現在破壊されつつある
ながら/つつ の使い分け
1「ながら」「つつ」は、二つの動作が並行して行われることを表わす接続助詞である。ただし、「つつ」は文章語的である。
2「ながら」と「つつ」には、それぞれの例文(1)のような順接用法のほかに、例文(2)のような逆接用法もある。
3「つつ」にはさらに、例文(3)のように「…つつある」の形で、動作・状態の継続を表わす文章語的な用法がある。

■ながら/つつ の類語対比表
    悪いとは知り……  顔色をうかがい…話す  彼は回復し…ある
ながら   ○          ○          -
つつ    ○          △          ○
===========引用終了

質問者からの補足コメント

  • ↑でひいた類語辞典の記述に対する当方の現段階の考えは下記ぐらいです。
    【使い分け教/分別教 統一教……〈3〉つつ ながら goo 辞書】
    https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12600634860.html

      補足日時:2020/06/07 16:43
  • 今後、アスナロウさんはコメントの連投をお控えください。

    No.19の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/06/15 18:21
  • へこむわー

    字数制限があるのでNo.23とNo.24のお礼欄のコメントを書くのにいろいろいじくって、結局メチャクチャになった気がします。申し訳ございません。
     下記にまとめて修正します。
    【つつ ながら〈3〉 使い分け教/分別教 統一教 goo 辞書】
    https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12606702435.html

    No.24の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/06/26 09:50

A 回答 (27件中1~10件)

No.23の続きです。



で、いろいろ読んで、結局私がどう考えたのかということですが、まず、
 
  基本的に「~ながら・つつ」に大きな意味の違いはなさそうだ

ということには変わりはありませんでした。

多少の意味合いの違いとして、これは梶川が言っていることと重なるのですが、

  「AながらB」では、AがBに対して何らかの関わり、影響がある、

ということ。それに対して、

  「AつつB」では、AとBが(多少なりとも)独立/並行している感がある、

というようなところでしょうか。

多少誇張して言うと、

  昼間働きながら、夜学で勉強する。

という場合、「働く」ことが「夜学で勉強する」ことに大きく関わっている。
学費を支えるため、とか、あるいは、働くことで疲れて勉強が大変だ、とか。

  昼間働きつつ、夜学で勉強する。

というと、それぞれ別に、しっかりと行われている、という意味合い。
もちろん、学資のため、ということはあるかもしれませんが、そこに重点はない。
(ちょっと無理めのこじつけに聞こえるでしょうか。)

「~ながら」には、「同時進行」と別に、「様態」という用法を立てることがあります。
(市川論文より孫引き)

  川越(2002)は、「ながら」には目的の異なる2つの動作の「同時進行」と逆接
  とは別の「て」で言い換えられる「様態」としての用法があると述べ、以下の2 つ
  の例を提示している。
    (3)ラジオで音楽を聞きながら、日本語の勉強をした。
       ≠ラジオで音楽を聞いて、日本語の勉強をした。
    (4)発音のテープを聞きながら、日本語の勉強をした。
       =発音のテープを聞いて、日本語の勉強をした。
                    ( 川越 2002:52 より抜粋)

私も、ずいぶん前ですが、「現代日本語文法概説」(46.4 V-ながら)で、

   「BながらA」にできないものもあります。
     辞書を引きながら、英語の本を読みます。
    ?英語の本を読みながら、辞書を引きます。
  この例は、同じ時の動作ではあっても、意味的にAがBのための手段や方法に
  なっているので、BがAの修飾になりえない、ということでしょう。
    鏡を見ながらお化粧をします。
    ?お化粧をしながら鏡を見ます。 

と書いて、「手段/方法」になっている例を取り上げました。
これらは「辞書を引いて」「鏡を見て」と言えるので、上記の川越の論と同じ事を別の側面から言っていることになるでしょう。
(「文法概説」は http://niwanoda.web.fc2.com/bunpou/0mokuji.html にまたコピーを作りました。こちらのほうが使いやすいです。)    

この「様態」の用法は、「AながらB」のAとBの関わりの強さを示しています。

   辞書を引きつつ、英語の本を読んだ。

はまだいいのですが、

  ?鏡を見つつ、お化粧をした。

というのは、私には何か不自然に感じます。どうでしょうか。
「鏡を見る」ことが「お化粧をする」こととは別のことで、鏡で後ろの何か(例えば夫とか)をこっそり見ながら、とでもいうような。


もう一つ。「~つつ」に「反復」の「本義」がある、という論がどうもわかりません。
特に「~つつある」がそうだというようなのですが、まったくわかりません。

  彼の目の前で、祖父は死につつあった。

という場合、何が「反復」されるのでしょうか。「死ぬこと」?

  西の空が赤く染まりつつあった。

も「反復」? 少しずつ染まっていく、のを「反復」と考えるのでしょうか。
では、「~ていく」も「反復」を表す?

「~つつある」は、日常の動作を表すのに使うと不自然です。

  ?父は、仕事場で働きつつあった。
  ?私は、風呂で体を洗いつつあった。

たんに、「働いていた」「洗っていた」でいいのです。(「働く」も「洗う」も「反復」と言えないこともない?)

  酒を飲みつつある

とも、普通は言わないでしょう。

「~つつある」は、多く変化を表す場合に使われ、その変化も、その結果として「ある状態に達する」ことが含みとしてあって、その状態に近づいていくことを表す時によく使われます。

  大きな変化が起こりつつある
  時代は変わりつつある
  
そしてどうなるのか、です。 

「飲みつつある」なら、

  彼は、(知らずに)毒の入ったワインを飲みつつあった。

ぐらいなら言えるかな、と思います。そのあとどうなるか、という場面ですから。

ほかにも、「逆接」の用法のことなど、いろいろ考えたのですが、今日はここまでに。

saburoo
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

もうひとつ疑問なのは清水論文が「ながらも」「つつも」で考えている点です。引用いただいた部分は「逆接」限定だからでしょうか。
『類語例解辞典』の逆接の例文に書きがあります。「勉強しようとは思いつつ、つい遊んでしまう」
 これは「つつも」にするほうが明快な気がしますが、「も」はなくても成り立ちそうです。これに関連して思いついたのが「涙ながらも/涙ながらに」です。これは「涙ながらも」で「逆接」にするのは、やや不自然に感じます。

 梶川論文にしても市川論文にしても、(引用を拝見した限りでは)大前提を覆すようなものとは思えません。
 ただ、〈話し言葉で「つつ」が用いられていることは多く〉にはちょっと興味が湧きました。使用例は「ながら」のほうが多いのでは……とは思いますが。
 これも実例にあたらないとなんとも言えませんが……。>もう一つ。「~つつ」に「反復」の「本義」がある、という論がどうもわかりません。
 これも『類語例解辞典』の〈「…つつある」の形で、動作・状態の継続を表わす〉でよろしいかと。
 
 後追い質問にある論理展開には疑問を感じます。
【「私は音楽を聴きつつ読書するのが趣味だ」は自然な日本語ですか?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11700940.html

お礼日時:2020/06/24 22:26

No.26 の回答に応えて



種々反省されていますが、時枝のいうように正しい方法をもたないために、議論が空回りし、誤った結論を並べられています。

なにが問題かといえば、語の意義と文での意味を混同し、混乱した議論をされている点です。

ここで問題にしているのは、「つつ」と「ながら」という単語の意義で、これを使用した文の意味は千差万別です。

 1 昼は会社で働きながら、大学の夜間部に通って勉強した。
  2 昼は会社で働きつつ、放送大学で勉強し、卒業した。

>>「会社で働く」ことは、「夜間部で勉強」することに影響しています。昼間の大学に行けない、という。あるいは、疲れて勉強が大変だった、とか。//

これは意義と意味を混同した誤りです。

ながら
 〘接助〙 
❶ その動作をするのと同時に他の動作を行う意を表す。…つつ。
「飲みながら話そう」
「爆音を響かせながら走り去る」
【明鏡国語辞典】

で、1が「影響しています」というのは勝手な解釈で、「兄弟のために昼は働きながら、夜もバイトで稼いだ」の場合、影響しているのではなく、話者の意志の問題で、「ながら」の意義は「その動作をするのと同時に他の動作を行う意を表す。」というに過ぎません。

★ 子猫が鳴きながら近寄ってきます。

の「ながら」は、「同時に他の動作を行う意を表す」だけで、「鳴く」が「近寄る」に何の影響も与えていないことは自明でしょう。

>>「放送大学」の例は、仕事と勉学を両立させていた、というところに重点があるように感じます。それぞれ独立していた、という。//

これも単にこの文の意味の解釈に過ぎず、「国民生活は向上しつつある」でも明らかなように、「向上」という事態の反復を表わしており、「会社で働きつつ」も「つつ」が表しているのは「働く」という事態の反復に過ぎません。独立云々は、複文としての意味で「つつ」の意義とは関係ありません。


    E 私は音楽を聴きながら読書するのが趣味だ
    F 私は音楽を聴きつつ読書するのが趣味だ

の相違は、「ながら」が「同時に他の動作を行う意を表す」のに対し、「つつ」は「聴く」という事態の反復を表わすために、そこに重点が置かれている点にあります。

つつ
〔接助〕(完了の助動詞「つ」を重ねたものというのが一般であるが、サ変動詞「す」を重ねた東歌の「すす」と同様に、「す」の意味の「つ」という動詞を反復したものの助詞化と考える説その他がある。活用語の連用形をうける)
【広辞苑】

というように、いずれにしても完了/動作の確認という判断に重点があります。

これに対し、「AながらB」の「ながら」の「その動作をするのと同時に他の動作を行う意」でいう「その動作」とはBで、同時に行う他の動作はAになります。つまり、「つつ」と「ながら」が同時動作を表わすという場合には動作の重点が異なります。

「つつ」は本来、「同じ動作がくりかえされる意を表す」ので、

★ 景気が向上しつつある。

のように使用されますが、同時動作を表わす「ながら」にはこのような用法はありません。そして、「つつ」が「ながら」と同じような意義で使用され「景気が向上しつつ、収入も増加している」になっても動作の重点は「向上しつつ」にあることになります。

このように、「つつ」と「ながら」は本来の意義が異なります。

この質問で問題になるのは語の意義であり、それを明らかにするためには文の意味から意義を抽象する作業が必要ですが、話者の認識を捉えられないソシュールパラダイム下の発想では意味に対応する対象しか捉えることができず、話者の認識を捉える観点が生まれません。

この視点なしに、徒に文を集め意味を論じても問題の廻りを堂々巡りするしかなく、いくら反省を繰り返し、ゆっくり考え直しても進展、深化はありえません。■
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No.25について書き始めたのですが、後半部分を書きあぐねており、とりあえず前半を載せておきます。




最初、「No.24への反例」ということばを見て、「あれ?何か反例があり得るような主張をしたっけ?」と思いました。
基本的に、「ながら・つつ」に大きな意味の違いはないと思う、というのが初めからの主張ですから。(「はっきり意味の違いがある」という例なら、大いに歓迎します。新しい知識が得られ、勉強になります。)

その後の引用部分を見て、確かに、私の書き方がちょっと悪かったのだと反省しました。筆が滑った、というか、キーボードの指がすべった、というか。

「多少の意味合いの違いとして」というのを、何の制限もなしに書いてしまっていますね。ここはよくなかった。
せめて、「多少の意味合いの違いがあると考えられる場合は」ぐらいに書いておけばよかった。言いたいことはそういうことだったので。

上にも書いたように、基本的には「ながら・つつ」に違いはなく、多くの例では入れ替え可能、というのが初めからの主張です。
ずいぶん前に、No.5に並べた「~でありながらも」「~でありつつも」の実例はその証拠として出したものです。「ながら」と「つつ」で違いはない、という。
「反復」が「本義」だと言うけれど、これらの「~でありつつも」の例にはそんな意味合いはない。
ところが、これらの例証はまったく無視されたままのようです。

で、「多少の意味合いの違い」がある場合は、どんな違いがあり得るか、を考えたのが
No.24です。
そこで出した例も、あまりよくなかったと今思います。ちょっと変えてみます。

  1 昼は会社で働きながら、大学の夜間部に通って勉強した。
  2 昼は会社で働きつつ、放送大学で勉強し、卒業した。

にしたほうが、対比がはっきりするでしょう。

   「AながらB」では、AがBに対して何らかの関わり、影響がある、
   ということ。それに対して、
   「AつつB」では、AとBが(多少なりとも)独立/並行している感がある、
   
「会社で働く」ことは、「夜間部で勉強」することに影響しています。昼間の大学に行けない、という。あるいは、疲れて勉強が大変だった、とか。

それに対して、「放送大学」の例は、仕事と勉学を両立させていた、というところに重点があるように感じます。それぞれ独立していた、という。

この感覚は、他の人の投稿にも見られるものだと思います。
別の質問(後追い質問?)のほうで、「音楽を聴きつつ」が「音楽を聴きながら」に比べて、

  「音楽を聴き」という動作が「読書する」という動作に真剣に寄り添っていない。
  (のではないか)

という解釈をされているのも、「何らかの関わり、影響」が見られない、ということを言っているのじゃないかと思いました。
その質問に対する回答のNo.5にある、

    E 私は音楽を聴きながら読書するのが趣味だ
    F 私は音楽を聴きつつ読書するのが趣味だ
   おんなじだということもあるのでしょうが、
  Eは
   バックグラウンドが無音や騒音でなく、お気に入りの音楽を流している
   空間で読書をするのが"趣味?"と言っている感じがします。
  Fは
   複数の行為をパラレルに実行すること、特に"音楽を聴く"&"書物を読む"
   の同時実行のパフォーマンスを趣味?にしていると《誇らしげに宣言》
   している感じがします。

という「F」にたいする「感じ」も、上の「仕事と勉学を両立させている」のと同じような感覚を言っているのじゃないかと思います。

さて、「基本的に同じ」と言いながら、以上のようなことを考えてみたわけですが、それに対して、天気予報の例を出して、「反例だ」と言われても、ハテ?と思うだけです。
その場合は、「基本的に同じ」のほうに入るだけですから。

そこでさらに、

   「帯びつつ」が「進む」と<(多少なりとも)独立/並行している感>という
   よりは、まったく独立しているのも自明ですね。

と書いていますが、「まったく独立している」というのは、「反復・継続」の「本義」からは出てこないんじゃありませんか?
今まで、「つつ」の用法として、「まったく独立した」事象を提示する、なんて話はありましたっけ? それは新しい用法解釈の提示ですか? これまでの用法説明と矛盾しません?

私は、上の例の「帯びつつ」は「進む」と「まったく独立している」とは思いません。むしろ、
No.24の後のほうで述べた「様態」の用法に近いものだと考えます。

  A その後は温帯低気圧の性質を帯び【つつ】、勢力を保ち【ながら】進み、
  B その後は勢力を保ちながら進みつつ、温帯低気圧の性質を帯び、

Bにすると話が変で、「進む」間に「性質を帯びる」ことになってしまいます。
「おびつつ」が「すすみ」の「様態」を表しているので、逆順ではおかしくなるのです。

市川論文に引用されている川越(2002)では「~て」で置き換えることで、「様態」であることの証拠としていますが、この例では「帯びて」ではなく、むしろ「帯びたまま」ですね。
「様態」という用法のこと、「~て」で置き換えられるかどうかということは、また別にゆっくり考えなければなりませんね。
この話は、ここまでとします。


あと、市川論文について「意志性」がどうのこうの、と言っていますが、私は別に市川論文を支持していないし、「意志性」なんて話はしてません。


その後の、「つつある」の使用例の話、ここを読んで、言語学の、あるいは文法の考え方、議論のしかた、というものがまったくわかっていないことを、どうやって説明したらいいのか、書きあぐねています。
これは、時枝も(その時代からして仕方ないとは言え)まったくわかっていなかったことで、その「警句」は、(それ自体はどんな時代でも成り立つ内容かもしれませんが)ここでは「自分にできないことを、意味のないことだとして忌避するための言い訳」にしかなっていません。

ということを、もっとゆっくり述べてみたいのですが、それはもう一度ゆっくり考え直してからにします。(私なりの文法研究方法論?になりそうなので)

saburoo
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この回答へのお礼

やはり何を言ってもムダだと思います。無視してください。
 普段誰にも相手にされていないので、少しでもかまってもらえると思うと、シッポを振って飛びついてきます。

 そもそも、「つつある」は比較の対象外なのでは。それは質問文にひいた辞書を見てもわかります。
 それがなくても、「ながらある」とは言わないのですから、いくら考えても……。

 No.12のお礼にも下記のように書きました。
===========引用開始
 一方、どの辞書にも「並行」の意味は出ている。というより、現代語の「つつ」は「並行」が主な用途では。もちろん「~しつつある」のような用法は別(これは「継続・進行」かな)。 
===========引用終了

 まあ多少は関係あるのかもしれませんが、No.25の「などは、ごく普通に使用します。」を見てこれは何を言ってもムダと再〝認識〟しました。

お礼日時:2020/07/05 13:53

どうやら期待した続きもなさそうなので、No.24 への反例を挙げておきましょう。



>>基本的に「~ながら・つつ」に大きな意味の違いはなさそうだということには変わりはありませんでした。多少の意味合いの違いとして、これは梶川が言っていることと重なるのですが、
  「AながらB」では、AがBに対して何らかの関わり、影響がある、
ということ。それに対して、
  「AつつB」では、AとBが(多少なりとも)独立/並行している感がある、
というようなところでしょうか。

と結論されていますが、次の例を見ましょう。

この後、台風17号は発達し【ながら】北上し、21日に沖縄地方に最も接近した後、東シナ海を北上。風が強まって大荒れとなり、海上は猛烈なしけとなる恐れがある。その後は温帯低気圧の性質を帯び【つつ】、勢力を保ち【ながら】進み、22日には九州を中心とした西日本で暴風や大しけとなる。~//
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50019280Q9A …


「発達しながら北上し」のどこに、<「AながらB」では、AがBに対して何らかの関わり、影響がある、>のでしょうか?

「発達」が「北上」に対し、「保ち」が「進み」に何らかの関わり、影響がある訳がありませんね。また、「帯びつつ」が「進む」と<(多少なりとも)独立/並行している感>というよりは、まったく独立しているのも自明ですね。

そして、ここでは「~ながら・つつ」には意味の相違があるために使い分けられています。

さらに、市川真未の論文では、

この「て」で置き換えられる「ながら」は「様態」の用法であると述べている。「同時進行」の場合は、用いられる動詞に意志性を必要とするが、「様態」の「ながら」は、そういった制限がなくなるとしている。

などと引用していますが、「発達しながら北上し」が同時進行なのは明らかで、台風の「発達」に意志性が必要などという人はいませんね。

これらは、語の意義を機能、意味と取り違えたところから生じる欠陥、混乱に過ぎません。

なお、

病気から回復した父は、仕事場で働きつつあった。

夫が電話している時、私は、風呂で体を洗いつつあった。

彼は今、家で酒を呑みつつある。

などは、ごく普通に使用します。

「6千もの実例を調査した分析結果なので、そこは評価します。」などと頓珍漢なことを言っているようでは、正しい分析はできません。

指摘すべき誤りは他にも多々ありますが、

ただ現象的なものの追求からは文法学は生まれてこない。(時枝誠記『日本文法・口語編』)

という警句を噛み締めたいものです。■
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この回答へのお礼

これも反例になっていないのでは。
 
〈基本的に「~ながら・つつ」に大きな意味の違いはなさそうだということには変わりはありませんでした。多少の意味合いの違いとして、〉が大前提ですから。

 なかなか興味深い例文をご提示いただきました。

この後、台風17号は発達し【ながら/つつ】北上し、21日に沖縄地方に最も接近した後、東シナ海を北上。風が強まって大荒れとなり、海上は猛烈なしけとなる恐れがある。その後は温帯低気圧の性質を帯び【つつ/なふがら】、勢力を保ち【ながら/つつ】進み、22日には九州を中心とした西日本で暴風や大しけとなる。

 上の3例を見ても、【ながら/つつ】は同様に使えることがわかります。

>そして、ここでは「~ながら・つつ」には意味の相違があるために使い分けられています。
 どこが?

お礼日時:2020/06/30 18:14

No.20を15日に書いて以来、ちょっと間があいてしまいましたね。


ときどきこの問題を思い出し、多少まじめに考えたり、論文を読んだりしていたら、時間がたってしまいました。

まず、No.20への補足から。
あの清水論文の書き方はいくつかあまりよくない点があります。研究会でああいう報告をしたら、いろいろと突っ込まれて大変でしょう。
それでも、紹介しながら批判するのも、と思って、「あまりぱっとしませんが」という一言だけにしました。

ただ、6千もの実例を調査した分析結果なので、そこは評価します。

で、引用した初めのまとめのようなものですが、あれがポンと置かれただけで、その説明、補足が何もなく、あとは具体的な分析に入ってしまいます。

せめて、大量の例を分析して得られた、全体的に見た「傾向」であることを書いておくべきでしょう。あるいは、「~ことを表す。」の後に、「例が多い」と加えて、「~ことを表す例が多い。」とするとか。まあ、分析の本文を読めばわかることなのですが。
例えば、分析の中では、
 
  主体の置かれた状態は、(39)のようによい状態を表す場合もあるが、多くは
  (40)のように悪い状態を表すようである。  (p.154)

などと書いていて、「反例」があることは当然のこととしているのですが(5千例も調べたのですから)、そのことを例の「まとめ」に書いておかないと、「反例がある!」などと言って喜ぶ人が出てきてしまいます。

まあ、大量の実例を調べて分析する、ということがどういうことか知らない人がそういう反応をするのでしょう。そもそも、元の論文に当たらないで反論するっていうのも、、、。

なお、これは私が書き落としたことですが、あの論文は、

  前接する品詞は、「ながらも」は動詞、形容詞、名詞、副詞に接続するが、
  「つつも」はほぼ動詞のみに接続するという違いがある。ここでは、両者に
  共通する動詞の焦点を当て、前接語を分析する。  (p.153)

ということで、動詞を受ける場合のみに限っています。ですから、「反例」のうちの名詞を受けるものはまた別です。

私が最初の投稿で例をいくつかあげた「名詞/形容動詞+でありながらも/つつも」は、清水論文の「つつも」の「動詞(99.8%) 名詞(0.2%)」の「0.2%」に入ってしまうようです。それほど、名詞(述語)を受ける例は少ないのでしょう。

自分が思いついた例が、全体の中でどの程度の頻度であり得るものかということは、こういうしっかりしたコーパス(BCCWJ)の全数調査をしないと、わからないものです。
なかなか、まじめな研究というのは手間のかかるものなのです。

あんまり清水論文に関わっていると、次の話に進めませんので、後は省略。

他の論文を探してみたところ、博士論文の一章が「~ながら/~つつ」に当てられているのを見つけました。

梶川克哉( 2 0 1 2 )「複文表現の意味的カテゴリー ―「目的」「付帯状況」をめぐって―」
名古屋大学大学院国際言語文化研究科日本言語文化専攻 博士論文
https://nagoya.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view …

これの第4章(p.50-81)が「~ながら」「~つつ」を扱っています。
その初めの部分を引用すると、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「~ながら」「~つつ」という表現の意味を記述するとき、「付帯状況」あるいは「同時動作」といった術語が用いられる。しかし考えてみると、ある行為に付帯する状況や、同時に進行する動作を言語化しようと思うと、その選択肢は無限にある。例えば「野球中継を見ている」という行為に付帯する状況として以下の例を作り出すことが可能である。
  (1) いつも配球を予想しながら野球中継を見ている。
  (2) いつも妻の愚痴にあいづちを打ちながら野球中継を見ている。
  (3) いつも妻に罵られながら野球中継を見ている。
それにも関わらず、無限に作り出すことが可能な付帯状況の中から、「配球を予想する」あるいは「あいづちを打つ」「罵られる」が、話者に選ばれ言語化されたのはなぜか。本来、その言語表現を用いるということは、そこに話者の何らかの表現意図が託されているはずであるが、「付帯状況」「同時動作」という説明にはその表現意図が反映されていない。
「付帯状況」というのは、「~ながら」やそれに類する表現に共通の特徴に便宜的につけたラベルに過ぎないと言えるだろう。この問題に対する本稿での結論を先に述べておくと、

  「~ながら」で表される付帯状況というのは、後件事態の成立に何らかの影響を及ぼし得ると話者によって認識されるものであり、
  「~つつ」で表されるものは後件事態によって妨げられずに維持しようと努められる付帯状況である。

ただ実際には、この相違は程度問題であり、典型的な用例において初めて顕著になるものである。ゆえに、ほとんど言い換え可能な場合が多く、4.4で行う比較例についても、できるだけ違いが明確になるものを取り上げているということを予め断っておく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ということで、期待して読んだのですが、もう一つ、という感じでした。

あと、市川真未という人が、

 1 「ながら」と「つつ」のポライトネス機能に関する一考察
 2 賞賛で使用される「ながら」と「つつ」に見られる特徴について―Twitter の用例から―

という論文を書いていますが、どうも私には言いたいことがよくわかりません。
(下のところから入手できます)
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%80%8C%E3 …

ただ、

  実際に丁寧度の高低にかかわらず、話し言葉で「つつ」が用いられていることは多く、
  話し言葉コーパスや話し言葉に近いSNS の投稿にも多くの「つつ」の例が見受けられる。

と書いているのは、なるほどと思いました。「~つつ」は書き言葉、とかんたんに言ってはいけないようです。

(この後も書いたのですが、制限字数を超えてしまったので、次に回します。)

saburoo
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この回答へのお礼

No.24の冒頭にある
〈基本的に「~ながら・つつ」に大きな意味の違いはなさそうだ〉
 が結論であることはかわらない気がします。

 互換性がある場合は、それが大前提になると思います。「つつ」のほうがはるかに制約が大きく、「つつある」は「ながら」にしにくいなどの例外はありますが。

>  前接する品詞は、「ながらも」は動詞、形容詞、名詞、副詞に接続するが、
>  「つつも」はほぼ動詞のみに接続するという違いがある。ここでは、両者に
>  共通する動詞の焦点を当て、前接語を分析する。  (p.153)

>ということで、動詞を受ける場合のみに限っています。ですから、「反例」のうちの名詞を受けるものはまた別です。
 それは予想できました。
 そもそも「質問」で引用している『類語例解辞典』も動詞とイ形容詞に限っている感じです(明記はしていませんが)。
「名詞」は最初から範疇外でしょう。
 当方がわからなかったのは、清水論文は「Pという心的状態」と書いているので、イ形容詞も想定しているのか否か、です。そのため「これが反例になっているのでしょうか」としか書けませんでした。それでわかると思ったのですが……。
 まあ、いずれにしても、動詞以外は「つつ」の互換性はなさそうなので、この際除外するべきでしょう。
 それにしても、「反例」らしきものをあげるにしても、もう少し自然な例にしてくれないと、その段階で論外でしょう。
 たとえば……。

名詞   子供ながら/貧乏ながらも/陰ながらも/
イ形容詞 狭いながらも/貧しいながらも
ナ形容詞 窮屈ながらも/不満ながらも
 ※名詞と考えることもできそう。

 けっこうあると思います。

>清水論文の「つつも」の「動詞(99.8%) 名詞(0.2%)」
 ということは、ほとんどは「思いつつも」「考えつつも」「気にしつつも」といった例なんですかね。

※続きはNo.24のお礼に書きます。

お礼日時:2020/06/24 22:25

No.21 のお礼に応えて



>>これが「反例」ですか?

巧拙はともかく、適切な批判ですね。

>PながらもQ……Pという心的状態・悪い状態であるが、予想外のQが起こることを表す。

「空は晴れていながらも、雨が降った。」の「空は晴れている」が「Pという心的状態・悪い状態である」ではなく、対象としての自然認識であり、「悪い状態」でもないのは明らかです。

この説明、解釈は語の意義と意味の相違を混同、取り違え、個別の文を恣意的に取り上げ意味を解釈しているに過ぎません。

意味とは何かが全く理解できていない現在の言語論、文法論の欠陥を露呈しています。■
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この回答へのお礼

>巧拙はともかく、適切な批判ですね。
 何に対する言葉でしょうか。意味不明です。

お礼日時:2020/06/21 22:29

No.20 の纏めについて



残念ながら、現象を恣意的に纏めるだけでは適確な分析はできません。

反例を挙げておきます。

>>PながらもQ……Pという心的状態・悪い状態であるが、予想外のQが起こることを表す。

雨が降りながらも、傘なしで出かけた。
あっぱれの優勝ながらも、戦い方に疑問が残った。
台風ながらも、飛行機は飛んだ。

>>PつつもQ……Pという心的状態であるが、予想外のQが起こることを表す。

TVを見つつも、問題を解いている。
景気は上向きつつも、町中はひっそりしている。

これらが、「Pという心的状態」でないのは明らかでしょう。思い込みによる恣意的な纏めとしか言いようがありません。なぜそうなるのかは、既に指摘の通り対象の本質を捉えられないからです。

結局、その後の纏めも単なる現象論です。■
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この回答へのお礼

これが「反例」ですか?
 日本語として不自然なもおんが多い気がします。
 しかも、これが反例になっているのでしょうか。

お礼日時:2020/06/19 20:16

1311tobiさん、どうもつまらぬ投稿ばかりになってすみません。

気晴らしにシロウトさんのトンデモ説に付き合ってしまって。

「つつ」と「ながら」についての論文を見つけた、という話を書いていませんでした。

『コーパスから始まる例文作り』という本の、第7章、

  清水由貴子 逆接を表す表現 (p.135~p.158)

というもので、最後の6ページ分が「ながらも/つつも」を扱っています。
https://www.amazon.co.jp/s?k=%E3%82%B3%E3%83%BC% …

コーパスは、例の国研のBCCWJで、「ながらも」4121例、「つつも」1065例、だそうです。こういう風にきちんと実例をたくさん分析しなければいけないのだと、改めて思うのですが、なかなかねえ。

最初に調査した結果をまとめて書いています。

  PながらもQ……Pという心的状態・悪い状態であるが、予想外のQが起こること
    を表す。書き言葉的。「変な味だと思いながらもその牛乳を全部飲んだら、
    おなかが痛くなった。」「彼はいつも忙しいと言いながらも、毎日2時間も
    も彼女と電話をしている。」
  PつつもQ……Pという心的状態であるが、予想外のQが起こることを表す。書き
    言葉的。話し手の後悔、告白を伝える場合に使う。「太ることを気にしつつ
    も、また甘いものを食べてしまった。」「悪いなと思いつつも、友だちから
    の誘いを断ってしまった。」

その後、4つの小見出しを立てて、例を出しながら論じています。
   ・前接する動詞はほぼ同じ
   ・違いは接続形式
     「ながらも」には直前の動詞が「ている」形と「ない」形のものもあるが、
     「つつも」には「ている」形と「ない」形のものがない 
   ・不本意な「つつも」
     「つつも」には不本意な気持ちを表す「Vてしまう」が来やすい。
   ・困難に立ち向かう「ながらも」
     一方「ながらも」は、「何とか/必死に」という副詞とともに「悪い状況
     の中でも、{何とか/必死に}頑張った」という文脈で使用され、また
     「Vてくれる」とともに「悪い状況の中でも、(人は)Vてくれた」という
     文脈でも使用されるのが確認された。
     なお、「ながらも」には、形容詞に接続するもの(小さい/狭い/わずか、
     等)、名詞に接続するもの(不本意/半信半疑、等)、副詞に接続するもの
     (嫌々/渋々、等)もある。いずれも良くない意味の語とともに使用される
     傾向がある。

あんまりぱっとはしませんが、大量の実例を調べた、地道な研究です。
「逆接」の用法では、やはり基本的に大きな違いはない、ということのようです。

接続の違いは大きく、「つつも」が形容詞に接続しないということは「ない」に接続しないということで、動詞の否定形に接続しないのですね。「わからないながらも」「知らないながらも」などは「つつも」では言えない。
これも「つつも」が使用されにくくなる理由の一つなのでしょう。

もう一つの、「同時進行/並行動作」の用法ではどんな違いがあるのか。(「動時進行」は単なる不注意による誤植でしょう。新造語ではないと思います)

「反復」ということを言う人がいます(「本義」だそうです)が、現代語での実例を挙げてくれません。
それが、「ながら」で言い換えられない例なら、新しい発見になるのですが。

saburoo

すみません。ちょっとだけ、よけいなことを。

  語基やら、イ形容詞の非過去形などと現実に存在しないものをでっち上げ(No.17から)

あれ?

  知る[sir_u]の語基は〔sir〕であり、「ながら」は動詞「知る」の連用形「知り」に
  接続しており、語基〔sir〕に接続はしていません。(No.10から)

こう書いたのはどなたですか?
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この回答へのお礼

清水由貴子氏の考察。興味深く拝読しました。

 膨大な例文を解析した結果に素人が口を挟むのもなんですが、疑問も感じます。
〈PながらもQ……Pという心的状態・悪い状態であるが、予想外のQが起こることを表す。書き言葉的。〉
〈PつつもQ……Pという心的状態であるが、予想外のQが起こることを表す。書き言葉的。〉

「悪い状態」やや限定し過ぎのような(後出の「いずれも良くない意味の語とともに使用される傾向がある」ぐらいでは)。
 ただ……適切な反例が浮かびません(泣)。
 ところで、「ながらも」も書き言葉的ですかね。

 その後の4つの見出しを見ても「接続」の問題以外はピンときません。
 思うに、「つつ」のほうがずっと制約が多いということでは。接続の問題で見てもそうですし、「逆接」の場合も「並行」の場合も、「つつ」だとちょっとひっかかることがあります。

 実はこの質問には、後追い質問が出ています。
【「私は音楽を聴きつつ読書するのが趣味だ」は自然な日本語ですか?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11700940.html

 個人的には、「聴きつつ読書をする」はちょっとひっかかります。それが「つつ」のほうが書き言葉的だからなのか否かは不明です。ただ、「つつ」にだけ「反復」の意味があるとは思えません。
 やり取りに疑問があったので、No.10でここのNo.12のやり取りを紹介(勝手に済みません)したところ、うまく伝わらなかったようです。
 肝心なのは〈これらを「反復」とするなら、「~ながら」にもその用法があることになります。広い意味での「状態の継続」になってしまっているのか。〉ということだと思うのですが。

「何度も後ろを振り返りつつ、去っていった」が「反復」のニュアンスになるのは、
1)「振り返る」が瞬間性の強い?動詞であること
2)「何度も」がついていること
 が影響しているような。
「対向車に注意を払いつつ、去っていった」なら、「状態の継続」でしょう。
 当然、「ながら」にかえても同じことです。
 まだ考えがまとまりません(泣)。

お礼日時:2020/06/17 21:23

No.18 の補足です。



>>普通の疑問文は述語の成否を問います。

★ このケーキはいくらですか?

この文は値段を問うもので、疑問文とは話者の疑問の表現であり、述語の成否を問うわけではありません。

★ 誰が工事を続けたか。

★ 誰が工事を続けた【の】か。

の二文で問うているのは「誰が」という不定代名詞の内容で、<「ノダ疑問文」は、述語ではなく、他のところに疑問の焦点があります。>などというのは言語表現とは何かが全く理解できていない形式主義的な発想による全くのピント外れです。■
この回答への補足あり
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No.12 の回答者が欠陥文法書に基づく回答を展開され、悪足搔きをされていますので基本的な誤りを指摘しておきましょう。



「現代日本語文法6 第11部 複文」からの引用

>>
まず、疑問と「ノダ」の関係。普通の疑問文は述語の成否を問います。
   その後、工事を続けたか。(続けなかったか)
「ノダ疑問文」は、述語ではなく、他のところに疑問の焦点があります。
   誰が工事を続けたのか。 (「続けた」という事実は存在)
   何日間、工事を続けたのか。
   命令されたから、工事を続けたのか。
これらの疑問文で、「~のか」でなく「~か」にすると、なんとなく足りない感じがします。/

<疑問と「ノダ」の関係。普通の疑問文は述語の成否を問います。~>
は根本的に誤っています。

★ その後、工事を続けた【の】か。(続けなかった【の】か)

という<「ノダ疑問文」は、述語ではなく、他のところに疑問の焦点があります。>などという馬鹿げたことを言う人はたとえシロウトの文法愛好家でもいないでしょう。

<これらの疑問文で、「~のか」でなく「~か」にすると、なんとなく足りない感じがします。>というのは、形式(抽象)名詞「の」による捉え直しがないからで、<疑問と「ノダ」の関係>が全く理解されていないからです。

<「ながら」「ながらも」は動詞の語基、イ形容詞の非過去形に接続する。>などという根本的に誤った発想では「のだ」とは何であるのかの正しい理解はできません。

「工事を続けたか」と「工事を続けた【の】か」の相違と関連も正しく理解できずに、この誤った理解を基に「つつ」を考察しても何の役にもたたないのは明らかでしょう。■
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