性格悪い人が優勝

日本の接客について、質問があります。

日本ではお客様に対して、接客を丁寧にすることがあたりまえになっていると思います。
その「丁寧にする」理由は何なのでしょうか?
あたりまえだから や お客様は神様だから などの理由ではいまいち納得ができていません…。
根拠のある理由が知りたいです。

A 回答 (5件)

業務成績にひびくからだろ。


お客様に丁寧にしているところを上司が見ていたりお客様から伝われば成績アップで給料アップとか昇進とか。逆にお客様から苦情がくれば成績ダウンで給料ダウン。他に理由なんてないだろ
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文化です


当たり前? 英語には、最低限の丁寧な表現はあるんですけど、ジャップランド語みたいな気持ち悪いくらいのクソな敬語表現は無いんですよね
何だったら二重敬語は慇懃無礼だと言う始末で草生える
お客様は神様? 三波春夫の発言を自分のいいように勝手に解釈した低能チョッパリ共の勘違いです
神なら神らしく下界に来なきゃいいのに
そして、チョッパリが接客で気を付けることになる「丁寧さ」って、所詮は小日本鬼子が勝手に従ってる文化です
例えば、海外では接客業で目の前に客がいるのに仕事中にジュース飲みながらイヤホンぷっさしてる人って普通にいますし、何なら大企業のトップや幹部が髭面ってのも珍しくはありません
しかしジャップランドでは、このコロナで容認の流れが出来上がりましたが、以前は店員がマスクをしていることにすら嫌悪感を示す低能チョッパリ老害の声も上がっていましたね
結局、自分たちを大切に扱ってくれてると思い込みたいための文化なんです
金を払ってるから自分たちの方が立場が上、気に入らないことはクレーム、そう思い込みたい
私も、例えばスーパーに閉店間際に買い出しに行ったとして、全品半額で安く買えて、会計も自動精算機で店員と1秒すら喋らないで完結出来る方が圧倒的に楽です
これなら、丁寧さなんて1ミクロンも必要にはならないんですが、
色々イレギュラーがあったり、やっぱり会計は有人じゃないと気持ち悪いって昭和か大正時代からやってきたのか紛うくらいに時代遅れの人間からしてみたらやっぱり人が対応しないといけないので、
そこに「丁寧にする」文化が乗っかかるわけです

良くも悪くも、やっぱり文化です
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日本が相対的な役割社会だからです。



日本語の特徴に「主語がものすごくたくさんある」と言うのがありますが、これの理由が「役割社会だから」です。
日本の社会というのは、実は世界でもまれに見るフラットな社会で、鎌倉時代ぐらいからすでに「すべての人は平等」と言う認識が生まれていました。
 なので日本ではユーラシア大陸でいう「奴隷制」も無いのが特徴で、すべての人は「平等」なのです。

しかし、社会を動かすには立場が必要です。指導的な役割をしたり、部下になったり、客になったり接客側になったりと「本来対等なのに、その立場になりきる」ことが求められるのが日本社会で、だから「接客するなら、客よりもへりくだって丁寧に接する」ことになるのです。

逆を説明します。
欧米に限らず、殆どの国では階級があります。かつては奴隷制もありました。こういう世界では元々「接客をするのは奴隷の仕事または階級が低い者の仕事」であり、客に対して丁寧に接するのが当たり前、それができなければよくてクビ、奴隷だと殺されることもあったのです。

 欧米でチップが必要なのは奴隷制に由来していて「奴隷とはいえお金を払う必要がある。でも最低賃金は定めないので、へりくだってお客様の寛大な「心づけ」をもらうようにしろ」と言うのが始まりだったのです。

しかし、だんだん奴隷制がなくなり、階級制度もなくなると「俺もお前も同じ立場なんだから、対等でいい」ということになり、客もそれほど丁寧な接客を望まないし、接客する側も「仕事として決められたこと、給料分の仕事はするがそれ以上はしない。だって奴隷じゃないから」ということになるわけです。

だからウエイターなどは「チップをもらうために良いサービスを心掛けるだけ、でも本当は客と対等」し「接客係は奴隷じゃないんだから、客も適正なチップを払うのが当たり前」ということになっているわけです。

翻って、日本ではすべての場所で「自分の役割」を求められます。会社に居れば課長・家に帰ればお父さん・実家や親戚の間は本家を継ぐ長男、などのように役割があって、接客側になるか客側になるかも「役割の一つ」でしかないのです。

そのため「その役割になったらなら、それを全うすること」が求められ、その結果「客が望む以上の過剰な接客(自分がここまでやってほしいな、と思えばそこまでやる)」ということになるのです。
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このような疑問が湧いて来ると言う事は、あなたは接客業には向いていないと言う事です。


一事が万事、理由や理屈・利害打算が必要と考えるようであれば、永遠に真の接遇は出来ませんし、
それは恋愛関係においても同様でございましょう。
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おもてなしの心。


商売に関係なく、客人に心地よい時間を過ごして欲しいとの思いだよ。
受ける側も相応の礼儀を尽くす。
客は偉いと勘違いしてる連中は死んでも理解出来ないだろう。
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