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大学でレポートを書いているのですが仏教出現の意義が分かりません。仏教はなぜ出現したのですか?
そしてもう一つなんですが、仏教における神の役割とは一体なんなのですか?
仏陀と人間と神の関係等いろいろ図書館等で調べてみたんですが全く理解できませんでした(^^;

A 回答 (3件)

仏教の背景には「輪廻転生思想」が欠かせません。


ここから全てが始まり、ここから全てが狂ったといえると想います。
(あくまでも私見ですが)

元々インドの農耕民族の間に「再生観」というのがあったそうです。
死後、再生するという思想です。

で、ここにインドに侵入してきたアーリア人の「因果思想(業=行為による因果)」が加わって、繰り返すという死生観「輪廻思想」というのが体系化したのがBC7~8世紀頃ではないかということです。

で、インドの思想界というのはとても賑やかだったそうですが、修行(出家)の根幹は、やはりこの輪廻からの解脱を究極としていたようです。(善因楽果、悪因苦果、自業自得は業から発生しますので、業を作らないための出家であったそうです)


そんな思想世界の背景があって、お釈迦さま自身、幼い頃に実母を亡くしていますし、元々内省的な性格だったそうですから、自然と修行に惹かれて行ったのだと想います。


そして、自然の摂理(諸法無我、無常、縁起)と、それを応用した合理的な苦からの解脱法を悟って、独覚による正等覚者になったんです。

で、そんなお釈迦さまがあまりにも素晴らしいというので、お釈迦さまを神聖化、神格化する動きが出てきて、お釈迦さまの輪廻転生についても言及(創作)されるようになってしまったんです。

悟りを開く前の転生時代を「菩薩」呼ぼうとして、過去世物語の「ジャータカ」が創作されたり、お釈迦さまの前にも過去7人の仏が居たに違いない(過去七仏)、過去にいたのならば未来にも居るに違いない(弥勒菩薩≪現在、修行中≫)とか、お釈迦さまの舌は顔全体を覆い尽くすほど大きいとか、性器は体内に内臓されているとか。

・・と、言った具合に求心力もあったのでしょうが、人間としてのお釈迦さまは消え失せ、いつしか「ウルトラマン」のような話に出来上がってしまうんです。


で、これが大乗仏教になると、ウルトラマンの父や母も居たはずだし、弟もいたはずだということで、ウルトラの父、母、タロウにレオ・・・と、どんどん創作されて、それぞれに経典が書かれ、信者が増え、ストーリが進展していくんです。

そして、ウルトラ宇宙界にもそれぞれにブッダが居るに違い、あのブッダ(お釈迦さま)はウルトラ宇宙仏の仮の姿だったんだ・・となり、
・・・・もう、本来の仏教からまるで遠ざかっていくんです。
神秘化、救済主義、救世主信仰が加速されるんです。

で、これらがみんな「如是我聞(私はお釈迦さまからこのように聞いた・・」という手続きを踏んでいるので、みんなこれが仏教だと信じてしまうんです。


本来の仏教は神は立てません。
徹底的な実存主義で、どちらかというと『心理療法』だと想います。
「仏陀」というのも、仏教以前から聖人と見なされた人に与えられていた普通名詞であり、お釈迦さまを指す固有名詞ではなかったんです。

「業」は心から派生しますので、その心を安らかにする安らぎの実践(涅槃)が見事に説かれているものだと想います。

一切の妄想に対する執着を捨て、「今、ここの自分(心)」というものを大切にしますので、呪術や祈祷、占いの類はしませんでしたし、形而上的な話題もしませんし、本当に優れた実践心理療法であったと想います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!例えがおもしろく私にも理解する事ができました(^^; 参考にさせていただきます!

お礼日時:2005/01/23 14:10

参考に


釈尊出現の最大の意味は、人は修行を通じて必ず阿羅漢や菩薩や如来になれるということです。阿羅漢や菩薩や如来のことを西洋では精霊や天使や大天使といいますね。幾転生修行し続ければ必ず神様になれるということですね。その修行の仕方を教えたのですから、念仏を唱えれば救われる、アーメーンで救われるなどなどの巷の救済宗教をはるかに越えているのですね。
救いを求める人は砂の数ほどいるが、救う側の菩薩や天使を育成する教えは釈尊の仏教だけです。釈尊は神々さえも超えたとおっしゃっています。それが天上天下唯我独尊という意味ですね。寺の門には「あ」像と「ん」像がいますが、これはギリシャ語で言えばアルファとオメガ、英語だと最初から最後という意味でしょう。キリスト教の全知全能の神は、アルファでありオメガなんですよね。客観的にはそんな意味もあるのかもですね。つまり地に降りた最大で最高の教えということでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!!レポートの参考にさせてもらいます!

お礼日時:2005/01/23 14:08

ここ数世紀の欧米および日本の状況を考えてみてください。


 ルネッサンスに始まる、物質の成り立ちに対する探求や
 科学技術は発達し、いわゆる物質的には大変に豊かな
 時代となっています。
 ところが人間は「ないものねだり」ですから、あまりにも物質文明が行き過ぎると、今度は
 「精神」=「こころ」の問題を解決しようとします。
 つまり、
 「人間はどこから来て、どこへいくのか?」
 「私とは何か、なぜ一度生まれ出でた存在が死なねば
 ならぬのか?」
  という人間の根本存在に対する問いに向かうのです。
 世界史で世界四代文明と習ったように、釈迦出現当時の
 インドもほぼ今の欧米やヨーロッパのように、
 物質的には当時の世界で最も豊かな文明を享受して
 いました。
 ところが精神的な面を見ると、当時の伝統的な宗教指導者(バラモン層)は堕落し、
 目の前の人々の悩みに生きた言葉をもって答えられなく
 なっていました。
 その時代に前述の、人間ならば誰しも持つ悩みを
 探求し、ついに悟りに至ったのが釈迦です。
 そういう意味を持ちます。

 神について
 仏教は個別の存在の背後にある宇宙の
 根源的な普遍的一者とわれわれとが一体であることを
 説きます。
 その意味で神を立てません。
 
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この回答へのお礼

ありがとうございます!なんだか人生的にも勉強になりそうですね!レポートの参考にさせていただきます!

お礼日時:2005/01/23 14:09

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