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私の祖母が乗ったのは、電車だったのでしょうか、汽車だったのでしょうか?
生前、私の祖母が昭和4年に当時の尋常小学校を中退し、祖母から見れば叔母にあたる人のお世話に香川県小豆島から千葉県市川市国府台まで行ったというのですが、記憶があいまいで電車に乗って行ったのか汽車だったのかわからないという事でした。
当時、多分、岡山か大阪あたりから鉄道に乗って行ったのだと推測していますが、分かる方がおられましたらお教え頂ければ幸いです。

A 回答 (5件)

ご質問内容から推察しますと当時は汽車、今で言うSLが大半で、旅客列車も客車列車(木造)が殆どです。


電化区間も今で言うJRの前身にあたる国鉄(更にご質問内容であれば院鉄(鉄道院)では?)や私鉄でも東京と大阪の大都市周辺(イメージ的に言えば、東海道本線の「端(東京〜国府津〜熱海〜沼津)」と「端(大阪周辺)」でしか電化していない状態)と一部の鉱山や炭鉱に繋がる路線のみで、今ほど電車が長距離走る事はなく(イメージ的JR東日本の上野東京ライン(黒磯〜東京〜熱海)、JR西日本の新快速(敦賀〜湖西線〜京都〜大阪〜神戸〜姫路〜相生〜赤穂線〜播州赤穂))、電化されていても客車に電気機関車を連結しての運行だったと思われます。
ただ運行形態は今のJRの在来線とは異なり、幹線(東海道本線や東北本線のような)路線であれば南樺太を含む北海道や台湾、大陸方面を除けば毎日どこかの路線から東京への直通列車(主力は急行列車、路線によっては普通列車もあり。但し千葉方面は両国橋駅発着、東北・北陸方面は主に上野駅発着)があった筈なので、現在の18きっぷの旅と比べると乗り継ぎ回数は少なかったかと思います。
推測されるルートは、
小豆島→船(→高松港(高松駅)→連絡船)→宇野港・宇野駅→宇野線(客車列車)→岡山→山陽本線・東海道本線(客車列車)→東京駅→山手・京浜東北線(電車)→秋葉原駅→総武線(電車、今の中央・総武緩行線)→両国橋駅→総武本線(客車列車)→千葉方面
と思われます。
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汽車。

正確には、蒸気機関車牽引の客車列車です。
それも、多分、半鋼製木造客車でしょう。
そんな列車を乗り継ぎ乗り継ぎ、丸2日掛かりで千葉まで行ったと想像します。
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主な本線の電化は30年~40年ですから関西~関東なら汽車でしようね。



そもそも当時の電車は構造じよう長距離を走ることは出来ませんでした。
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汽車(蒸気機関車が牽引する客車列車)でしょう。


東海道本線の全線電化は昭和31年で、昭和4年頃だと東京ー熱海間くらいしか電化されていませんでしたから。
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汽車ですね。


汽車から、ディーゼルに、、電化は、それからかと。

昭和40年千葉県は、ディーゼル機関車でしたから。
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