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1. 分からない。神から人間へのハタラキカケは どのようになっているか。
分からない。
2. 推測するに 《風は 気ままに吹く》という命題が当てはまる。か?
3. あるいは 《母レベッカの胎内にあるときから 双子の兄のエサウを神
は憎み 弟のヤコブを愛した》というごとく 明らかに依怙贔屓によるか?
4. いかに?
5. あるいは 一切衆生 悉有仏性というごとく すでに初めに――エサウ
なる赤子を憎んだというけれど その根っ子では――汲めども尽きぬ泉の水は
誰にでも湧き起こっているか? 聖火は ともされているか?
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No.10
- 回答日時:
それは明るい空のようで、別に火芯のようなものがあるわけではないので、自燃であるかと言うと、?だし、では他の誰かから与えられた火かと言うと、そんな気はしない。
これは内なる世界の光だと言えると思います。私の世界であり、それの昼は明るく、夜も晴れている。
だから、空(こころ?)が澄んでいれば、日中、光は必然に広がるけれど、それが曇っていれば光は遮られてしまう、こう言う感じかなと。
ポルポさんの話を聴いて。
僕も声を聴いたことがあります。
ある人にコーヒー豆を贈ろうかどうか思案して街をうろついていた時、バス停の辺りで、声がしました。それは中空から、
「真っ直ぐっていうのは、直線のこととちゃうんやで。」
と聴こえました。誰か、バスの関係者がゆうたんかいな?と思って一瞬見回しましたが、該当する人は居ませんでした。私は彼を、関西出身の仏だったのだろうと思っています。
私は当時、仏の教えについて色々思案しておる最中で、菩薩の心、即ち直き心についてもよく考えていたのです。期せずして大きなヒントを得た私は、直き心の有り様についての理解と確信とを獲得したのです。
このコーヒー豆を贈ろうとしていた相手と言うのが、供養するに値する人物であったのでしょうか。結局、私は豆は贈らなかったのです。しかしその気持ちが届いたのだと思います。誰に?仏らに。
ご回答をありがとうございます。
★ それは明るい空のようで、別に火芯のようなものがあるわけでは
ないので、自燃であるかと言うと、?だし、では他の誰かから与えら
れた火かと言うと、そんな気はしない。
☆ ① 他者から与えられるという場合は――科学的知見や人間の思
いやりの場合を除けば―― まづ ないでしょう。
①-a 知識情報を教わるという場合でも じっさいはその内容を受け
取った自分がその答えがよいと自分におしえているというのが 実態
なはずです。
② ★ 自燃であるかと言うと、?だし
☆ いや 《自燃》はいいんぢゃないですか。その場合の《自》は人
たるわれのことではなく 《火芯》ないし《燈心》自体のことです。
③ むろん 初めから:
★ 明るい空
☆ であってもよいだろうし 《闇の中にあった者が 光の場に何ら
かの拍子で出て来た》という場合でもよいはずです。闇から光への明
転は 燈心に火がともったときです。
★ これは内なる世界の光だと言えると思います。私の世界であり、
それの昼は明るく、夜も晴れている。
だから、空(こころ?)が澄んでいれば、日中、光は必然に広がるけ
れど、それが曇っていれば光は遮られてしまう、こう言う感じかなと。
☆ いささか あいまい ですね。
わたしに――生まれつき――そなわったものにしても 所有物として
自分があやつれるものかというと おそらくそうではないのでしょう。
人間としての自力。神としての他力。この区別が あいまいに感じま
す。
★ ポルポさんの話を聴いて。
僕も声を聴いたことがあります。
☆ この種の話はこの場で あったかも知れませんが 印象や理論と
してのこっているのは少ないです。
お二人の事例をうかがい うまく理論の中に突っ込めないかとは思い
ます。
★ ある人にコーヒー豆を贈ろうかどうか思案して街をうろついてい
た時、・・・
★ 私は当時、仏の教えについて色々思案しておる最中で、・・・
☆ このご体験も どちらかと言うと 《知恵のヒラメキ》のほうの
問題ではないかとは思います。すべて受け容れましたが。
どうですか?
ヒラメキと燈心との区分は わたしの勝手なものではあるのですが。
No.9
- 回答日時:
No.8です。
>《ひとりでも聖人がいる》のなら《国土が乱れることはない》のでは?
その他多くの人が、、、という意味でしょう。
実際にその当時には、念仏(法然:浄土宗)の全盛期であり、国の権力者から下々の民衆まで念仏に傾倒していた時代です。
そもそも『立正安国論』という書は、時の執権北条時頼に宛てたものです。
また、「世皆生に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災い起り難起る」の文が、経文から引用されているのかは、今のところ(私には)不明です。
ご回答をありがとうございます。
☆☆ >《ひとりでも聖人がいる》のなら《国土が乱れることはない》
のでは?
● その他多くの人が、、、という意味でしょう。
☆ 意味が採りづらいです。
○ 《ひとりでも聖人がいる》のなら《国土が 最期まで 乱れるこ
とはない》のでは?
☆ と言い直します。つまり しかるべき程度(それが どの程度か
は分かりませんが)には乱れるでしょうが 全滅・完全崩壊には――
ひとりでも聖人がいるなら――到らないでしょう? と問い返します。
No.8
- 回答日時:
No.5です。
■前半の神についての項目は省きます。
>▲ 『立正安国論』、、、「世皆生に背き人悉く悪に帰す、故に善神
は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来
り鬼来り災い起り難起る」
※文面の訂正です。
誤)世皆生に背き ⇒正)世皆正に背き
失礼いたしました。
☆ これを唱えている人は 《生に背き 悪に帰す》ことはしていな
いのですか?
●してはおりません。
・正⇒正法
・悪⇒邪教
>▲ 『立正安国論』、、、「国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るる
が故に万民乱る」
☆ この著者は 《乱るる万民》に入っていないのですか?
●入っておりません。
・『立正安国論』⇒日蓮大聖人
・「国土乱れん時は、、、、万民乱る」⇒釈尊(仁王経)
ご回答をありがとうございます。
>▲ 『立正安国論』
☆☆ これを唱えている人は 《生(・正⇒正法)に背き 悪(⇒邪
教)に帰す》ことはしていないのですか?
● してはおりません。
☆ ぢゃあ 《皆》というのは おかしいのでは?
つまり ふざけて言うのではなく 《ひとりでも聖人がいる》のなら
《国土が乱れることはない》のでは?
もうひとつの論点は 同じ趣旨ですので 省略します。
No.7
- 回答日時:
私は、現在はキリスト教徒ですが、妊娠・出産のときには、アメリカには住んでいたけれど、多くの日本人と同じ状況でした。
神道・仏教・無宗教。出産が近くなって、里帰りはできないし、母は来ないし、赤ん坊に触ったこともなかった私は、パニックでした。妊娠をやめて、仕事を続けたかった。怖くて、お風呂場で泣いていた30代でした。
で、ある日、落ち着くために寝しなにお風呂に入って泣いていたら、肩の後ろのあたりで、”It will be all right.”という、良心の声が聞こえた。ハートのあたりだと言えます。元気が出た。
場所柄、日本の神様や仏様ではなく、アメリカの神様だろうとあたりをつけて、改宗しました。
他の方と話をしても、そういうことは、ままあります。
逆境で、助けを求めると、どこからか、勇気が湧いてくる仕組みです。
ご回答をありがとうございます。
★ で、ある日、落ち着くために寝しなにお風呂に入って泣いていたら、
肩の後ろのあたりで、”It will be all right.”という、良心の声が聞こえた。
ハートのあたりだと言えます。元気が出た。
☆ どちらかと言えば:
【Q:神は どのようにして知恵のヒラメキをあたえるか】
☆ のほうの問題であるように感じられます。
★ 元気が出た。
☆ のは 心なる燈心の火――つまりこれが 元気じるし――の問題だと。
★ 他の方と話をしても、そういうことは、ままあります。
★ 逆境で、助けを求めると、どこからか、勇気が湧いてくる仕組みです。
☆ そうですね。わたしの勝手な区分になりますが この心の燈心は け
っきょく初めに一度ともされたなら あたかも永久に燃え続けるものと捉
えております。
そこのところは 問題提起としてのみ いまは触れるかたちにさせてもら
いますが。
分かりにくい参考資料:
▲ (マタイによる福音書 12章18-21) ~~~
「見よ、わたし(=神)の選んだ僕。わたしの心に適った愛する者。
この僕(=キリスト・イエス)にわたしの霊を授ける。
彼は異邦人に正義を知らせる。
彼は争わず、叫ばず、その声を聞く者は大通りにはいない。
正義を勝利に導くまで、彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を
消さない。 ・・・」 (イザヤ書42:1-4)
~~~~~~~~~
No.6
- 回答日時:
希望に 形状があるの?
No.5
- 回答日時:
>1. 分からない。
神から人間へのハタラキカケは どのようになっているか。分からない。
『神』というものは、諸天にもなれば、悪鬼にもなる。
・諸天善神、、、正法を行ずる者を守護する働き。民衆と国土を守護し福をもたらす働きをする。
・悪鬼、、、国家、社会に対して天災地変や思想の混乱を起こす働きをする。
『立正安国論』、、、「世皆生に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災い起り難起る」
『立正安国論』、、、「国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る」
ご回答をありがとうございます。
★ 『神』というものは、諸天にもなれば、悪鬼にもなる。
☆ いえ。舌足らずでしたが ここでは 《超自然・超経験》として
の神です。
絶対性ないし無限なるものを言い:
★ 諸天や悪鬼
☆ とは一線を画します。
★ ・諸天善神、、、正法を行ずる者を守護する働き。民衆と国土を
守護し福をもたらす働きをする。
☆ これらは ただひとつの神――普遍神――の分身でありその個別
具体的なハタラキを言うと見ます。
★ ・悪鬼、、、国家、社会に対して天災地変や思想の混乱を起こす
働きをする。
☆ これは もし善鬼があるとすれば その善鬼と一緒にして捉える
とよいと考えます。そうすれば 前項の《分身》説のもとにおさまり
ます。
▲ 『立正安国論』、、、「世皆生に背き人悉く悪に帰す、故に善神
は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来
り鬼来り災い起り難起る」
☆ これを唱えている人は 《生に背き 悪に帰す》ことはしていな
いのですか?
▲ 『立正安国論』、、、「国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るる
が故に万民乱る」
☆ この著者は 《乱るる万民》に入っていないのですか?
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№12つづき1
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の前の相手や事情や情況 それらに付きっ切りになって 長い視野ま
たは全体観では 見ることが出来ていない場合として。
★ アウグスティヌスは神を信じていたであろうから、その即時性に
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と言うその真実について、神を目指す人は知りたいと思うと思います。
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けたかと言うと、結びついて像をなしていたものが、解けたという事
です。
☆ あぁ。きさらぎさんの即時性は あたかも空海の言う《即身成仏》
のことだったんですか。たぶん そうらしい。一瞬にしてさとりを得
るという信仰の方程式ですかね。
つづく
№12つづき2
前項でのわたしの思い違いをそのままにして 考えますが どうなり
ますか。
たぶん その理念としての方程式が 現実の具体的な場面においても
あたかもチカラを発揮する。ものごとを解決する。といった図解にな
るでしょうか。
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される》。ううーん。この図解は すでに一件落着となったあとに言
えることですね。惜しむらくは!
★ 生活と仕事、戒律
社会のルールを律と言い、自らに備わった行動法則を戒と言います。
武道で言えば、一本とか、技ありとか、減点とか、そう言ったものを
決めるのが律で、身体の正しい使い方や、武道の目的とか、そういう
ものが戒にあたります。
☆ ふむ。そうだと 戒は 主体的・実践的ですね。
つづく
№12つづき3
★ 戒を備えた人は、道場だけでなく、日常の場でもその動作の整っ
た様を現じることになります。
☆ そうなるでしょうね。
★ 社会で見られる必要悪といった様なものを為すことは困難である
と思います。つまり社会は自由ではなく、戒を備えた人の方が自由で
あるとなるのですね。
この戒は自発的なもので、誰かのおしきせではないから、縛りにはな
らないのです。自発と言うのは、先程の自燃にも通じる意味かなと思
います。
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まの必要悪のことであり得ますね。その場合 《戒》をも外します。
戒を侵します。
と――もし――すれば どうなりますか? 注文(補足要求)の多い
レストランですみません。
やっぱり へんですか?
№13つづき1
§ ・即時性の具体的場面における描写
★ 時の中に合うということ、それが即時性の発露であり、それは縁に
基づくと考えられます。例えば、同じ時と場所に居て対面して話してい
ても、会えない人はお互いに縁がないと考え、時や場所が離れており、
対面もしていないけれど、時と場を(道において)共有し、出会ってい
る人は、縁があるのだということです。
これは、ポルポさんの話された声につながる話の背景です。中空に聴こ
えた声の主と私は縁があるのです。
☆ ずばり私見を言いますと 絶対性なる真理としての神は 霊性のチ
カラとして 縁の有無を超えてはたらくんです。親鸞は 即得往生と言
いました。絶対他力です。
★ 霊がより透明で静的な解釈だとすれば、縁は風のように掴みがたく、
だが訪れる。それを察知するのは容易な事です。
☆ 霊は 程度問題――相対性――を超えています。
つづく
№13つづき2
★ もちろん、しっかりと生身で出会う縁も存在するでしょう。しかし
その場合も縁を主催するのは、道であり空であり、霊の世界の動態と言
うことになるでしょう。
☆ その自由自在性は 霊性ですね。《わたしは 真理であり 道であ
り 生命です》とイエスは 言っちゃいました。
§ ・必要悪と戒について
★ 必要悪と戒が対立した場合、おそらく必要悪の方が正されると思い
ます。
☆ はい。理念において理論としてはなんです。
★ 修行の途中で逃げ出し邪道に入った門下と、完全に武道を修めた達
人が対峙した時、邪道の方は自分の否を認めざるを得なくなる。戒を修
めた人が居れば、悪の方がそちらに引っ張られると思います。
☆ あえて悪鬼になりますと 悪人は 《自分の非をみとめた上でなお
悪の道を突っ走ります》。
つづく
№13つづき3
キリストのよい香りは そのような悪人には 一たん〔その旧き人間の
部分を〕滅びに到らせるとも言います。
闇なる旧き人を光のほうへ すでに《即時性》において引っ張る光があ
れよかし。
★ 追伸
昨今はお礼をちゃんと書いて頂くことも少なくなり、ブラジェさんのよ
うにもりもり書いてもらえると回答しがいがあります。ちゃんと読んで
回答を理解しようとしてくれているのだと。全部には答えられないかも
知れないけれど、時間と体力(目)の範囲で、こんな感じで答えられた
らと思います。
☆ ひさしぶりにものを考えたなぁと思います。
☆ ご回答を 二回か三回に分けて書いてもらえるとありがたいです。
№20補遺です。
★ 文学の娘 / 文学なる少女
☆ この《女性性》は 《無限の地続き》と聞いて 母親がその子をどこまでも守り抜くというその愛を連想したところから来ています。
○ 文学少年 と 哲学ボーイ
☆ とでも名づけたほうがよいかも知れません。少年は 少女をふくみます。哲学ギャルは まれだという現象だけから名づけたものです。
○ 母なる文学 父なる哲学
☆ というと あまりにもまとめ過ぎているでしょうね。
文学の視点からする《無限の地続き》は 哲学が《絶対の隔たり》を見たあとその《絶対(無限)》とわれとのあいだに――無限者の側からの働きかけとして――成り立つという恰好をいまは見ています。
そのハタラキカケに人はあまえ得ます。聖なる甘え。
なお:
◆ 宇宙の孤児(みなしご)と言った人
☆ は neutraling (または neutral )という方です。