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伊藤博文は長州五傑の一人として英国留学していますが、渡英後は学問を習得する事なく直ぐに帰国しています。
彼は本来ユニバーシティカレッジロンドンでどの様な学問を学ぶ為に留学したのでしょうか?

A 回答 (3件)

実際向こうで軍事や技術、社会制度を見聞した人もいたが、


伊藤博文は違ったと思う。

これは昭和の話だが。
海軍に書記官として採用された杉田主馬が、ケンブリッジ留学を命じられた。
挨拶のため海軍大臣阿保清種を訪れたところ、阿保が言った。
「辞令を貰ったろう。何と書いてあった?」
杉田が語学・法学の研修と述べると阿保は即座に手を振ってこう言った。
「そんなのな。なあ~んにもやらんでええぞ。
 ただ、向こうの人間がどういうものの見方考え方をするか、それだけをよーく見てきてくれ」

杉田は身分は書記官といえ法律顧問候補として雇われたのであり、将来国際法に基づく見解を示さなければならない立場にあった。
実際終戦間際、彼は米内海相からポツダム宣言受託の用意ありとの日本声明に対する連合軍の英文を示され、
「これで陛下の地位は安泰であろうか?」
と問われている。
その英語の語彙にどういうニュアンスが込められているか、それは実地に向こうで向こうの人間と付き合わないと正確には分からないだろう。
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目的は、外国をその目で見ること。


どうせコネがないので、学ぶ分野を選べない。
現地に行って、試行錯誤しながら必要なものを探し学ぶ。残る三人はそうしたようです。どの程度の成果だったかは、疑問符ですが。

少し前、各藩が外国のことを知ろうと、何人かえらんで蘭学者に弟子入りさせたり、長崎に留学させたりしてますが、何も学んでないのが多い。ただ、長崎帰り、蘭学を学んだという箔付けができたというだけ。
長州藩も、同じ感覚、洋行帰りという肩書きのためという意味がおおきかったのではないでしょうか。
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>伊藤博文は長州五傑の一人として英国留学しています



まず「長州五傑」とは後世の人が付けた呼称です。
彼らが自称した事はないと思います。


>どの様な学問を学ぶ為に留学したのでしょうか?

彼らの渡航の目的は主に「海軍」について学ぶためです。
それにより、国力の差に気がついて攘夷が不可能であると認識しました。

伊藤博文と井上馨が短期で帰国したのは、列強が長州を攻撃するという噂を聞いた為です。
彼らは、攘夷の無謀さを説いて戦争回避の為の説得をしました。
しかし、それでも英仏米蘭による下関砲撃事を止める事はできませんでした。


この程度の事は、調べれば簡単にわかる事だと思います。
(ここで質問出来る程度にネットを使えるなら)
「伊藤博文は長州五傑の一人として英国留学し」の回答画像1
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この回答へのお礼

ありがとうございます。⑨過ぎました。

お礼日時:2020/10/07 11:26

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