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あるフランスの中学校で一人の歴史の先生が授業でイスラムの預言者ムハンマドについて、一枚の風刺画を用いてムハンマドを冒涜する権利を行使した。
これに対しイスラムは怒り、その先生の首をちょん切った。
イスラムがよくやる行為である。
これについてフランスのマクロン大統領は表現の自由を掲げ、「冒涜する権利がある」と主張した。
これに対しイスラムは再び怒り狂い、マクロン大統領を非難し、フランス製品不買運動を展開した。
他国製品の不買運動は今や流行りである。
「冒涜する権利がある」と主張するマクロン大統領は正しいか?
それともイスラムの怒りが正しいか?
どっちが正しい?

A 回答 (32件中11~20件)

結果として「冒涜」と称される行為になってしまうことはあると思います。


観点が違うわけですから。

実際マクロンが「冒涜」という言葉を使い、それを権利として認めたということについて確認していないのですが、そもそも「冒涜」には他者が大事にしていたり神聖だと考えているものを「意図的に貶める」意味があるのでそんなことに権利があるはずもありません。

他者の信仰や思想を批判批評することの権利は明らかに存在するし、必要なことだと思います。でもそれをするには理由とか根拠の明示は必要だし、卑しい意図が無いことが肝心なのではないでしょうか。
オウムのときに信仰批判が無条件にタブーであったら洗脳と脅迫に依った巨大な政党くらいは出来ていたかもしれないってことです。

批判批評の時点では言う方は「権利」だけれども、言われる側はすでに「冒涜」。同時発生してしまうことなのでマクロンは「お前らの言う冒涜とは我々にしてみれば当然の権利なのだ」と言いたかったのかもしれないですけど、初めから自ら発信の「冒涜」の権利なんかあるわけがない。
一方でムスリム側も他者の批判批評の段階の事柄ですら一切受け止めず、文化の違いなどの範囲として寛容に処理できないのは、これも明らかに他者を尊重出来ない迷惑な集団と言わざるを得ない。

「冒涜する権利」など無い。
宗教上他者との接触に対して1ミリの譲歩すらなく、1度の進路変更もなく振舞うのは発想としては理解できなくはないが、無数の縁が絡んでいる現代の世界からすれば迷惑であるし傲慢だと思う。

他者を尊重出来ない人間は、ことを実現する過程で人の協力を得にくいので他の手段、金銭や権力、腕力、詐欺なんかをどうしても多めに使うことになっちゃう。今回のフランスもムスリムも選挙中のアメリカも中国もみんな個人の話からしてまず攻撃だからねぇ。世界中大半が「ヤカラ」になっちゃってる。
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正しいか否かを判断するのは、法令規則などを基準にする。


または
その人の立場立ち位置宗教信念信仰ポリシーによるところ。
なので質問が足らない。
これだけでは正しいかどうかの判断は出来ない。
不毛な言い合いが激しくなるだけです。

じゃなきゃ、それを面白がってるだけですかね。
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首をちょん切ったイスラムの考え方と態度が受け入れられないことは明らかです。



しかしながら、「冒涜する権利」も同様に受け入れられません。 そんな権利があるならば、その背景にある義務を説明すべきです。

ムスリムをからかってみたら想像を超えて怒り出した。 「からかうのは自由だ」、「怒るほうが異常だ」と言っているに等しい。 フランス人らしい軽率さです。

彼らの「愚かさ」は現地に行ってみると分かります。 ホテルではフロントでもレストランでもアジア人の英語が伝わりにくい。 しかし、チップをはずんだ瞬間に流暢な会話が成立します。

「待遇改善」などの理由で、公共交通機関や医療機関、物流関係あるいは行政のいずれかがいつでもストライキをしている。 経済の血流となったり、人々の生活や安全を支え機関がです。 そして、それを住民が受け入れている。 「公共の福祉」<「個人の権利」という独自の価値観を持っている訳です。

アジアの大国(近隣)にそっくりな倫理観をお持ちの国民性です。
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冒涜する権利なんか存在しないと思います。



誰かが何かを大事にしている。
そこにわざわざ近づいてきて、
わざわざそれを悪く言う、そして相手を嫌な気持ちにさせる。

そんなことをする権利は認められない。

という感想です。
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〉イスラムがフランスの地に乗り込んでイスラムを叫んでどーなる。




既に、

叫んでいるが、
どうにも なっていない。
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どちらも正しい



だから、お互いにケンカしてるとは
思いますよ


どちらかが間違ってれば
ケンカには成らないですもんね

(  ̄▽ ̄)にっこり
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日本国憲法


第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

○ 「宗教に関する寛容の態度」
宗教を信ずる又は信じないことに関して、また宗教のうち一定の宗派を信ずる又は信じないことに関して、他宗教ないし他宗派をそれと認めつつ、侮べつ、排斥をしないこと、ゆるしいれることであり、さらに反宗教者に対しても寛容の態度をとること
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この回答へのお礼

一つ言っておく。
イスラムを擁護するとどーなるかゆーこと。
イスラムに入れば神を持たぬ日本人などは人間以下、つまり虫けらの類とみなされるゆーことよーく心得ておいたほーがえー。

お礼日時:2020/11/02 22:17

つまりは・・・


その先生がイスラム教を信じているのなら
権利がありそうな感じがしますが・・

というか
正しいとか間違ってるとかの問題ではなく
倫理観というか
その先生は何が目的で冒涜したのだろう。
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この回答へのお礼

>その先生は何が目的で冒涜したのだろう。

中学生を啓蒙するためです。
先生は中学生をカルトから守りたかったのです。

お礼日時:2020/11/02 18:48

「冒涜する権利がある」と主張するマクロン大統領は正しいか?


それともイスラムの怒りが正しいか?
どっちが正しい?
 ↑
ムスリムにとって、イスラムは生命そのもの
人格そのものなんです。

だから、イスラムを冒涜することは
その人自身は勿論、祖国、部族、家族を
冒涜することになるのです。

マクロンさんには、そうした配慮が
ありませんね。

イスラムを冒涜する権利があるなら
名誉毀損など成立し得ませんよ。
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この回答へのお礼

>ムスリムにとって、イスラムは生命そのもの
人格そのものなんです。

それは甘えです。
テロもイスラムの甘え。
全地球的にはそんなことはどーでもいいことです。

お礼日時:2020/11/02 18:46

成る程、



自身の 内なる、
全てを 統べきる、
背信者とは そうなのだね。


でもね、

他者と 君は、
別人格で 別個性だ、
同じではない、

判るかい?


いい変えれば、

例え 君を、
統べきる 背信者が、
そうであろうとも、

他者の 信条が、
同じとは 限らないよね?


翻り、

信仰の 何たるかを、
背信して おきなが、
語れる ものかな?


君はね、

例え 神に、
見舞おうとも、
判らない 所か、

仮に 諭しに、
瀕して 尚、
楯すら 突く、
ようだし、

教義を すり替えるし、
魔の 甘言を、
流布するし。


斯様に、

背信したのだから、
口を 挟まない、
べきだと 思うよ?


まぁ、

「楯を 突いては、
いけない、」
とは いわないがね、


余りにも、

背信度が 酷すぎて、
あからさまだよね。
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この回答へのお礼

イスラムがフランスの地に乗り込んでイスラムを叫んでどーなる。
フランスの地にはフランスの文化と伝統がある。
にも関わらずフランスの地に乗り込んでイスラムを叫びフランス人の首をちょん切ったらフランス人が怒るのは当たり前である。
イスラムがこの日本にやって来て同じことしたら日本人は喜ぶか?
まー今のミーハーな日本人なら何も感じないだろーし、喜ぶかもしれないね。
でもフランス人にはフランス革命の精神が残っているからマクロンは怒ったのである。

お礼日時:2020/11/02 13:01

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