
「プライベート・ライアン」は、4人兄弟の3人までが戦死してしまい、最後の末弟を敵地から救出するというお話なのですが、祖父の話を思い返しました。
祖父は、第二次大戦中、「特操(特別操縦士養成課程?)」に志願し、戦闘機乗りになったらしいのですが、割り当てられる機体が少なかったのと、見ず知らずの土地で、誰にも看取られることなく戦死するかもしれないのはいやだと、戦闘機を降り、爆撃隊に転属しようとすると、「爆撃機は墜落率が高いから長男は乗せられない」といわれ、整備士になったとの事でした。
アメリカ軍なら、兄弟全員が戦死するのを防ぐ為、救出作戦を行うというのはわかるような気がするのですが、祖父の話し振りでは、自分の兵科(戦闘機→爆撃機)が自由に決められたようにも取れますし、後継ぎを殺さない為に爆撃隊もだめという感じで、自分の日本軍のイメージとはちょっと違います。
実際に、連合軍・日本軍を問わず、こういう事実や規則があったのか教えていただけたらと思います。
A 回答 (3件)
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No.3
- 回答日時:
私の父は中国・カンボジア・マレー半島・スマトラ等の最前線で衛生兵として約6年間兵役を務めました。
ポツダム宣言以後「ポツダム曹長」となりましたが、実際の最高位は軍曹でした。父は最前線で常に激しい戦闘の中をかいくぐってきて文字通り九死に一生を得てきましたが、戦闘のないときは司令部で軍医の下でデータを作成したり兵隊の健康管理等の仕事をして働いていたため、結構上部からの情報を耳にすることができたそうです。例えば普通では絶対に拒否できない上からの正式な命令が下る前にある作戦への兵隊の配属の情報を聞くことのできた父は悪い予感がしたので正式命令が下る前にそれを「自分は行きたくはありません。」と拒否したところ父の能力を買っていた上官が配慮してくれて配属されずに済んだ、という話を聞いたことがあります。その作戦とは確か「インパール作戦」だと思いますが、いずれにしても失敗して玉砕しています。もし配属されていたら私はこの世に存在していません。同じ日本軍の中でも司令部などでは結構融通が利いたようです。
ご回答ありがとうございます。祖父の場合、入営前は、自動車エンジニアの見習をしていたようで、それが整備兵への道に繋がったのでしょう。
「あの時、わしがビビらずに戦闘機に乗っていたら、特攻隊で死んでいただろう。わしの臆病に感謝しろよ」と、祖父は言います。
実際には、飛行機乗りの適正がなく、首になっただけの様にも思えるのですが、私には祖父の照れくさそうな見栄がある意味、勇気と戦友への感謝の気持ちの様な気がします。
No.2
- 回答日時:
日本では当初の徴兵令は、戸主(一家の主人)、嗣子は免役とされ、名目的養子などで兵役を逃れる者も多かったので、後の改正で嗣子などの親の年齢が60歳以上に上げられました。
1889年、憲法制定にともない徴兵令は大改正されて法律となり、この規定は削除され、昭和2年の兵役法に受け継がれました。しかし、家族2人以上現役として入営するため、家事で支障がある場合には猶予できる規定や召集により家族が生活できなくなるときには召集を免除できる規定があり、長男はこの規定により、徴兵猶予・免除できる例が多かったものと思われます。参考URL:http://www.gifu-u.ac.jp/~terasima/report.htm
ご回答ありがとうございます。参考URLを拝見しましたが、時代の移り変わりによって徴兵制にも様々な変遷があるのですね。祖父の場合は、父兄が死亡しており、「食べていくため」に入営したそうです。航空兵を目指したのも、歩兵よりは戦死しにくそうだったからとの事でした。
No.1
- 回答日時:
日本軍の初めての特攻隊は将校のみで、長男でなく、未婚のものに限るという条件でした。
その後、下士官も特攻隊への参加が認められましたが、長男は不可、次男以降であっても後継ぎが絶える可能性のあるものは排除するという方針が続きました。実際には強く志願したり、特攻隊入りを拒否されたために通常の攻撃隊に配属されたのに進んで自爆攻撃を選ぶ者も多かったのです。意外かも知れませんが、最後の一兵まで戦うということを世界で唯一実行してきた日本軍でも、そういった配慮は行なわれていたのですヨ。
以上kawakawaでした
早速のお返事ありがとうございます。「特操」についてですが、特攻隊の養成ではなく、操縦士の不足を補う為、通常の飛行兵よりも短期の養成課程だったと聞いていました。そのあたりの知識と記憶があやふやだったので、何ともいえないのですが・・・
祖父の戦友の何人かは特攻で亡くなった様で、遺族の方からいただいた遺書のコピーも見せてもらいました。18歳そこそこの青年が家族宛に、「将来を誓い合った女性がいるが、出撃するので結婚できない。自分が死んでも、家族と思って助け合って欲しい」と綴られた遺書は、余にも残酷で悲しすぎ、涙が止まらなかったのを覚えています。
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