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先般、フィリピン戦で日本側が52万人、フィリピン一般市民巻き添え死が100万人と知って驚愕しましたが、では、米軍の被害はいかほどでしたか? 何か米軍が雨あられの砲撃の末、日本人、フィリピン人が死んだのではないかと思うのですが、どうですか?

A 回答 (3件)

フィリピンは戦争初期と末期の2回にわたって日米両軍の


激戦地となりました。米軍に編入されたフィリピン兵と
ゲリラとして戦ったフィリピン人の戦死者は5万人とされています。



初期の戦闘では、攻略担当の第14軍がマニラ攻略を目標とし、
マッカーサーがマニラに無防備都市宣言をして放棄したうえ、
マニラ湾口のコレヒドール要塞とパターン半島に撤収したので、
主戦場はパターン半島となったため、マニラはほぼ無傷でした。
この時の米軍が約15000人とフィリピン軍約65000人、これに民間人
二万人以上が籠城しましたが、食料は十万人で30日分でした。
一方、マッカーサーのいたコレヒドールには十分な備蓄があり、
しかもマッカーサー自身が命令とはいえ敵前逃亡しました。
マッカーサーとともに当時のフィリピン大統領ケソンも逃亡し、
飢餓に苦しむパターンのフィリピン兵は一気に戦意喪失して、
日本の攻撃が再開された4月3日直後の9日に降伏しました。

有名なパターン死の行進では、約76000人の捕虜のうち、
収容所に到着できたのが約54000人とされています。
ただし、多くのフィリピン兵は行軍中に逃亡したと
考えられるので、実際の死者は判りません。
この時のアメリカ軍人の犠牲者は約2300人とされています。



末期の戦闘では、初期の戦いで面子を失ったマッカーサーが
名誉挽回のために総力をあげました。
第14方面軍の山下大将は無防備都市宣言をしたかったのですが、
諸事情で実現せず、結果として多くの市民が犠牲になりました。
この犠牲者の大部分は日本軍による虐殺だとして、山下大将は
死刑となりましたが、実際は戦闘による犠牲も少なくありません。
また、フィリピン攻略の司令官本間中将も、マッカーサーの怨みを
買い、パターン死の行進の責任者として異常な速さで判決・処刑が
執行されています。
このように、今となっては日本軍のゲリラ狩りの犠牲か
米軍の砲撃による犠牲かは、判別は困難となっています。

末期の戦闘での米軍の犠牲は、戦死が約16000人、
死傷者数でみると約16万人です。



ちなみにフィリピン人の犠牲者は、東京裁判に提出された公式統計では、
軍人27258人、民間人91184人です。
よく「太平洋戦争による犠牲者は2000万人」と主張される方々の
数字が100万人で、おそらくその根拠となったと考えられるのが
ソ連版第二次大戦史(正式名称は「ソ連共産党中央委員会附属
マルクス・レーニン主義研究書編「第二次世界大戦史」)の110万人。
その根拠は「人民中国」1952年第19号らしいのですが、
こちらの詳細は不明です。(参考図書 「昭和史20の争点」秦郁彦)
それ以外の100万人説の明確な根拠はよくわかりません。
現在は何故か100万人説が有力視されていますが、
実数はその間ではないかと考えます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。私の町の墓地で兵隊さんの墓石を見たとき、その裏面にどこで戦士されたか刻まれていたのですがフィリピンが多かったです。私の故郷の片田舎から
初めて海外に行ったところが戦場で、それも戦死されるとは身につまされます。

お礼日時:2016/07/05 07:52

一連のフィリピンの戦いで米軍が蒙った人的損害は20万人弱(戦死・戦傷・戦病)。


 米軍の雨あられの砲撃でフィリピンの人たちが巻き添えになったというのはおそらくマニラ攻防戦の際で、死者は10万人と言われています。フィリピン人全体の被害の1/10ですね。
 残りの90万人は抗日ゲリラ戦によるもの、マニラ以外の戦闘の巻き添えになったもの、日本軍による食糧調達のあおりを受けて発生した飢餓によるものなど様々な原因があるようです。
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この回答へのお礼

巻き添えで無くなった人々は、何か浮かばれませんね。死者数が多すぎますね。

お礼日時:2016/02/02 12:23

日本陸軍の死傷者数 348,925人


アメリカ陸軍の死傷者数 164,996人

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3 …
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この回答へのお礼

早速の回答有難うございました。

お礼日時:2016/02/02 12:21

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