
強い憤りを感じています。
育児のカテゴリーで質問しようと思ったのですが、
こちらの方が、詳しい方がいらっしゃると思ったので。
愛知県のイトーヨーカドーの事件での、犯人の発言などに対し、「責任能力の有無」を確認すべき、という意見があることを聞きました。
先日の、女児誘拐殺人事件に対しても聞きました。
責任能力って、何なんですか?
被害者を守るために法律はあるんじゃないんですか?
責任能力が無い人は、それで何で普通に生活してるんですか?
たとえとして、何か犯人が重大な病気にかかっていたり、催眠暗示がかけられていたとしても、やったことはやったことでしょ?
私は、上記の犯人には死刑になって欲しいです。
もっと言えば、被害者の家族の判断で、どんな極刑でも受けるべきだと思います。
私には8ヶ月の子供がいます。この事件のせいで、買い物に行くのが恐いです。我が子を、命に変えても守る決意で生活していますが、この事件を見て、守りきる自身がなくなったからです。日本国中、こんな気持ちのお母さんはたくさんいると思います。国民の生活の安全を守る法律を、きちんと作用させて欲しいです。
詳しく教えてください。
No.11ベストアンサー
- 回答日時:
#4、6、10です。
今回に限らず、責任能力があるかどうかが疑われる場合には、弁護人が必ずといっていいほど精神鑑定を申請します。
裁判所は、その精神鑑定と被告人のあらゆる事情を総合的に検討して、責任能力の有無を決定します。
例えば、出所してからの行動、犯行現場への足取り、犯行当日の行動、店に入ってからの行動、
犯行時の態度や言動、犯行後の逃走の仕方などです。
もちろん、警察での供述内容も検討します。
「最初から殺すつもりだった」、「イライラしていたから」、「店のナイフを万引きして」等々ですね。
>これらを考えると、「人を殺すとどうなるか」はわか
>っていたように思うんですが、どうなんでしょう?
これらの言動だけで判断するのは難しいですが、「殺人が悪いということ」は分かっていた感じがしますね。
>「お告げがあった」の一言は、責任能力を問うことに
>なるほど、重大な発言なのでしょうか?
この発言も検討の対象になります。ただ、先ほども書いたように、いろいろな事情を加味しますから
この発言だけで責任能力が否定されることはないでしょうね。
>次から次へと疑問が浮かびます。
確かにその通りだと思います。
そのためにこのサイトがあるのです(笑)
No.13
- 回答日時:
私もあの事件をテレビの報道で知ったのですが、あんなに可愛らしい子を躊躇なく殺してしまう犯人を許せない気持ちでいっぱいです。
被害者のご家族が一生消えさることができない心の傷を生涯ひきずっていくことを考えると言葉もみつかりません。専門家ではありませんが私なりに考えてみました。
刑法に第39条 1項 心神喪失者の行為は、罰しない。2項 心神耗弱者の行為は、その刑を軽減する。とありますので、当然かのように弁護士や専門家が加害者の人権を守るために主張するのだと思います。
心神喪失か心神耗弱の判断は検察官から依頼を受けた精神科の先生が鑑定し、そこで心神喪失の診断がなされた場合は責任能力無しとされて起訴すらされないのが現状のようですし、仮に責任能力ありとされ裁判になったとしても弁護士の要請で裁判官が精神科の先生に精神鑑定を依頼し、その結果心神喪失が認められれば無罪、心神耗弱が認められれば刑の軽減がなされ、本来死刑になるはずの罪を犯しても有期刑か無期懲役となって、だいたい20年経たないうちに娑婆にでてこれるのがこの国の現状らしいです。
ですが、被害にあわれた子は二度と帰ってきませんし、目の当たりで我が子を殺されてしまった母親の悲しみや悔しさは永遠に心から消えることはないでしょう。
私ももっと被害者側にたった判決を望みますし、正直、刑法39条には厭きれてます。被害者家族の心のケアを早急に望んでます。
因みに泥酔状態や覚せい剤などして人を殺した場合でも心神喪失とか心神耗弱が認められるケースが多々あるそうです。
回答ありがとうございます。お礼が遅くなり失礼いたしました。
本当に、加害者の人権保護ばかりが目立つことに憤りを感じますね。
少しでも、犯した罪に見合う刑が科せられることを願うばかりです。
No.12
- 回答日時:
私も犯人に対する憤りと社会に対する不安を感じます。
犯人が精神異常者であろうがなかろうと、少年であろうとなかろうと、犯した罪に対する罰は受けないと、世の中が狂ってしまうと思う。
「幼児や年頃の子供を持つ」というだけで、
殺されたり誘拐されたり強姦されるのでは、
と不安をもって生活しなければならない日本ではいけないと思う。
ヨーカ堂の専務さんが言われていたように、通り魔犯罪を完全に防御することは困難と思う。
だから、犯人が如何なる状態であっても、犯した罪に対する罰を受けるような日本にしたい。
回答ありがとうございます。お礼が遅くなり失礼いたしました。
>「幼児や年頃の子供を持つ」というだけで、
>殺されたり誘拐されたり強姦されるのでは、
>と不安をもって生活ししなければならない日本ではいけないと思う。
全く同感です。
ありがとうございました。
No.10
- 回答日時:
#4、6です。
>2番目の考え方は、「過剰防衛」っていうもののこと
>ですよね?
う~ん、それとはちょっと違いますねぇ。
『なぜ人が処罰されうるのか』ということに関して
2番目の考え方は、人の内心が危険だからその人を処罰しようとする考え方です。
例えば、人を殺そうと思っている人がいたとします。この人は確かに一般人から見れば大変危険な人物ですよね。
でも、まだ犯罪を行っていないのです。
人殺しをしようと思っている段階で警察がやってきて
「あなたは、人を殺そうと思っている危険な人物だから逮捕します。」と言って、裁判をして
死刑にする。このようなことは許されるでしょうか。
これが、先ほど言った「大変危険なこと」です。
2番目の考え方は、これを許します。
ですから、ある一定の行為を行った段階で人を処罰するしかないのです。
一定の行為というのは、犯罪行為ですね。
それが先ほどの前者の考え方になります。
人を殺すことは悪いことだ。でも、人を殺してやると決意して犯罪を行ったのだから処罰するという考えでしたね。
そして、「人を殺すことは悪いことだ」と判断することができない人がいます。これが責任能力のない人です。
責任能力があるといえるためには、善悪を判断すること、判断した結果自分の行動を制御すること、の二つが必要です。
「人を殺すことは悪いことだ」と分からない人に、人を殺してはいけないと言っても理解してくれませんよね。
#9さんのおっしゃるような、赤ちゃんですね。
また、「人を殺すことは悪いことだ」と分かっていても、自分の行動を自分で制御できない人に言っても
ちょっと無理がありますよね。
刑法も同じなんです。
人を殺してはいけないと書いてあります(実際には少し違いますが)。それが悪いことだと分かるひとだけが、
刑罰を受けることになるのです。
何度も、早々に回答をいただき、本当にありがとうございます。
beweislastさんの教えてくださったことは、ちょっと前に、外国の映画になった内容のことですね!(すいません、タイトルを忘れてしまって。見たんですが、内容もいまいちはっきり覚えてないんですけど。)
では、今回の事件の場合、「最初から殺すつもりだった」、「イライラしていたから」、「店のナイフを万引きして」等々、犯人が言っているそうですが、
これらを考えると、「人を殺すとどうなるか」はわかっていたように思うんですが、どうなんでしょう?
「お告げがあった」の一言は、責任能力を問うことになるほど、重大な発言なのでしょうか?
マインドコントロールされている状態などがあてはまると思うのですが、この場合も無罪か、刑の軽減になるんですよね?
次から次へと疑問が浮かびます。
No.9
- 回答日時:
#2です。
お礼の方ありがとうございました。補足の件ですが、あくまでも私見と言うことで回答をさせていただきます。
たとえば赤ちゃんは、意識することなく生き物を殺す事があります。つまり自分のやってることがどういうことなのか判断できない状態ですよね。心神耗弱状態にあるということはそれと同じことだという判断ではないでしょうか。そういう意味で責任を問えないということになると考えます。
その上で精神病院などできちんと治療をして自分のやったことの意味を考えさせるためだと思います。
大阪で発生した小学校襲撃事件の犯人は、なんら反省することなく死刑になりました。それでよいのでしょうか?罪も無い幼い命を多数奪って置いて。
残された遺族の悲しみ、辛さ無念さを理解することなくこの世から去ってしまいました。
やったことからすれば死刑もやむなしと考えますが、
どうせならおのれの罪の深さを、理解したうえで刑を執行されるべきだと思います。
ただ、理不尽に奪われた命、自分の子供が同じ目にあったとしたらとてもこのようなことを考えられない事は十分に分かっています。そして質問者さんと同じく極刑を直ちに望む事でしょう。私個人としては、復讐、あだ討ちがあればと思います。この手で犯人を処罰したいと・・・。
ただこの国は法治国家であり目には目を、歯には歯をという事は認められていません。それが望むべくも無い以上少なくとも自分の罪の深さを理解していって欲しいと思います。
実際にそのような事態になったときにこのような判断ができるかどうか自信はありません。
回答にはなっていないと思いますが、そのように考えます。
ありがとうございます。すごくわかりやすかったです。
そうなんですね・・・、小さい男の子が、虫を殺してしまったりすることに、悪意を感じてはいないのと同じなんですね。つらいですが・・・。
事件や事故が起こってしまってからでは、どんな理由でも納得することは難しいことが、ここで質問し、いろんな方から回答をいただくことで、あらためて思い知らされた気がします。
少しでも予防策があれば実行したいのですが、買い物に行かないわけにはいかないので、難しいです。
No.8
- 回答日時:
>同じ病気にかかった人が、全員人を殺したりするわけじゃないのだから
表現が悪かったです。すみませんでした。
確かにその通りですし、それは病気にかかった人だけじゃなくてすべての人間に言えることですね。
ただ病気にかかった人と普通の人でちがいはないのかというのが私と質問者の考え方の違いなのです。
普通の人(責任能力のある人)ならば、その犯罪行為をするかしないかを自由に決定できます(こういう見解を非決定説ということがあります)。
このように「他の行為が出来たのにもかかわらずあえてその犯罪行為をした」ということに非難の根拠を見出しそれが刑法に言う責任の本質であるといえます。
例えば、現行法では故意犯(自分が犯罪行為をすることを認識・容認して行ったこと)と
過失犯(自分が犯罪行為をすることを認識・容認しておらず、しかしその行為を予見し回避すべきであったこと)の区別があります。
そして原則は故意犯しか処罰されません。重大な法益(法律で保護している利益)についてのみ過失犯が処罰されています。
また過失犯については故意犯より一般的に法定刑が軽いです。
例えば、殺人罪は殺すことを認識容認して行う(殺意がある)ことが必要な故意犯です。
人を殺すことはあきらかに犯罪行為ですし、これを認識していたわけですから殺さない選択も出来たわけです。
しかし殺すことを容認してやってしまった。さきほどいった「他の行為が出来たのにもかかわらずあえてその犯罪行為をした」ということになります。
だからこそ刑法上非難されるべきであり故意犯が原則的に処罰されるわけです。
しかし過失犯である過失致死罪は、殺人罪同様に人の生命を保護法益としながらもかなり軽い法定刑にとどまっています。
過失犯の場合には自分の行為が人を殺す結果になることを認識していません。
なので「他の行為が出来たのにもかかわらずあえてその犯罪行為をした」ということをそのままではいえないことになります。
しかし、少なくとも事前に結果が予見できたはずなのにそれを怠っていたのだから、予見をしなかったことについては非難できます。これが過失です。
なので過失犯は故意犯と同じレベルの非難はできないものの、処罰を正当化できるレベルの非難を認める予知はあるといったものになります。
このような理屈から、刑法は故意犯を原則処罰し、過失犯は一定の需要な保護法益についてのみ処罰しています。
上述の理屈は責任能力についてもいえます。
心神喪失状態は弁識能力・制御能力を欠いているので、他の行為をしたくてもできなかったことになります。
なので刑法上非難をできません。
こういった私の主張に対して質問者は、「やったことはやったことでしょ?」とおっしゃるわけですが、
それでは過失犯すらも「やったことはやったことでしょ?」となりませんか?
被害者が死亡したという結果からすれば、故意の殺人だろうが、過失の過失致死だろうが、責任無能力者の行為の結果だろうがみな同じだということになりませんか?
それに対しての私(そして私の知る限りでの刑法およびその理論)の回答は以上のようになります。
以下は私個人の信条について表明しておきます。
私は個人としても結果責任で人間を処罰することに躊躇します。
たしかにたとえ過失であっても、責任無能力でも、家族がそれによって死んだならば、私は憤りを覚えるでしょう。
しかし私は、殺された場合と同じように私が憤るとは思いません。
家族が故意に殺された場合には、私も「犯人を死刑にすべきだ」というくらいに非難することが分かるからです。
それは、逆に過失や責任無能力のときにはそうは思わないだろうこととあわせて考えると、やはり結果責任で人間を処罰することに躊躇せざるを得ません。
とても丁寧な説明、本当にありがとうございました。
だいぶ、書いていただいた内容を納得できました。
過失致死の例えは、とてもわかりやすかったです。
私が始めに書いた「責任能力がなかったとしても、やったことはやったこと」っていうのは、過失致死罪の理解に近いような気がします。
>過失犯の場合には自分の行為が人を殺す結果になることを認識していません。
これは、「心神喪失」や「心神耗弱」にあてはまる人にも言えることではないですか?
それとも、心神喪失や心神耗弱にあたる人は、刑に服していても、それも理解できないから、する必要がない、ということですか?だから病院に行くと?
心神喪失と心神耗弱の違いも、よくわからないのですが、どうなんでしょう?
しつこくてごめんなさい。でも、Shouhitaishakuさんの説明のおかげで、少し頭が冷静になってきています。ありがとうございます。
もし、もう少しお付き合い願えたら幸いです。
No.7
- 回答日時:
私も子供を持つ親として、質問者の憤りはもっともだと思います。
責任能力とは、「事物の理非善悪を弁識し」(事理弁識能力)と「その弁識に従って行動する事が出来る能力」(行動制御能力)のどちらか、または双方が無い者を「心神喪失者」といって、責任無能力者とされます。平たく言えば、「その人に対して、その人がした行動について責任を取らせることが妥当かどうか」と言う事だと思われます。年令で言えば、11~2歳(小学校卒業)ぐらいで責任能力が備わると言われていますが、刑事訴訟法上は、14歳未満の少年は、刑事未成年として刑事責任を原則として問われません。現在の刑法や少年法等は、必要以上に「加害者の人権保護」がなされ、本来救われなければならない、被害者の人権について配慮がなされていないと言われています。確かに心神喪失状態でした行動について、責任を問う事は難しいかもしれませんが、刑罰を逃れるために、この「責任能力の規定を悪用する」ような事が無いとは言えないように思われます。そして、要するに、責任能力があろうと無かろうと、またいくら憲法で人権が保障されているといっても、そのような人間が世の中に野放しにされ、殺人等の犯罪を現実に犯してしまっている事について、何の方策も取られていない、と思われる事について、不安を抱く国民は多いと思います。そうですね。今、私もそのために不安になっているんだと思います。
奈良県の事件以後、国会でも被害者保護などについて話されているようですが、
少しでも、被害者が少なくなるような対策も考えることができたらいいのですが・・・。
>「責任能力の規定を悪用する」ような事が無いとは言えないように思われます。
そうやって、裁判を長引かせたり、刑の執行を先延ばしする犯罪者がいることは、本当に許せませんね。
No.6
- 回答日時:
#4です。
>ちょっと専門的な言葉の使い方が難しく、
>理解できませんでした。もう少し勉強します。
失礼しました。
噛み砕いて説明できるとこがあれば、説明します。
何かあれば言ってください。
お返事ありがとうございます。
あれから、素人なりに、いろいろ意味を調べたりしてみたので、だいぶわかったつもりです。
「行為が帰属する」のあたりが、普段使わない言葉で難しかったのですが、大丈夫そうです。
beweislastさんの書いてくださった、2番目の考え方は、「過剰防衛」っていうもののことですよね?
まだまだ、気持ちの上でもどかしいものがありますが、少しでも、今後前向きに子供と共に生きていきたいので、実際に子供を守ることが難しくても、いろんなことを勉強しておくことが必要だと思いました。
これを機会に覚えておこうと思います。
No.5
- 回答日時:
以下の回答はすべて一般論であり個別の事件とはなんらの関係もありません。
個別の事件についてはその情報は報道機関による他なく、
また公判も開始されていないことから正しい判断をする基礎を欠いていると判断します。
>責任能力って、何なんですか?
詳しくは参考URLをご覧ください。
刑法ではたとえ構成要件に該当しても(たとえば人を殺すというのが殺人罪の構成要件)、
責任が否定されると不可罰となります。
責任は、刑罰を科す上でその基礎を成す「非難」を正当化する要件といわれます。
つまり刑罰を科すには非難できることが必要であり、そのためには責任があることが必要であるということです。
刑法でいう非難を基礎付けるのは、「他行為可能性」であるといわれることがあります。
「他行為可能性」とは犯罪行為以外の行為を行うことができたことを意味します。
この意味で「犯罪行為以外の行為を行うことができなかった」=「他行為可能性がない」―>「非難できない」となるわけです。
非難できないことが刑罰を科してはならないことを導く理論的根拠は一般に、近代刑法にあって、刑罰は復讐ではなく、
社会一般に対する警告(一般予防論)と当該犯罪者の再犯の防止を主たる目的とするところ(特別予防論)、
責任非難が出来ない場合に処罰することは、この双方の点から無意味である点にあるとされます。
一般予防論においては、非難できない行為を処罰されても
一般人をして「その状況じゃどうしようもないだろ」と思わせることしか出来ず、犯罪を抑止することにならないということです。
また特別予防論においては、非難できない行為を処罰されても
「おれはあのときあの行為以外出来なかったのだから次も同じ状況であれば防ぎようがない」としか思わせることしか出来ず、
やはり犯罪を抑止することにならないということです。
責任能力を欠く心神喪失とは、精神の障害により、行為の違法性を認識し(弁識能力といいます)、
その認識にしたがって行動を制御する能力(制御能力といいます)を欠く状態をいいます。
弁識能力・制御能力のいずれが欠けても心神喪失となります。
弁識できなければ他の行為を行い得ないのは明らかで、また制御できなければ弁識しようともやはり他の行為を行い得ないのは明らかです。
具体的に裁判では、病歴・犯行当時の病状・犯行前の生活状態・犯行の動機、態様・犯行後の行動・犯行後の病状などを総合的に考察して判断するとされます。
ここで注意したいのは、精神病であればかならず心神喪失になるといった画一的・形式的な判断ではないということです。
精神病であっても犯行時の病状が軽い時には心神喪失とはなりません。
(他に刑事未成年といって、14歳未満の責任能力を画一的に否定する規定がありますが、今回は質問者指摘の事件と関係がないので割愛します。)
>被害者を守るために法律はあるんじゃないんですか?
確かに刑法は被害者を守るための法律です。
国家が刑罰権を行使して、生命の剥奪・自由の制限・財産の剥奪という刑罰によって一般予防効果・特別予防効果によって犯罪を抑止するものです。
しかし刑法は被害者を守るための唯一の法律ではありません。
>私は、上記の犯人には死刑になって欲しいです。
この事件の報道を知った人はその情報の範囲内でそういう判断をすることも当然でしょう。
これに関連して、平成21年5月までの間に裁判員制度がスタートします。
そうなれば報道の情報そころではない情報を、刑罰の裏づけのある秘守義務の下で知り、
裁判官とともに事実の認定だけでなく量刑(つまり死刑などいずれの刑を選択するかも)の判断もすることになるでしょう。
>たとえとして、何か犯人が重大な病気にかかっていたり、催眠暗示がかけられていたとしても、やったことはやったことでしょ?
本当にそうおもわれますか?もしそうだとすればそれは結果責任主義を採るということに他なりません。
その立場に立つ質問者からすれば、上述した私の回答はまったく無駄なことと思われるでしょう。
「犯人が重大な病気にかかっていたり」は主語が「犯人」となっていますが、刑法は法律なので平等にすべての国民に適用しなければなりません。
仮に私が明日、「重大な病気」に罹患して自分のした行為の社会的意味すら認識できなくなってしまったとき、
「やったことはやったことでしょ?」といわれて死刑を執行されても、
私は他の行為を自分ですることができなかったので、ある意味「重大な病気」に罹患した時点で
私の死が決定していたように思うんですが。
ここが先ほど説明した「他行為可能性」が欠ける、ということです。
上にあげた例の「私」にところを質問者に置き換えて考えても、それが妥当であると思われたならば、
現行刑法および現在の刑法理論に反対することになります。
それもごく自然のことかもしれません。
私も刑法を勉強しなければどちらの立場にたっていたか分かりませんし、
今の刑法や学説が究極的に正しいということを押し付けることなど許されることではありません。
が、ひとつだけ注意しなければならないのは、現行刑法は法律であるということで、
だれか一個人の意見ではないということです。
>責任能力が無い人は、それで何で普通に生活してるんですか?
普通に生活できません。たとえ刑事裁判で責任能力がないとされ、
処罰を免れても地方裁判所の審判によって、入院決定等がなされれば、
指定入院医療機関における処遇が行われます。
具体的な仕組みは以下のホームページをご覧ください。
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2003/09/s0926-6f.html
(心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の
医療及び観察等に関する法律について)
>被害者の家族の判断で
量刑の判断を被害者の家族にさせるということですが、家族がいない場合といる場合で量刑に差がでるのは不当な気がします。
>国民の生活の安全を守る法律を、きちんと作用させて欲しいです。
まったくその通りだと思います。
法律も人間の作ったもので、それを執行適用するのも人間ですので、常に完璧はないと反省すべきだと思っています。
常に完璧はないということを言い訳にせず、問題の解決に真摯に取り組むことが必要でしょうし、われわれもその後動向を注視し要請していくべきと考えています。
参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/責 …
丁寧な回答をいただき、ありがとうございます。
参考URLを拝見したのですが、活用方法がわかりませんでした。
ところどころ、難しい用語で、全部理解することはできなかったんですが、
がんばって読んでみて、少しずつ、気持ちは落ち着いてきました。
それで、もう少しお聞きしたいことができたんですが、
>私は他の行為を自分ですることができなかったので、ある意味「重大な病気」に罹患した時点で
私の死が決定していたように思うんですが
という箇所で、「同じ病気にかかった人が、全員人を殺したりするわけじゃないのだから、病気に羅漢した時点で、その人の死が決定していたとは思わない」んですが、いかがですか?
No.4
- 回答日時:
責任能力は、行為が法律上許されているか否かをわきまえ知る能力(弁識能力)と
それに従って自己の行為を制御する能力(制御能力)からなるものです。
両方あるいは片方が欠けると、その者を処罰しえなくなります。
両者を有する者だけが、適法な行為をすることができ、刑法的な非難が可能だからです。
そもそも、人がなぜ処罰されうるかというと、自由な意思決定で犯罪を行ったのであるから、
その行為・結果は行為者に帰属されて然るべきと考えられているからです。
他方、社会にとって危険な者は社会全体の防衛手段としての刑罰を受けなければならないとする考え方
もありますが、支持者はほぼいないと思います。
後者の立場からすると、刑法は人の内面の危険性を対象とした法律ということと結びつきやすいのですが、これは大変危険なことです。
内面など他人に分かりませんから、国家機関によって刑法が濫用されることになります。
前者の考え方からは、刑法は行為・結果を対象とした法律ということになります。
また、自由な意思決定ができない者に対しては、刑法的な非難を加えることができないということになります。
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