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竹山修身が長く堺市長をやれていた理由は何ですか?石原慎太郎の存在がありますか? 平成21年の堺市長選挙のとき、竹山修身は大阪府知事の橋下徹の協力を得て当選しました。その橋下徹が大阪都構想を掲げるようになると、竹山修身は反発するようになります。平成25年の堺市長選挙では橋下徹から刺客を送られました。橋下徹率いる維新の会は選挙で負けなしの状態でした。平成24年末に行われた衆議院選挙で自民党に勝てなかったくらいでしょう。平成23年の大阪府知事選挙では完勝、大阪市長選挙では橋下徹が言っていた「トリプルスコアでの勝利」には至りませんでしたが、圧勝しています。平成25年の堺市長選挙では橋下徹からの刺客によって竹山修身は潰されると思われていました。ところが、竹山修身が勝ちました。「橋下徹が『慰安婦が~』と言っていたことがオウンゴールになった」などという意見もありますが、私は石原慎太郎の存在もあると思います。もはや忘れ去られているかもしれませんが、当時の維新の会には石原慎太郎がいました。石原慎太郎も堺市入りしていました。そこで話したのは坂井三郎などの関係のない話ばかり。「市長選挙の話をしろ」などというヤジに「大事な話をしているんだから黙って聞け。最後まで聞いて文句を言え」などと言い返していました。これが問題だったのではないかと思いました。堺市長選挙だから、有権者は堺市の話をしてほしいと思っているはずです。



https://www.huffingtonpost.jp/2013/09/23/sakaici …

A 回答 (1件)

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