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日本語を勉強中の中国人です。日本語はなぜ第一人称の「私」をよく省略するのでしょうか。日本の方の控えめ、目立ちたくない性格と関係がありますでしょうか。

また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

gooドクター

A 回答 (10件)

単純に言わなくても分かるから省略する、のもありますが、あくまでも会話内容にもよるけど、省略する時としない時では、微妙にニュアンスが違ってくることもあります。



私は行った方がいいと思う。
行った方がいいと思う。
(↑どこかへ行くのは話してる相手)

「私」を付けると、「私は思うよ」みたいに強調されて、ちょっと大袈裟に言うと
「あなたは行きたくないかもしれないけど、私は行った方がいいと思うよ。」
みたいなニュアンスになったりするし

「私」を付けずに
「行った方がいいと思う。」なら、軽くアドバイスしてる感じかな…(^^)

「私」だけでなく、「あなた・君」もよく省略しますヨ。

(あなたは)どこ行くの?
(あなたは)もうご飯食べましたか?

これも「あなた」や「君」を付けると
「みんなお昼ご飯に行ったけど、あなたはどこへ行くの?」
付けないと
「あれ、(ずっといる予定だと思ってたのに)どこか行くの?」

付けると
「私はもうご飯食べましたが、あなたは食べましたか?」
または
「私はまだご飯食べてないのだけど、あなたは食べましたか?」
付けないと
「あ、そう言えばあなたはもうご飯食べましたか?」
みたいな軽い感じになることもあります。

会話内容によるし、単純に「私」を付けて話すのが口ぐせの人もいるけど、わざわざ付ける時は、ちょっと何か意味を含んでるようなニュアンスになることもあるし、「私」を多用すると、自己主張が強い印象になることもあるので、必要がない場合は省略が多いと思います。
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この回答へのお礼

みなさん、いろいろありがとうございました。大変勉強になりました。

お礼日時:2020/12/07 13:14

日本語は、



てにをはにより、動作の対象や目的を示すことができるので、文法的に、主語が必ずしも必要ないし、最初にくることも必須ではないですね。

私は、あなたを、愛している。
愛している、あなたを。
あなたを、愛している、私は。
あなたを、愛している。

など、自由です。

そうなると、状況によって省略してもわかるなら省略するとか、補足的な意味の主語を言わないことで、責任をあいまいにする文化ともつながります。

ラテン語などは、日本語と同じてにをはがあるため、やはり自由度がありますね。その影響でフランス語などは語尾が変化はしますが、英語などになると、単語はほとんど変化せず(三単現のSぐらい)、SVOなどでわかるように、てにをはではなく、文章の位置に意味を与えて、動作や目的を表したり、倒置によって疑問を表したりするようになっています。そうなると、かならず主語がないと文章が成り立たない構造なのです。

It is raining.

まで、形式的に主語が必要なのは、面白いですよね。
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このような説もあります。


http://www.sakuhokusha.co.jp/arch/2001/tanaka.htm

日本語では、次のような表現は普通です。
❶ 母の話では、幼稚園のころ、犬を怖がっていたそうです
① 幼稚園のころ、犬が怖かったんです
「私 自分 "第一"人称」は、1,2,3,4の1ではなくて、唯一特別の私なので、あえて表現しないので、❶受動態表現や①感情の状態表現をすれば、それで充分ということになっている可能性はあります。

なお、述語、動詞の使用感覚も、少し特徴があるのかもしれません。
日本語では、次のような表現は普通です。
❷ 涙を流す 音楽を流す 浮名を流す 価格を上げる ビルを建てる
https://imidas.jp/idiom/detail/X-05-X-03-2-0003. …
「を」を付けて対象や主題を示しているのが他動詞であるとすると、流す:流れる=他動詞:自動詞 という区分が楽なのですが、動作の意思や作動主体が(対象となる客体)とは別に存在しているというのではないのです。
「ビルを建てるときには、地盤や法令を調べるだけでなく、……」など、主体については特定する必要がない文章を、主体を示す語をないままに表現できる語です。
② 樹を枯らす・樹が枯れる 現す・現れる 回復させる・回復する
多くの動詞では、主語?主体?を考えた場合、人間などではなく、物体や自然やときの流れ、社会情勢などの無生物となっていることが多い語です。
[主体]はそもそも重要ではないと考えている人が、日本語使用者では多いのではないかと思います。 現象そのもの、結果そのものを、自分の感覚などで捉えるとき、「誰がやったんだ!」のような遡って行為者を追求する姿勢に向かうよりは、「なので、どのように感じた、どうなった、どうする」という現状重視、今後の感受のスタンスに気が向かっているのではないかと思います。

世界には、多くのことわざがあります。
「船頭多くして船山に登る」と "Too many cooks spoil the broth."、
「覆水盆に返らず」と( 覆水難收)と"It is no use crying over spilt milk."「日光を見ずして結構と言う勿れ」と"See Naples and then die."、
「虎穴に入ずんば虎児を得ず」と(不入虎穴焉得虎子)と"No pain no gain."
ことわざには、動作主体・主語がないように思います。
自分に照らして何かを考えたりするときには、意識の上で、主体を現す語の存在感は薄くなってしまうのではないでしょうか。

❸ 客を怒らせた 彼を悲しませた 彼女に喜んでもらった 賊を逃した
現象そのもの、結果そのものを、感覚などで捉えると、(誰がやった)は言葉として無用の長物に、日本語話者は思うのだと思います。

☆ 控えめ、目立ちたくない性格 ☆ は、あまり関係ないと思います。
 
ある意味では、現実重視の生き方をしていることが関係しているのかもしれません。
もしも、「控えめ、目立ちたくない行動や発言、緘黙」が日本人の特徴ならば、そうした方が現実の社会で得であって、目立ったり、異を唱えたりすることは、現実の社会で損に繋がるという生活の知恵なのかもしれません。
祭りや宴会では、大声で陽気に大げさに発言し、動作も大きいです。「控えめ」であっては「目立ってしまう」し、現実適応的でないです。 
現実重視だから、(他人の目がないときも)こつこつと真面目に努力するのかもしれません。
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外国人のための「日本語文法」(一般に「日本語文法」と呼ばれる)では、主語を「主格補語」と呼んでいます。

江戸時代あたりから、日本語の文法が研究され始めました。ところが、その人達が研究したのは、いわゆる述語の部分を研究しています。主語について研究した人はほとんどいません。本居宣長も、その弟子達も、実子の本居春庭も「動詞」などは詳しく研究していますが、主語がどうだこうだなどほとんど研究対象にしませんでした。  「日本文法大辞典(明治書院刊)」古くからの、文法研究書を時代順に載せていますが、それぞれの概略説明をも載せています。その中の一冊も主語のの研究をしたと思われるものはありません。
 明治に入って、欧州の文法が知られ始めました。そこから「日本語」にも主語があるんだと、言われ始めました。「日本語には主語など不必要だ」と考える人が出始めました。省略ではなく入らないという発想です。そういうことを言い始めたのは、三上章です。
 主格補語について少し説明すれば、「出た!」という文は動詞しかありません。ただし、これで文としては成り立ちますが、何が出たのか分からない時は、「月が」、「蛇が」、「お化けが」などを補う必要があります。これらを「主格補語」呼びます。「主語」ではなく、「補語」です。「日本語文法」を習った人はご承知のことです。
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頭がいいからでしょ。



いちいちそんなもの使わなくたって文脈から、話の内容から主語がだれかわかるからでしょうね。

わかりにくい場合やはっきりさせたほうがいい場合にのみ私、あなた、など人称名詞を使いますね。

昨日、よっちゃんがウチに来ました。(ここは主語が入るよね)
そしたら俺のことをバカだというんですよ。
(これは誰が言ったのかもうわかるでしょ?
「そしたら」が一連の流れを生んでるからもうよっちゃんが言ったということがわかるわけですよ)

英語だと、「よっちゃん」が来た。「彼」が言った。
というけど日本語はもう「彼」決まってるから言わないのよ。
合理的というか、やっぱり頭いいんだろうね。
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阿吽の呼吸?。


言ってしまえば過去になる。
言わぬが花。
その他・・・・・それが日本の文化、としか。
おもてなし、自体悪く言えば忖度そのものとも言えます。
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自己主張に慣れていない風土で育ったからです。



なので、逆に、力の強い人の言ったことには無条件で従いやすい。

『控えめ、目立ちたくない性格』というより、単に思考停止状態の人が多い、ということです。
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日本語はなぜ第一人称の「私」をよく省略するのでしょうか。


日本の方の控えめ、目立ちたくない性格と関係が
ありますでしょうか。
 ↑
日本は、和を以て貴しとなす、という
文化です。

主語を重視しないのは、責任の所在をはっきりさせない
ためです。
責任を追及するような文化だと、和が保てなく
なるからです。
だから、日本人は白黒をハッキリさせようとしません。
裁判を好みません。

今度結婚することになりました、というのが日本語。
私たち、今度結婚します、というのが英語。
日本語では、なんとなくなりゆきでそうなったのだ、というような
表現が好まれる所縁です。


ちなみにですが。
日本語は自分を指す言葉が多いです。

これは主語を言わないから。つまり言うときは特に
強調する場合。だから沢山できる。

・自分にあうキャラクターを自分で選ぶことになります。

上品しっかり者 私
自己主張する性格 ワイルド 俺
甘えんぼう ぼく

・成長に合わせて変化する 周りからどう
見られているかどうみられていか
ゆうちゃん
ゆう
ぼく

ぼく
私(社会人)
お父さん
お爺ちゃん

・性別や相手によって異なる
・自分という呼び名がはやる 上位者の前で使う謙虚さを顕す
・日本語は何をいうかよりも、どういうかが重要
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日本人は思います。

逆に、なぜ英語やドイツ語は、いつもそこまで主語にこだわるのか。

日本人は確かに、一人称に限らず主語自体を使わないです。でもそれで困ったことも混乱したこともないのです。
もし主語が無いとわかりにくい話なら主語を使えばいいのです。日本語にはその選択肢もあります。
つまり、主語を使わない多くの日常会話は「無くても困らない」という結論に至って自然とそうなっています。

もし中国語にいつも一人称が使われるというのであれば、むしろその理由をお聞きしたです。その答えに「なぜ日本語は一人称をあまり使わないのか」のヒントがあるかもしれません。
日本人にとっては「主語を使わない」というのが当たり前で、基準となっているので、なぜと言われても「それが普通でしょ? 一人称は別に必要無いし、言うの面倒臭い」としか言えないと思います。
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sobatya_cn様のおっしゃっている通り「控えめ」などの理由で第一人称を言わない方も、いらっしゃいます。

他には、「わざわざ主語をつけるのが面倒くさい」という方もいらっしゃいます。

日本語勉強、頑張ってください
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