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日本の三種の神器(八咫鏡、草薙剣、八尺瓊勾玉)のような
皇室に代々受け継がれ、かつ秘匿にされている道具は、海外に例はありますか?

道具なら、イギリスの王冠、笏…のようなレガリアがあると思いますが、
誰も見たことがない、秘匿されているものって日本の三種の神器以外にもあるんでしょうか。

A 回答 (5件)

イギリスにありますよ



王冠、宝珠、王笏(杖)
「海外に三種の神器はありますか?」の回答画像1
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「秘匿」という点についていえば、たぶんないと思います。



なんでないかというと「日本以外は、古代の宗教儀式を引き継いでいない」からです。

ㇾガリアと呼ばれる各国の王冠・宝珠などは「王の所有物」という認識が先にあって「それを得た者が王者」になるわけです。

逆をいえば「異民族が王になったら困る!」という紛争がwikiにある「黄金の床几戦争」で、床几(玉座)に座ったら支配者である、という儀式がとても重要であり、そのためには「そのモノが誰にでも見えるものである必要があった」わけです。

だから他国のㇾガリアは「支配の象徴としてのモノ」である以上「誰にでも見える物」である必要があります。

天皇の三種の神器も多分元々はそういうㇾガリアだったのだと思います。
しかし、摂関政治から武士による幕府などの間接政治が行われるようになると「天皇」と言う存在が「日本国の統治支配者」から「日本国の象徴と宗教権威者」に変化していき、その時点で三種の神器が「モノ」である必要性を失っていったといえます。

だから今の三種の神器は「箱だけで中身は無い」と考えている学者も結構いて、それでも「天皇だけが代々受け継ぐことができ、それが126代も続いてきた」という事実のほうが重いわけです。

だから「秘匿」でも「実は箱だけ」でもあんまり関係ない、といえちゃうのは天皇だけで、それは最初に書いたように、今でも「古代の宗教儀式を引き継い」でいるからでもあります。

日本の場合「儀式」そのものがㇾガリアであって、そういう国は現代には既に残っていない、です。
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秘匿にされているものはあるかもしれないが、「秘匿された場所」が明らかなものは他に無いと思う。



日本には、三種の神器以外にも、善光寺阿弥陀如来のように公開しない「秘仏」となっている仏像も数多い。

本来は、秘宝や仏像というものは公開することで、その偉容や有難味を周知させるのが目的だ。それなのに非公開にするのは、世界的に観てもかなり特殊だ。
その理由は分かっていないが、個人的には次のふたつが主な要因ではないかと思います。
①怨霊信仰の影響で、公開すると祟られてしまう。
②世阿弥の「風姿花伝」の<秘すれば花>の言葉にあるように、神器や仏像の偉容や有難味を最大限に発揮させるには、秘匿して公開しないのが一番。という人間心理を突いたもの。このような隠す文化・陰に価値を見出す文化は日本では古代からあったのでしょう。

さて、秘匿されてから、本当に誰も観ていないのか?と云えば、実際には見た人も結構いた可能性はあります。

伊勢神宮の八咫鏡;明治天皇が明治元年に見ています。他に現存のモノは過去の神宮火災時に消失し、作り直されたモノという説もあります。

熱田神宮の草薙剣;(壇ノ浦に沈んだのは宮中の形代であったとして)古代には新羅の僧に盗まれたほか、江戸時代にも盗難にあっている。二度とも奪回に成功しているが、この時に盗人や奪回した人々に見られている可能性が高い。また熱田神宮の関係者がこっそりと盗み見たという記録もある。

御所の八尺瓊勾玉;冷泉天皇が箱を開けて中を見ようとした記録はあるが、実際に誰かが見たという記録は無い。しかし、壇之浦で海に沈んだ勾玉の入った箱を回収したときや、南北朝の動乱で勾玉の奪い合いが何度か起こったが、その時に誰かに見られた可能性はある。

そのほか、善光寺阿弥陀三尊も、江戸時代に「お伊勢参り」とセットで「善光寺参り」が盛んになると、「秘仏なんてウソだろう」という風聞が広まり、真偽を検証するために幕府の検分が行われている。検分者は江戸・寛永寺の高僧だが、その人は見ていることになる。
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三種の神器ってのも、外来の考えですからね。



隠すってのは日本の風俗の特徴の1つでもあります。神道なんかに多いですね、隠す宗教なんて言われかたをすることもあります。(逆に仏教は見せる宗教で、デカいものを見せてひれ伏せさせるのですw)

なので、海外から来た三種の~のような考えに、日本古来の隠す風習がかぶさったようなものですね。
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伝国璽 wikより。



秦の始皇帝より以前は、周王朝37代にわたって保持されてきた
九鼎が帝権の象徴であり、それを持つ者が、すなわち天子とされた。

周が秦に滅ぼされた時に、秦は九鼎を持ち帰ろうとしたが、
混乱の最中に泗水の底に沈んで失われたという。
秦朝は新たに玉璽を刻し、これを帝権の象徴とした。


由来
始皇帝の時代に霊鳥の巣が見つかり、そこに宝玉があった。
これを瑞兆とした始皇帝は、李斯に命じて
「受命于天既壽永昌」と刻ませ、形を整え、
皇帝専用の璽としたという。

なお、銘は「受命于天既壽且康」であったとする書
(『漢官儀』後漢末)もある。永昌は『呉書』
(陳寿の『呉書』と別のもの)など。
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