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哲学の話では、よく「神が・・・」と言う話が出ますが

神が何をしてくれたのでしょうか 我々を作ってくれたのかも知れないが

四苦と言われるような苦しい世界に放り込んで この現状ですから

神とは何だと言うのでしょう、救ってくれてれるのでしょうか?

天は自らを救うものを救う と言う諺がありますが この期に及んで

神にすがって何かいい事あるのでしょうか?

絶対自力 絶対他力 人文のうんまいは自分が受け止めるだけではないでしょうか?

神が居なかったらどうだと言うのでしょうか??

A 回答 (76件中31~40件)

此の世が苦しいのは、仏教解釈では、前世の因縁。



キリスト教解釈では、原罪のため。

罪深いからですよ。

生まれるということはです。人間として。

他者に刃を剥けては成らぬ。自分にも刃を剥ける必要はない。

只、此の世界は或るのである。

喜怒哀楽、四苦八苦・・・・。

折角、我々は平和の時代に生まれた。

ならば、平和を希求するよう、努力を欠かさないことである。

私の財力では、世界は救えない。
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この回答へのお礼

ありがとう

我々の頑張り次第ですよ。

お礼日時:2021/01/04 16:47

haru さん、私をブロックしたがっていらっしゃるみたいなので。

私としては、あなたのためを思って書いたんですが。

あなたは、どうも、我欲が強すぎるというか、謙虚に学ぼうとする姿勢が窺われないので・・・・。

残念です。
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>なんで押し付けるかというと 欲望のせいじゃないですかね



我を通したいだけじゃないかな?
利害関係で争うのはよく分かる。これは俺のものだ!!って言う主張が互いにぶつかるんだよね。

我を通すってのも似てて、
俺の言うことを聞け!ってのも、いやいやお前こそ俺の言うことを聞け!みたいな感じでぶつかる。

だから、何で?お前の言うこと聞かなきゃいけないの?って言う疑問を投げかけてその主張の根拠を探るんだね。その理由を知って納得するなら良いんだけど、その際にまたいざこざする事も多いわけ。それで、根拠の薄弱な主張を持つ者が、既成事実を作ろうとしたり、力で押し切ろうとしたり、するんだね。そうなると争いが起きる。力の強い方が勝ち、敗者は恨みを抱き、恨みが回向して勝者を蝕んで、堕とす。結局両方負ける。狡猾な者は恨みの矛先が自分に向かない様に嘘を流布する。だけどそんな事をしても心の休まる時はないんだね。毒を上塗りするようなものだから。

神ってのは社会的には人々の結束の象徴でもあると思うのよ。人々が我を張り合うもんだから、偉い人が、正しい事はこれこれである、間違った事はあれそれである、って善悪を定めた。みんなそれに納得するのよ。それが、素朴な本来の人間心理に適ってたから。それが、法律の根拠にもなってるし、市井の倫理や道徳の元になってるんだと思うね。

神をまるまる否定すると、人類社会は崩壊するよ。それに代わる正しい事や、正しいと言う事自体を超克することが出来るなら話は別だけど。

こんな風に僕は考えたね。
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天国のことをですね。



幾ら、私が語っても、ご自身が天国の体験をしないと神に対する、畏怖も信仰も貴殿には起きないと思われます。

私自身も天国を観たから、何だ、はあるわけです。

個人の力で、あなたに神を信じなさいとは私では言えないのですが。
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この回答へのお礼

ありがとう

人それぞれ 頭の中は色々様々で違います。

自分がそう思っても相手はそう思わないかもしれません

女性とデートでもしたら痛感しますよ。

お礼日時:2021/01/03 22:44

#32



私はインターネットで、戦場の現実ばかりを探していたのですね。その時は当時、死にたかったのでした。兎に角、死に場所を探していました。死ぬ勇気もない癖してです。兎に角、何も見えないのです。真っ暗です。自殺願望は、殆ど治らず、復調の萌しがみえてきたのも、ほんの最近のことなんですね。

そんな死に場所を探すことばかりを二十年以上、私は繰り返していたのです。

ある日の日中、瞳を閉じると、突然、蒼天を突き抜ける錯覚?を覚えました。すると、天国が見えてくるんですね。黄金の王宮があり、荘厳な世界でした。私が観た天国には、軽い労働はあり、農作業はあるのですね。絵柄は、西洋風の老夫婦が農作業に従事しているという感じでした。黄金の王宮の内部に案内されて、それは、神の秘匿の話だと思って、神に謝罪して、私は白昼夢?から覚めたのでした。

まぁ、此の世に天国も地獄もあります。
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この回答へのお礼

ありがとう

天国は白昼夢だったのでしょうねえ。でなければ妄想と言われます。

黄金の王宮、荘厳の世界 正に天国ですねえ。

お礼日時:2021/01/03 22:42

コメントをありがとうございます。



★ (№38お礼欄) 私は無神論ですから。
☆ ですから その論は 仮説です。《無神》について何ら証拠も証明も――《有神》の場合とまったく同じように―― ありません。


でしたら 《無い神》と《有る神》とは――ひとによってどちらを選ぶかの自由があり そのように好きに振る舞っているだけなのですから―― まとめて同じひとつの普遍神のことだと言えるわけです。

《有る神》派の中では カミでもゴッドでも あるいはブラフマンでもブッダでも自由に名づけています。みな 普遍神の言い換えにすぎません。


したがって ここまでくれば 神――普遍神――と人間(その一人ひとりのわれ)とは 信仰をとおして けっきょく一体である。と言えるのではないですか?

だったら:
★ 神と人間はどちらが大切か?
☆ という問いは やはりおかしい。

無神論の人でも 《無い神(=普遍神)とわれとの一体》として実存しているはずなんです。

《絶対性(無限)と相対性(有限)との――証明のつきがたい―― 一体》であることが 人間存在だと考えられます。





なお 《無根拠》のほうが 《相対的な・移ろいゆかざるを得ない理由や根拠》よりも じつは つよいのです。


★ 神は・・・救ってくれてれるのでしょうか?
☆ 目に見えてかたちあるようにすくってくれているとしたら それは じつは 神ではないのです。


言いかえると 絶対性は 相対的なものごとをとおして間接的に 相対存在たる人間にハタラキカケをおこなっている。

たとえば 世界の出来事の一つひとつが 言わば神――あるいは《無い神》――からわれわれに贈られたメールなわけです。

直接のつながりはないので そのメールで神本体がどう言っているかは 人間には分かりません。解釈の問題になります。


こんな感じですが いかがお考えですか?
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この回答へのお礼

ありがとう

神と言うのは人伝いに伝統的に存在していると言われているもので

日本人の多くの人は仏教ですから 神の存在を知らないと言う人も多いでしょうね

私も神は居ないと思います。今まで神に救われた事はないです

人間に救われた事はあります。

神を観たことも その声を聞いた事も 存在を感じた事もないです

カトリック幼稚園から普通の幼稚園に転園しましたが 神は居ませんでした。

カトリック幼稚園にだけ神は居たのかもしれません。

それから今迄神が居たらこのような事は起こらないだろうなと言う事ばかり

日本中で世界中で起こります。

私は神に救われたのでしょうか?

何時救われたのでしょうか?

アメリカに祖父が殺されて 何が救われたのでしょうか?

この世の不条理はみんな人間が起こしたのでしょうか?

神が起こしたのでしょうか?

神が居るならもうちょっとましな世界を作ってほしかったなあ。

お礼日時:2021/01/03 19:18

no39


あーそーですか。ご苦労さん。
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この回答へのお礼

どうもでした

お礼日時:2021/01/03 12:33

あなたねぇ、人の心配は余力のあるときすればいいんですよ。



中途半端な人だ。
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この回答へのお礼

自分よりも人のほうが心配です。

お礼日時:2021/01/03 09:12

★ (趣旨説明欄) 神が何をしてくれたのでしょうか



☆ 何もしてくれていません。目に見えて合理的に説明できるようなかたちでは。


問題は 神は――そのように――無根拠だということです。

どういうことか?

なぜなら その《無根拠》にこそ しばしば人は 頼るということです。

科学にたよる。おカネにたよる。家族や国や人にたよる。――といった《一定の理由や根拠のあるもの》に頼るよりも 無根拠の神のほうを 最後には拠りどころとする。ってわけでしょ?



次には 神というのは そういう《ただ概念である拠りどころとして 人間がつくったのだ》という仮説については どうか?


いきなり答えですが 神は人間の能力を超えているからには 相対的で有限なる人知は いろいろさまざまに神のことを詮索しまた〔しばしば頼るときに〕忖度する・・・ということです。


《神は 人間がつくった》という説 そして 《神は 絶対性であるからには そういう〈超自然・超経験の場ないしチカラ〉を人間が見つけたのだ》という説が出される。

後者のほうが 合理的なはずだけれど 前者の仮説に未練がある人は あとを絶たない。

後者の理論も 《そのように想定(アブダクション)すると 合理的な説明がいちおう得られる》というに過ぎないから。



★ 神と人間はどちらが大切か?
☆ この問いには 《ある程度において》すでに《神も大切である》という仮説または思いが前提に成っていますよね?

ぢゃあ それぞれ(神も人間もそれぞれ)に応じて大切にすればよいだけではないの?  


◆ (No.37) ~~~~~~~~~~~~~~~
no34
あなたは自分に対して素直になったほうがいいよ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


★ 絶対自力
☆ が――理論として――あるわけない。(そういう意気込みがあるだけ)。



☆ なんで こういうレベルなの?
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この回答へのお礼

Thank you

神を大切にする人もいれば、より人を大切にする人もいる

神を大切にして敬虔に生きる人生もあれば

人を大切にして自分から愛する人もある

そのどちらが良いかは生まれた環境や本人の考えによります

神についてはブラゲロウンヌさんのほうが詳しいでしょう

私は無神論ですから。

お礼日時:2021/01/03 09:22

no34


あなたは自分に対して素直になったほうがいいよ
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この回答へのお礼

ありがとう

まだ真理は誰にも分かっていないのです

素直になって謙虚にならなければなりませんね。

お礼日時:2021/01/03 09:11

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