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哲学カテで寄せられた回答をみて驚きました。

目で見えるもの、自分で経験、体感したものしか信じないって人の割合は案外多いのでしょうか?

ほんの少し考えるだけで「心」というのは目に見えないけど確実に存在するのは、多くの人がわかっているし「気持ち」があるからこそ、人との関係が複雑になったり、円滑に行ったりします。

そして、目に見えないものの代表格は「ウイルス」。
今のコロナなんかもそうです。
顕微鏡とかでしか見えません。

もっと言えば「赤外線」「紫外線」「電波」「音波」「無線の電波」など腐るほど見えないものはあります。

まぁその時の話題は「神」の存在の話だったのですが、完全否定する根拠もまた乏しく、
何せ有史以来「宗教」はいまだに廃れず残ってます。

「幽霊」だっているかもしれません。

自分の目で視えるもの、経験、体験がすべてというのは、シンプルですが違うような気がします。
今のコロナはある意味で、見えない物への「敬意」を払えという啓示のようなきもします。

皆様はどのように考えますでしょうか?
更にもっと言えば、今後も見えないけど確実に存在する物の発見があるかもしれません。

質問者からの補足コメント

  • すみません。お礼は明日以降にさせてください。

      補足日時:2021/01/04 17:46
  • 沢山のご意見ありがとうございました。

    ベストアンサーは選べないので「1st」にさせていただきます。
    ご了承ください。

      補足日時:2021/01/06 12:03

A 回答 (41件中31~40件)

質問の深度をちょっと変えた所から考えを述べてみます。



見えるものに対しての懐疑と、見えると言う事に対しての懐疑があると思います。前者は科学を進めるし、後者は認識論などの哲学を進める。

私は本当に見えているのか?
私は本当のところを見ているだろうか?
見えるとはどう言うことか?

この様に考えることは、一つの哲学姿勢でしょう。

見ると言う事は世界の成立における根本要素の一つであり、それを調べたり考究することは、自分を知る上でも役に立つと思います。

自分は今まで、見てきたものをそのままに信じてきたけど、自分が変われば同じ景色の見え方も変わった。まだまだ知らない景色があるんだなあと、こんな風に世界を知って行くこともあるでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね。
自分が変われば景色も変わるはその通りだと思います。

今、自分は精神病んでて、カウンセリングで認知行動療法を始めましたが、
いわゆる認知のゆがみを、修正している最中です。

ものの視方、捉え方、考え方が偏見に基づくものであれば、大いに修正は歓迎です。

 見えている、といえば、
霊感というのもありますよね。

胡散臭いと言われますが、視える人には視えると言われてます。
本当に噓八百でしかなかったら、とっくに廃れてるハズですが、
いまだに残ってます(これは宗教もですが)

死を予兆するセラピー猫というのがアメリカに居たそうですが、高確率で当てたそうです。死ぬ直前に発する匂いを嗅ぎ分ける能力がその猫にはあるとありました。

 犬の嗅覚が優れているのは有名ですが、あれも人の目には視えないけど、
確実に「におい」が存在する証明だと思うのです。

お礼日時:2021/01/03 20:30

少なくともnode性がゼロならリテラルでは表現できない。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

No.10さんのお礼で書きましたが、私はある病気を若い頃発症しました。
でも医学的には、そんな病気は存在しなかったので病院へ行っても門前払いでした。

それから約10年後、医学的に認知され「病気」として確認されました。
※ただし治療法は確立されてません。

もし医学界が私が生きている間に、認知しなければ、私はただの基地外でした。

見えないから存在しない。
前例が無いからそんな病気は存在しない。

という扱いをされたら、それは困ります。
今後も未知の病気がどんどん発見されるでしょうけど、認知されてないから、そんな病気は無いというのは、当事者からすれば苦しいです。

お礼日時:2021/01/03 20:22

目で見えるもの、自分で経験、体感したものしか


信じないって人の割合は案外多いのでしょうか?
 ↑
多いと思います。



ほんの少し考えるだけで「心」というのは目に見えないけど確実に存在するのは、多くの人がわかっているし「気持ち」があるからこそ、人との関係が複雑になったり、円滑に行ったりします。
 ↑
目に見える見えない、というのではなく
認識出来ない、ということだと思われます。
国家が存在するのは、脳の中だけです。
目には見えません。
しかし、認識は出来ます。



そして、目に見えないものの代表格は「ウイルス」。
今のコロナなんかもそうです。
顕微鏡とかでしか見えません。
 ↑
電子顕微鏡なら見えます。



もっと言えば「赤外線」「紫外線」「電波」「音波」
「無線の電波」など腐るほど見えないものはあります。
 ↑
見えないけど、観測可能、つまり
認識可能です。




自分の目で視えるもの、経験、体験がすべてというのは、
シンプルですが違うような気がします。
 ↑
それは存在論の範疇だと思われます。
未発見の惑星は、存在しますが、認識
されていません。



皆様はどのように考えますでしょうか?
更にもっと言えば、今後も見えないけど確実に存在する物の
発見があるかもしれません。
  ↑
認識不可能なモノは、果たして存在すると
言えるのでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>多いと思います。

やはりそうですか。

他の方へも書いたのですが「心」1つとっても、
確実に存在するのは分かっているのに、
人類の大半は軽視している気がします。

拝金主義というか、お金の為なら魂を売る人が少なくありません。


風俗で身体を売る女性の大半は自分の精神(心)を無視してます。
お金は稼げで物欲は満たせますが、心は貧しくなる一方ではないでしょうか。


自分もですが、年収300万より年収1000万。
時給1000円よりも2000円の方を選択しがちですが、
それと引き換えに心(精神)を削っているケースが多いと思われます。


>国家が存在するのは、脳の中だけです。

(^^;

まぁ、それを言ってしまったら
そもそも現実の世界ですら、脳が作り出した幻想とも言えます。
その中で、人間関係で苦しんだり、自ら試行錯誤し選択したり努力したりしてますが、
それもただの長い夢の中での出来事といえばそれまでです(笑)
※私達が睡眠で見る夢だって自分の思い通りに行きませんからね。
そういう意味ではある意味で、脳(魂)が作り出した幻想の世界かもしれません。


何せ、あんな小さい物(精子・卵子)から、こんな巨大な人間になるのも、また遺伝子が沢山入っているのも
現代の科学では解明できてないハズです。

いや、この世界は幻想の世界なのだよ~と結論付けされたら、それは別の意味で納得できます(笑)


>認識不可能なモノは、果たして存在すると言えるのでしょうか。


私は一時期、ギャンブルにはまった経験があるのですが、
どう考えても確率論的にありえない当たりを何度も引いた経験があります。

それに交通事故も何度も遭ってます。
確率論的には、普通の人よりはるかに高いです。
※過失0の事故も何度かあります。

あと他の方にも書きましたが、私は「明晰夢」を年に1、2回見ます。

けどネットでググったら普通の人は見たことすら無いと言います。
世の中のほとんどの人が経験してないので、否定されても反論ができません。自分しか見てない訳ですから。

また私はある持病を抱えているのですが、それを発症した当時は、その症状の存在を認めてくれませんでした。

約10年後ぐらいにやっと医学的に「認知」され、病名が付けられ広く知られることになりました。

お礼日時:2021/01/03 20:17

厳密に言えば存在するかどうか観測しない限りで判明しません。

とは言え観測していないのにも関わらず「存在しているとみなし」ても不都合が生じない事柄については「存在しているとみなしている」のです。
この事実を「科学の真実さん」は理解されていません
その点を踏まえて言えば「目で見えるもの、自分で経験,体感したいからですものしか信じない」との主張はは「みなし」ではなく「厳密に確認」するべきとの姿勢が導き出しうると言える主張です
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

でも、それってすべてを己自身で見て体験するには、人間の寿命は短すぎます。日本国内ですらすべてを自分で把握するのは不可能に近いです。

確かに歴史だって改ざんはあります。
でも、だからといってみたこと無い、体験がないから、信じないは軽率な気がします。

勿論、その逆も然りだとは思いますが。
視えないから信じないのは愚かだからと妄信するのも、また疑問。

お礼日時:2021/01/03 19:48

見えないけど存在するという命題は、2つに分かれます。


1現代の科学の限界点
2自分の心の内的世界にのみ存在している。
こうした論争は終わりません。現代科学で「電波」などは存在が確認できますが、「神」の確認はできません。「内的精神主義者」はそれを「科学の限界」と言いますが「外的実存主義者」は、存在していないと切り捨てます。ただし、両者は確実に近づいています。「万有引力」の話を500年前にしたら、誰も信じなかったでしょうが、いま「万有引力を疑う人」はほとんどいません。こうして、徐々に科学と精神の溝は縮まって行くのだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね。
確かに歴史を振り返ってみると、かつてのヨーロッパでは海の果てを信じ、
地球がまさか丸いとは夢にも思ってませんでした。

天動説も聖書に書かれ、地動説を唱えた人は異常者でした。

今後、500年~1000年で、今の常識をくつがえすような発見は十分あると思われます。

お礼日時:2021/01/03 19:44

ロンドンには行ったことがないけど あると信じている



ブラックホールも見えないはずです。

アルプスにも行ったことがいし グリンゲーブルズにも行ったことがないです

もしかしたら実在しないこところかもしれませんが

話を気いいていると 本当に行ったことがあるような気がしてきます

分かるということを 砂の一粒一粒までを考えたら何兆杯あるかもしれません

でも分かるとうことは知っているとは違うのでそれほど多くないのかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね。

でも行ったことが無いから存在しない。
視たことが無いから存在しない。
体験したことが無いから存在しない。

は視野が狭すぎると思うのです。

私はよくここで同じことを書いてますが、
私は「明晰夢」というのを年に1、2度見る機会があります。
※睡眠時に夢を見てる最中にこれは夢だと自覚し、夢の中で好き放題やること

でもここで訊いたら、この明晰夢自体を見た経験が無い人の方が圧倒的に多いらしく、つまり否定されるんです。

確かに究極的に言ってしまえば、この人生(現世)ですら「魂」(本体)が投影している夢に過ぎないと思う時もあります。

ここで知り合った人たちは、存在するのではなく夢が作り出した他人。
当然、夢だからと言って他人をコントロールすることは不可能。
明晰夢とかのたまう人は単なる狂人で無敵な人に過ぎないかもしれません。

お礼日時:2021/01/03 19:41

目で見えるもの、自分で経験、体感したものしか信じないって人の割合は少ないのでは?


素粒子/原子/分子なんて見えませんし、経験/体験できるのは地球の引力ぐらいでしょう。でも、素粒子/原子/分子を信じなくても、その存在を受け入れないと化学的/物理的な現象を理解する事は不可能です。体験できるのは地球の万有引力だけかも知れませんが、太陽の万有引力の為に地球は公転して四季があり、月の万有引力の為に潮の満ち引きがあります。静電気などの電荷の力、磁石の引き合う力/退け合う力、素粒子のレベルで働いている弱い相互作用の力、強い相互作用の力、ファンデルワールス力(りょく)、遠心力、コリオリの力(ちから)など様々な力があるのです。
なので、見えるもの/経験/体感が全てと言うのは、非常に苦しい無理のある意見だと思います。
回答は、ここまでです。以下は、私が考察した諸々のメモです。

時間が無かったら,つまり,時刻も無い,瞬間も無い,時間的な幅が無い/ゼロなら「何」も「存在」できない。すなわち,「無(む)」です。

空間が無かったら,つまり,点も線も面も体積も無い,空間的な大きさ広がりが無い/ゼロなら「何」も「存在」できない。すなわち,「無(む)」です。

真空を「無(む)」だと言う人がいますが、超弦理論の弦/紐/膜やクォーク、素粒子、原子、物質、エルネギーの全てが無くても、真空には時間と空間はあります。従って、真空は、「無(む)」ではありません。

創世記では、「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。」とある。「はじめに」とは、時間を指す言葉です。「やみが淵のおもてにあり」とは、「やみ」や「淵」が存在しており、これらが存在できる「空間」がある事を意味する。つまり、神が天地創造を開始した時には、既に時間は存在して時間が流れており、空間も既に存在していたと述べている。神は、時間も空間も神自身もやみも淵も創ってはいない。これらは既に存在していのだ。
では、これらを創ったのは何なのか? これらは何故、存在していたのか?
聖書は答えていない。

宇宙は、なぜ存在し、宇宙は、どうしてどのようにして始まったのか?

神が創ったのなら、

_神は、なぜ存在し、_神は、どうしてどのようにして始まったのか?

こう記述すると、宇宙と神が同じである事が解る。

時間だけでも、空間だけでも、「存在」は、成立しない。この一方だけでは「存在」は成立しない。時間と空間の双方があって、初めて「存在」は、成立する。
宇宙は、なぜ存在している事が出来るのか? それは、「時間」が存在していて、「空間」が存在しているからだ。
時間の無い宇宙をイメージ出来ますか?  時間が無い状態から時間が始まった/初めた/流れを開始した状態をイメージ出来ますか?
空間の無い宇宙をイメージ出来ますか?  空間が無い状態から空間が始まった/初めた/大きさ広がりを開始した状態をイメージ出来ますか?
出来ませんよね。と言う事は、時間の無い宇宙、空間の無い宇宙は、存在しない、ありえないと理解すべきなだ。
ビッグバンで宇宙が誕生して、時間も空間も誕生したのなら、ビッグバンの「前」は、時間は? 空間は? どうなっていたのか?との疑問が湧く。
「無限大の大きさ広がりを持つ空間的に無限大の空間と無限大の過去から存在し無限大の未来まで流れ続ける時間的に無限大の時間が無限大の過去から共に既に存在している」。この時空/宇宙を「母宇宙」と定義します。この母宇宙Aの時空の量子論的な揺らぎが、我々が存在しているこの宇宙Bのビッグバンを138億年前に引き起こし、Bは、Aの「子宇宙」として、Aの時空の中で誕生し、今もAの時空の中で加速膨張し続けていると解釈/理解すると、Bが誕生する「前」の「時間」は? 「空間」は? と言う問いに、Bが誕生する「前」は、Aの時間が流れ、Aの空間が広がっていたと答える事が出来る。
それぞれが無限大の大きさと広がりを持つ「子宇宙」を無数に無限大個、その時空の中に持つのが「母宇宙」で、母宇宙の中では、常に無数の無限大個の子宇宙が誕生し、それぞれが母宇宙の時空の中で収縮/安定/定速膨張/加速膨張などの成長を続けているのかも?
多数の宇宙が存在するとの考えを「マルチバース」と呼ぶ。
母宇宙は、どのように始まった/誕生したのかは、母宇宙の「定義」から、
「母宇宙は無限大の過去から時間と空間と共に既に存在している」と回答する事になる。なので、母宇宙に始まり/初め/起源/誕生は無い。

ケプラーは1609年と1619年の著書でケプラーの第1,2,3法則を発表し、ニュートンが1687年の著書で万有引力の法則を発表する切っ掛けになり、1887年のマイケルソン・モーリーの実験は、1905年にアインシュタインが特殊相対性理論を1915-1916年に一般相対性理論を発表する切っ掛けになった。
宇宙の加速膨張が観測され、ダークエネルギーやダークマターが提唱され、超弦理論や11次元のM理論などが議論され、これらは、次の物理学の一大飛躍の切っ掛けとなるだろう。
1900年にプランクが量子論を1905年にアインシユタインが相対論を創始して現代物理学が誕生し、それまでの物理学が古典物理学と呼ばれたのと同様に、2021-2030年に掛けて生み出される物理学は、今の現代物理学を過去のものとする、全く新しい「真新物理学」を創始するかも?
それは、1900-1905年頃の人に量子コンピューターや相対論的GPSの時間補正と言っても理解できないのと同様に、2020年の我々が「局所空間の通常空間における波乗り効果」と聞いても理解できない全く新しい物理理論と技術を生み出すかも?
全く新しい時空のイメージと次元理論を生み出し、任意の範囲の時空を通常空間の時空の中を波乗りをする様に滑らせ、何百万光年も離れた遥か彼方の銀河に極めて短時間で人や貨物を行き来させる技術を生み出すかも?
そうなれば、はくちょう座の方向の約600光年の彼方にある太陽に良く似た恒星ケプラー22のハビタブルゾーンを公転している岩石惑星ケプラー22bに移民宇宙船が大挙して押し寄せ、ネオ日本/ネオアメリカ/ネオチャイナ/ネオロシアなどが建国されるかも?

宇宙人を「この宇宙に存在している知的生命体」とすると地球に住む人類も該当する。人類がいるのに人類の他には、この宇宙に宇宙人はいないと言う方が無理がある。天の川銀河(銀河系)には約1000億個の恒星があるらしい。その中に地球人と言う知的生命体が発生していると言う実績/事実がある。アンドロメダ銀河は、天の川銀河の約2倍の恒星があるらしい。天の川銀河でも最低1個の知的生命体を産んだ星(地球)があるのだから、その約2倍の恒星を持つアンドロメダ銀河には最低でも2個の知的生命を産んだ星がある?

知的生命体は人型で無いかも?
wikipedia日本語版の記事「ケイ素生命」の様に、炭素/水素/窒素/酸素を主体とした炭素型の地球の生命体とは異なり、ケイ素を主体とした生命体の可能性もある。例えば、核分裂物質が豊富な環境でケイ素生命体が誕生し、体内に核分裂物質を取り込み核分裂エネルギーで生命活動を維持するのかも?
または、太陽の光を浴びて光合成の様にして生命活動に必要な物質やエネルギーを得るのかも?
そうであれば地球の生命体の様に他の生命体を捕え/殺し/食べ/消化し/吸収し 生命活動を維持するエネルギーを得る必要は無いので、食べる「口(くち)」は無く、自己の体内から電磁波を発信し、外部の電磁波を受信し外部の情報を知覚し、他の個体とコミュニケーションするなら、目も耳も喋る「口(くち)」も無く、呼吸が不要なら鼻も無く、手足も無く、触手の様な体の器官で物を掴み、銀河間航行する宇宙船を組み立て、宇宙狭しと駆け巡り、壮大な宇宙文明を築いているのかも?

2045年にコンピューターの知能は,全世界の人間が束になって挑んても敵わなくなる,全人類の知能の総力を超える「技術的特異点/シンギュラリティ」に達するらしい。人間は脳にチップを埋め込み,スマホやPC,マウスやキーボードなどを使わず,脳の中に投影されるスクリーンの輝点を目で追うと,その脳の電気信号をチップが検出し,文字の入力やクリック/ドラッグ/ドロップなどが可能になり,人間は,常時,ネットとワイヤレスで接続し,超知能の人工知能AIと通信し世界中の情報を操作/処理する。
テレビ電話で貴方Aが日本語でアメリカの人Bに質問すると瞬時に流暢な英語に翻訳されBに聞こえ、Bの英語の答えは瞬時に流暢な日本語に翻訳されAに聞こえる。この瞬時の翻訳は全世界の全ての言語間で相互に可能になる。
高度の人型ロボットが、一般家庭で炊事/洗濯/掃除/育児/介護/買い出し/ゴミ出しをして、医療/法曹/建築/土木/生産/流通など全業種の全職場で働く。人間には、研究開発や芸術などの限られた仕事しか残らない。
超知能/超知性の人工知能AIに政治/経済/教育/医療/福祉など森羅万象について最適の施策を考えてもらい、人間は素直にその施策を実行して行くしか戦争を回避する手段は無いのかも?
地球の隅々に広がり地球から溢れた人類は、無限のキャパシティを持つ最後のフロンティアである「宇宙」に向かうだろう。それは「好奇心と拡散性」が人類の「性(さが)」だからだ。
下記のブログを是非、御覧下さい。
http://blog.livedoor.jp/satou_hiroshi_4649/archi …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

いつもありがとうございます。

お礼日時:2021/01/03 19:34

噂や他人の言うことを無条件に信用せずに出来るだけ自分自身で確認しなさい、という事だと思います。



そういう姿勢が少しでもあれば根拠のない風評被害など防げるのではと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほど。
でも、自分自身で確認できる範囲って限られますよね?

身1つでできることは限られてます。

1日24時間、1年365日という原則はすべての人間に共通してる訳で、
例えば中国、海外在住経験がある人は、日本で噂される中国像とは違った見方ができる一方、他国(他の海外)のことは、やっぱり知りません。

それこそ1年単位で世界を渡り歩いて来た人であっても、200か国以上ある国々を全部知ることは不可能です。

 これは過去の歴史についても同じで、例えば私達は昨年亡くなった「志村けん」さん、「渡哲也」さんなどは知ってますが、すべてを知ってる訳ではありません。そしてそれ以上の過去の人達(生前)は、すべて記録でしか判断ができません。

 記録でしかない物は、実際にあったかどうかも定かではない。
しまいには実在の人物ではない、と言いかねない(笑)

 確かに歴史は改ざんできます。
でも、自分で確認したことしか事実で無いという視野は、かなり狭い考えだと思います。

お礼日時:2021/01/03 19:33

突き詰めれば全ては広い意味で工学に収斂。


政治も人間制御工学。
結局は自我制御工学。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

難しいですね(^^;
自我制御。

確かに最終的には本人の意識の問題ですよね。

お礼日時:2021/01/03 19:27

目で見えるもの、自分で経験、体感したものしか信じないって人の割合は多いと思います。

特に仕事に自信のある男性や神に頼るのは弱者って考える人達は信仰を否定して自分の力だけで解決しようと努力する傾向があるのでは。生死は少し伸ばしたり縮めたりくらいしかできないし、目に見えない神の領域だと思います。信仰を持っても試練は避けられず災難にも遭いますが、信仰があれば乗り越える力を貰えます。見えない力に支えられ、励まされ、今日も目に見える世界生きているのだと思っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね。
私は一時期、ギャンブルにハマった時期があって、
また、長い人生でそうそう遭わない事故に何度もあって、
「確率」は所詮、確率でしかなく、視えない運気の流れとやらが確かに存在していると感じてます。※でなければ、私はパチンコで勝てなかったし、とっくに事故で死んでた

信仰の先が心の中に居る自分(魂=神?)なのか、本当に存在するかもしれない神かはわかりませんが、視えない力は確実に存在すると思ってます。

 そもそも「偶然」というのも何度も経験してますから、その度に怖いと思ったりします。

お礼日時:2021/01/03 19:26

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