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小林一茶の「痩蛙まけるな一茶是にあり」は人口に膾炙されています。
もし、「是にあり」を「是におり」と変えたら、趣はどのように変わりますか?

A 回答 (7件)

「これにあり」は武士が戦場において、自分の存在を誇示する「名乗り」の慣用句でした。

中世あたりの戦争は、自分の力を敵だけで無く、味方や自軍の大将に見せつけ、最後には恩賞にあずかるために名乗ったのです。しかし、元寇の折りには、相手は個人戦でなく集団戦法であったので、相手に笑いものにされ、かえって敵の集中攻撃に遭いました。
一茶はそれを真似て蛙を励ましたのです。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<名乗り」の慣用<>なのですね。<蛙を励ました>のですね。
y-hisakata様にも通づることなのですね。
たまたま、ラジオで、「我こそは下野・・・・の住人那須与一である」
を聞きました。

お礼日時:2021/01/23 17:43

追加。

当時は「おり(をり)」が現在の「いる」にあたり、「いる」が座っているの状態でした。「立ちゐ」が立ったり座ったりする意味でした。「立ち待ち月」、「ゐ待ち月」、「寝待ち(臥し待ち)月」と月の出る時刻が一日ずつで変わる状態を言いました。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
<「おり(をり)」>・<「立ちゐ」>の変遷は興味あるものですね。言葉は変わるんですね。

お礼日時:2021/01/23 18:40

#4です。



おり⇒情熱的応援

あり⇒冷静な応援

かもしれませんね。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
<情熱的>・<冷静な>は趣にかかわりますね。

お礼日時:2021/01/21 14:22

「おり」は生物、「あり」は非生物に使うのが通常。



「痩蛙まけるな一茶是におり」⇒「私という人間がここにいるぞ!」
「痩蛙まけるな一茶是にあり」⇒「私という存在がここにあるぞ!」
という違いになるかと。
後者は「あり」を使うことで個人(生物)ではなく存在(無生物)を意図している。
この「存在」という意図が結果的に【お前を応援しているところの(存在)】というニュアンスを醸成している。

その意味で、

「是にあり」を「是におり」と変えたら、趣は『薄れる』。

と考えます。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<おり」⇒「私という人間がここにいるぞ!」>ですね。
<あり」⇒「私という存在がここにあるぞ!」>ですね。
以下、先達のhakobulu様に睨まれると危惧しますが、不肖私の感じを綴ります。
ありの場合、一茶は一歩引いて自分(私という存在)を含め全体の光景を客観的に見ている、と感じます。
一方、おりの場合、一茶は身を乗り出して”私(私という人間)がおまえを見ているぞ・応援しているぞ”と感じます。

お礼日時:2021/01/20 18:05

我、ここにあり! は、「私はここにいるぞ!」と自分の存在を主張する表現。

これは文法とかじゃなく慣用。

カエル同士が相撲をとっていて、弱そうなカエルのほうに「オレ(一茶)がお前を応援しているぞ!頑張れ!!」という趣は、おりでは出ない。

まあ、本来俳諧なんてそんな詮索するもんではなくセンスの問題なんだけど。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<ここにあり! は、「私はここにいるぞ!」と自分の存在を主張する表現>なのですね。
<頑張れ!!」という趣は、おりでは出ない。>のですね。

お礼日時:2021/01/20 17:43

べつに…。

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この回答へのお礼

早速の御解答ありがとうございました。

お礼日時:2021/01/20 17:35

「あり」はそこにいる状態、「おり」は座っている様を表しますから、「おり」ですと詠み手はカエルに対して精神的距離があって、どこか本心で応援しておらず、他人事であるかのような趣きになるように思いました。

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この回答へのお礼

早速の御解答ありがとうございました。
<「あり」はそこにいる状態、「おり」は座っている様>なのですね。
<「おり」ですと>詠み手は<他人事であるかのような趣きに>なるのですね。

お礼日時:2021/01/20 17:34

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