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このような胸を打つ投書を見つけましたので、ここに転載いたします。
この世には何の責任もなければ、向上心も希望もない人間が多くいるのです。
このA男はそういう人間の代弁者であり、私そのものと言えるでしょう。
生きていくのは雑事を片付ける事であり、大きな希望や将来の夢という幻想に惑わされて右往左往するのは、全く虚しく愚かな行為であると悟りました。
ただ時間が流れいくに任せるのが人生の達人なのだと確信を得たのです。
近いうちに運転免許更新があります。
生きていくのは面倒くさいですね皆さん

「このような胸を打つ投書を見つけましたので」の質問画像

A 回答 (15件中1~10件)

雑事を片付けるのは、ほんとにメンドクサイというのは


俺にもわかるし、経験もあります。
今も、なんだかメンドクサイです。

ただ
この歌、好きです

「今日までそして明日から」歌詞
歌:吉田拓郎
作詞:吉田拓郎
作曲:吉田拓郎

私は今日まで 生きてみました
時には誰かの 力を借りて
時には誰かに しがみついて

※私は今日まで 生きてみました
そして今 私は思っています
明日からも こうして生きて行くだろうと※

私は今日まで 生きてみました
時には誰かを あざ笑って
時には誰かに おびやかされて

(※くり返し)

私は今日まで 生きてみました
時には誰かに 裏切られて
時には誰かと 手をとり合って

(※くり返し)

私には 私の生き方がある
それは おそらく自分というものを
知るところから 始まるものでしょう
けれど それにしたって
どこで どう変わってしまうか
そうです わからないまま生きて行く
明日からの そんな私です

私は今日まで 生きてみました
私は今日まで 生きてみました
私は今日まで 生きてみました

(※くり返し)
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欲を貪ったり、悪意を抱くよりは、この様な生き方の方が良いと思います。

この様な生き方よりも、明るく、やさしく、虚しからざる人生を生きることの方が良い。

人生の進行の是非にはバロメーターがあると私は思ってます。それは楽しさです。パンパカパーンな浮かれた、はっちゃけた楽しさでは無く、らくな、穏やかな楽しさと言えば誤解が少ないかも知れません。

楽しければ、人生は良く進んでいると言って良いと思います。
楽しい方に行けば、間違いは少ないという事です。
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胸を打つ?・・・はあ~


ただの人生の敗残者の嘆き節だろ
人生を諦めた怠け者の言い訳だろ
希望を失った愚かな動物だろ

同じ境遇なら、胸を打つかもね

朝起きて、食べて、眠るという、無意味な人生など歩みたくありませんね
生きる希望と意味を見出すのが人生です
理想があるから人生です
「汝自身を知れ」が大事だ
「何のため」が大事だ
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage8.html
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これの、どこが胸を打つのか、わからない。



やり甲斐であるとか、生きがいであるとか、そういった事は、
「自分で見つける」ものでしょう?

そういった努力を一切しないで、「グダグダ」と無能を
さらしているだけ。

新聞も、こんな文章を新聞に載せる、品格の無さ、情緒性。
ここに、美的意識を持つ編集者の醜悪さ、耐えられない。

パン、結構。納豆、結構。

しかし、普通の人間であれば、昨日よりは今日、今日よりは明日、
工夫をして、少しでもマシな食い物にする「工夫」をする。

青森なら、春の遠い足音を、日差しや、日の入りや、
ネコヤナギに感じるだろうと、思う。
真冬に比べて、既に、日の出の時間は、1時間近く早くなっている。
季節は動いているのに、あるのは「グダグダ」だけだ。

久しぶりに、不快な文章に出会った。
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#17 の人へ



ただの他力本願で、新聞の切り抜きの人と同じじゃん。

ようこそ、マジカルスクールへ Youtube
「このような胸を打つ投書を見つけましたので」の回答画像11
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まぁこんな人って


小学生の頃から
こんな人なんですよね。
努力とか、精進とかしたことなくて
気が付いたら50歳になって
振り返っても、先を見ても
何もないという。
自業自得ですね。
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このような胸を打つ投書を見つけましたので、


ここに転載いたします。
 ↑
胸は打ちませんね。
ただの怠け者に見えるだけです。
何もしないで、何かを得ようとする
図々しさが目立つだけです。



この世には何の責任もなければ、向上心も希望もない
人間が多くいるのです。
このA男はそういう人間の代弁者であり、私そのものと言えるでしょう。
生きていくのは雑事を片付ける事であり、大きな希望や将来の夢という幻想に惑わされて右往左往するのは、
全く虚しく愚かな行為であると悟りました。
  ↑
そんな人が、悟りを開けるとは思えません。
持っているエネルギーが小さいだけです。



ただ時間が流れいくに任せるのが人生の達人
なのだと確信を得たのです。
  ↑
それで、この人は幸せなんですかね。



近いうちに運転免許更新があります。
生きていくのは面倒くさいですね皆さん
 ↑
面倒臭いと思うのは、文化の力が
欠けているからです。
文化力が無いので、自分の人生を
切り開く能力が無いのです。
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この人のように成っても不思議ではなかった。

病気も重いし

哲学以外は何もない 食って寝るだけです。

しかし私には目的が在る。17歳の時から変わらない目的

この不条理をなくす、人間の目的を示唆する事

存在することが価値なのだ 存在することが目的なのだ

この人は人間そのものだ 次から次から問題を作り出してしまう

いい事がない。死にたいが死にきれない 鬱の人や精神病の人

その様な毎日を送っています。お年寄り、色んな病気の人

一度や二度はこの様な気持ちがよぎった人が多いのではないでしょうか

世界的に観ても 夢と希望を失い、苦しい生活を送っている人は多いのではないでしょうか?

シリアなどの難民や 紛争中の人々はどうなのでしょうか。
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ええ、こういう立場の人は決して少ないないと思います。


ここに書ききれていない現状までの様子が目に浮かびます。中高年になった独り身?の男性、身体も壊し、辛い体験もした、それでも寄り添ってくれる身寄りがあれば、少しでも心の逃げ道もあるでしょう。簡単にまともに働いていないお前が悪いと他人を馬鹿にするだけなら誰でもできます。
雪の日でも靴下も履かずに皮膚が爛れてしまった素足につっかけで、スーパーの袋と杖代わりのビニール傘を持ち、遠方まで歩き回っている近所でよく見かけるおじさんを思い出しました。
生きるために必死で、地面に這いつくばって自販機の下を覗いている姿。一度スーパーでも見かけましたが、冷凍のコロッケを一つだけカゴに入れレジに並んでいました。
冷凍をどうやって食するのか、火を起こすのか、そんな想像をしました。
もう少し以前に見かけた時は、足があまりに酷い皮の剥け方だったので、丁度、靴下屋の前だったので、咄嗟に靴下でも買って履いてくださいと千円札を差し出したら、即座にとんでもございませんと受け取られなかったです。
その瞬間、自分はなんと差し出がましいことをしたんだと恥ずかしさに駆られました。彼のプライドです。
よく見かけていたから、勝手な想像と思い上がりによる浅はかな行動をした自分でした。
それ以降も春夏秋冬とよく見かけます。
ああ、今日も元気で歩いておられるわと安心したり。

何もかもが面倒になり引きこもってしまう、片や生きていくために必死で歩いている。
食べていくだけの蓄えが少しでもあり、寝床があり、病で病院にもかかれる、それだけでも叶わない人からしたら、とても恵まれている。
それぞれの悩みは尽きないし、人の心の中は推し量れるものではないので、勝手な決め付けはできないなぁと思いました。
生きていくには、毎日面倒くさいことだらけですよね。
そう感じられるうちが花かもしれません。
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