チョコミントアイス

「子供にはこんな問題を答えるのは難しいでしょう。」
 「子供には」の中で、助詞「は」の作用は何ですか。
「強調」ですか、また、「提示主題」ですか。

A 回答 (14件中1~10件)

もう少し、補足しておきます。



>>「だ」だと「私は少年ではないだ」と、おかしいですね。
これも、「~ではない」と言い切った形ですでに断言だから、こう言う人がいないから、おかしく感じるんでしょうね。

「私は少年ではないだ」は標準語では使用されませんが、一部の方言では使用され非合理な表現ではありません。標準語では、最後の判断辞の省略が規範化しているものです。

形容詞判断文の「空が青い。」「とても嬉しい。」

も、

「空が青いです。」「とても嬉しいです。」などは近年使用されています。

否定の場合には否定すべき想定がまず肯定判断されなければならず、「私は少年ではない」の肯定判断辞「で」は省略できません。否定の認識構造が正しく理解されていません。■
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なお、



>>「語に「主題提示」などということはできません。それは文での機能です。」とは一体どういうおつもりの発言なのやら、誠実に読もうとする質問者さんほど混乱してしまいます。

も混乱した誤りです

語は意義を表すもので、語に「主題提示」などということはできません。

「主題」とは文章に対応するもので、語に対応はしません。

一体どういうおつもりの発言なのやら、誠実に読もうとする質問者さんほど混乱してしまいます。

質問者が問うているのは、「子供には」という句の中で、単語である助詞「は」の作用で、副助詞「は」は「大人に」との比較対照による「子供に」という特殊性の認識の表現に使われています。

膠着語である日本語の助詞が何を表すのかが理解できていない誤りです。■
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No.10 ~11の応答の誤りについて



>>日本語では、
「私は少年」
「これはペン」
「これは難しい」
「子供には難しい」
「答えるのは難しい」
いずれも文として成り立っています。

この場合、文末の肯定判断が省略されています。

「私は少年ではない。」

の否定文の場合、「ではない」は省略できません。「では」は肯定判断を表し、否定のための想定を肯定する助動詞句で、当然ながら英語の場合も「is not
」になり「be」を助動詞と捉えらえない誤りが露呈しています。

当然ながら否定辞は必須で省略はできません。■
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否定の場合でも同じことですね。




「私は少年ではない(です)」
 ↑
「私は~(です)」
 +
「少年ではない」


「私は{少年ではありません}(です)」
※この形では「ありません」で、すでに標準的に丁寧なので、「です」をつけることは標準ではありませんけど、
(これも・は)不可能ではありません(です)。

「だ」だと「私は少年ではないだ」と、おかしいですね。
これも、「~ではない」と言い切った形ですでに断言だから、こう言う人がいないから、おかしく感じるんでしょうね。

例の「こういうことなのだ」と説明的にする「の」を入れると自然になります:「私は少年ではないのだ」「私は少年ではありませんのです」


質問者さんからの返答も待たずに、
これ以上こちらについては話しませんが、

要するに、
こちらの質問者さんは、
>助詞「は」の作用は何ですか。
>「強調」ですか、また、「提示主題」ですか。

と聞いていらっしゃるのですから、「語に「主題提示」などということはできません。それは文での機能です。」とは一体どういうおつもりの発言なのやら、誠実に読もうとする質問者さんほど混乱してしまいます。
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日本語では、



「私は少年」
「これはペン」

「これは難しい」
「子供には難しい」
「答えるのは難しい」


いずれも文として成り立っています。
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No.8 の応答の誤りについて



>>一方、印欧語では動詞が述部の頭に来るため、動詞に主語と述部を結ぶ役目があって、動作を言わない文でも何か動詞が必要になります)

I am a boy.
私は少年です。

This is a pen.
これはペンです。

これらの文は、動作を言わない文です。そして、日本語にも英文にも動詞はありません。「be」と「です」は肯定判断の助動詞です。この「be」を動詞というのは屈折語文法の誤りです。

詳しくは、下記参照。
「英語:5文型説の誤り ― 形式主義文法論の混迷」
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9503 …

>>「に」は主題を提示する役目をしているわけではないですが、ここでも
「は」が主題を提示する役目をしています。

「子供にはこんな問題を答えるのは難しいでしょう。」は、

「子供にこんな問題を答えるのは難しいでしょう。」

と副助詞「は」が無くても意味は通じ、「は」を加えたからと言って「子供に」が主題になるわけではありません。「は」に主題提示の機能などありません。

>>この文は、
 子供には[{こんな問題を答えるのは}難しい](でしょう)。
という構造になっています。そして、
●日本語は動詞が文末にくるので「でしょう」とか「です」「である」などは必須ではありません。

この文の構造は、

(子供には)[{こんな問題を答えるのは}〔難しいでしょう〕。

で、「でしょう」は指定の助動詞「だ」の未然形「でしょ」+推量の助動詞「う」で、「でしょう」は必須です。推量の助動詞「う」がないと推量の意味を表すことはできません。

>>印欧諸語の文法の捉え方に従って、同じ部分は同じに見ていく必要があると思うんですよね。

こんな粗雑な印欧諸語の文法で屈折語である日本語の文法構造を正しく捉えることはできません。学習者の理解のためにも。日本語が世界に理解されるためにも。■
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こちらの質問者さんは、



>助詞「は」の作用は何ですか。

と「作用」を聞いていらっしゃいます。この「作用」を「機能」としても変わりありません。

>「強調」ですか、また、「提示主題」ですか。

「強調」をしたり「主題を提示」したりする「作用」をし「機能」を果たしているかどうかです。

「に」は主題を提示する役目をしているわけではないですが、ここでも
「は」が主題を提示する役目をしています。

たとえば「日本では」「日本からは」と言う場合も「は」があるために「主題を提示」しています。
「この件は、日本からでは分かりません」と言ったとして、これは
「日本からでは、この件は分かりません」とも言えて意味は変わりません。
日本語は助詞があるために、かなり語順を変えられる融通性があります。


ここで、こちらの質問者さんには余計なことかもしれませんけど、
印欧諸語とも並べられるように構造を見ていくと、

>「子供にはこんな問題を答えるのは難しいでしょう。」

この文は、

 子供には[{こんな問題を答えるのは}難しい](でしょう)。

という構造になっています。そして、
●日本語は動詞が文末にくるので「でしょう」とか「です」「である」などは必須ではありません。
(一方、印欧語では動詞が述部の頭に来るため、動詞に主語と述部を結ぶ役目があって、動作を言わない文でも何か動詞が必要になります)

つまり、
「子供には[従位節](でしょう)」
が主節で、
従位節が「{こんな問題を答えるのは}難しい」
という構造です。

ちなみに、語順を変えて
「こんな問題を答えるのは{子供には難しい}でしょう」
としても構いません。


このように、日本語は日本語の文法で成り立っている優秀な言語ですけど、できるだけ、印欧諸語の文法の捉え方に従って、同じ部分は同じに見ていく必要があると思うんですよね。学習者の理解のためにも。日本語が世界に理解されるためにも。
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なお、「は」は格助詞ではなく、副助詞または係助詞です。



格助詞は「が」です。■
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No.3 の補足です。



語に「主題提示」などということはできません。それは文での機能です。

語は意義を表すもので、この副助詞「が」は話者の特殊性の認識を表しています。

それに、「子供に」は主題ではありません。

しゅ‐だい【主題】
①主要な題目。
②(Thema ドイツ)
㋐芸術作品などの中心となる思想内容。テーマ。
【広辞苑】

この文の主節は「こんな問題を答えるの」です。■
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おっしゃるように「主題提示」(☜通常は、このように表現します)です。


これは、格助詞「は」の本質的意義。

・子供という立場を主題にして考えるならば、こんな問題を答えるのは難しいでしょう。

といったニュアンスになります。
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