アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

男は単なる種馬だったのに、力で女から奪い取り男系にまでして、そこまでして古代は、男性差別(種馬差別)が酷かったんですか?
男性の野心は、男性差別から生まれた攻撃性ですよね?
卑弥呼の後、男性が王になったら権力を誇るようになり、男同士の権力闘争が始まった。それで、これはダメだと女性達が考えて男王をどけて、再び卑弥呼の親戚の娘に王を変えたくらい、男性は平和を乱すくらい女性から差別を受けていたわけですよね?
この男性王は、男性差別を掲げて王になったのでは?
女の次は、男、その次は女と順番にしろ!と。
それがいつしか、男を王にしたら、男系に代わってしまった。男が権力を欲しがるためでは?

質問者からの補足コメント

  • 女は神に身を捧げて未婚だったのに対して、種馬である男は性欲が抑えられないあまり、男系、および一夫多妻を強引に認めさせ、もはや神から遠い存在、人間の欲望の塊のような人間臭がする俗物に落ちた。

      補足日時:2021/04/05 12:51
  • 男性王が、自分から子孫へと遺伝子を掲げるなら、父親が子供とリンクしないことから、どこの種か分からない男系より、母親と子供がリンクする女系がよっぽど安定。

      補足日時:2021/04/05 12:54
  • むしろ、男性が王になるためには、去勢し、一生独身を貫き神に身を捧げる必要があるのではないか?
    種馬に側室を抱えさせ、父親不明の世継ぎが生まれたところで、遺伝子に説得力がない。

      補足日時:2021/04/05 12:56
  • 男王の場合、側室に貞操帯を付けない限りは、人工授精にしろ、第三者がどうにでも遺伝子を操作出来てしまう。これは、自然信仰、自然の摂理にも反する。

      補足日時:2021/04/05 13:00

A 回答 (3件)

稲作が始まった弥生時代の頃と推定されています。


太古の日本では、王は仰るとおり女性であり、女系で受け継がれてきました。しかし、稲作等の普及で富が蓄積されるようになり、部族間の抗争が増えると、女王の親族の男性(多くは女王の兄弟)が、部族を指揮するようになりました。その時に男の方が採った権威の継承策が婚姻です。女王の兄弟が女王の権威を継承するために、日本では近親婚が盛んに行われました。古語の「背(せ)」「妹(いも)」が、兄と妹を意味すると共に、夫と妻をも意味するのは有名な話です。そのため、日本では奇形児の出産率も高くなり、蛭児の伝説が多く生まれるようになりました。
    • good
    • 0

いつから天照大神が天皇になったのか、こちらの方こそ聞きたいですね


もう少し考えて書きましょう
    • good
    • 0

628年に33代推古天皇を始めとして、35.37.41.43.46.48.109.117代天皇は女性で男系です。

男子が幼かったり、複数人があらそったり、ややこしくなったような記憶があります。間違ってたら、すみません。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!