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密教について、司馬遼太郎が次のように書いています。

<『法華経』その他の大乗経典は、経の成立当時から「仏語」(釈迦が説いた)と大きくかかげられているーむろん仏説ではない―のだが、密教の経典にいたっては釈迦も出てこないのだである。その教主は、宇宙の絶対的な存在である大日如来であるとされている。>

質問は、経典に釈迦が出てこないにもかかわらず、なぜ、密教は仏教の宗派とされるのでしょうか?

gooドクター

A 回答 (9件)

気に入らなければスルーで。


思想的なものは一切ありません。
  
質問が面白そうなので、少し首を突っ込んだだけです。
  
大元が大日如来であって、お釈迦様もそこから派生しているのではないでしょうか?
https://meteor-uranai.jp/kiseki/column/0002-b01- …
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<大元が大日如来であって、お釈迦様もそこから派生>なのですね。
その派生が理屈付けられたのが、密教成立当時か、ある程度経ってからなのか、興味があります。

お礼日時:2021/05/07 14:57

お礼について<経典に起点である仏陀が出てきても良さそう>



影響を受けたのがゾロアスター教であろうとヒンズー教であろうと、密教集団自体が仏教であると認識している。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがざいます
なぜ、<密教集団自体が仏教であると認識している>のでしょうか?

お礼日時:2021/05/09 07:46

> しかし、密教は仏陀を出さないのにもかかわらず、仏教として残っているのが不思議です。



真言の側の説明に次のようなのがあります。
  ~~~~      ~~~~~
真言宗の本尊は大日如来である。この仏身は、一切の価値の根元なのであって、その他のすべての神仏、諸尊は例外なしに大日如来の応化身(形を変えたお姿)と見るのである。真言宗の寺院には各種の仏像がまつられている。寺院の本尊としても、薬師如来あり、観音さまあり、不動明王あり、地蔵尊あり、まちまちであるが、教義からいえば、たとえどの仏像をおまつりしていようとも、その本仏は大日如来という共通の仏身に帰着するのである。
覚鍍上人(興教大師)は、当時ブームになりつつあった浄土信仰に対して、弘法大師の真言宗を弘める意図から、マンダラ思想からすれば阿弥陀如来も
大日如来の応化身であるわけで、そうすれば浄土往生も真言宗の一部であり、往生も成仏も究極的には矛盾するものではない、とした。
  ~~~~      ~~~~~
真言の場合でいうと、一般民衆に対する積極的活動が江戸後期には薄れて、説法・布教への知識と経験が不足し、明治の政府政策で切られ、民衆からの信頼はなくなり、その対策もあって、明治十一年十一月、高野山談議所で第一回の布教会議を開催して、説教の体裁を統一すること、在家の安心立行を決定すること、在家の勤行式を一定にすることなどの改革がなされました。 
また真言は神仏習合が強く、別当寺として権威を振るっていたのが、禁止され、宗派として拠点を失うほどの事態になっていました。経済的には上地令が下され、高野山周辺の山林の大部分は国有林となり、女人禁制も解禁にせざるをえなくなり、とにかく、踏んだり蹴ったりのひどい目に遭っていたのです。浄土教などとは違うんだと自分で仕切ってしまっては、「じゃあ、真言ってなんなのさ」といよいよ立場がなくなりますから、寺として生き残る、宗派・宗門の一つとして生き残って行くためには、他の寺・寺門と「大枠では同じ」という方針をとらざるをえなかったでしょう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B …
1872年に一宗一管長制が施行されて、真宗(大谷派・本派)、天台、真言(古義・新義)、浄土(鎮西派・西山派)、禅(臨済・曹洞・黄檗)、日蓮、時宗の七宗派に各一名の教導職管長が置かれるのですが、こういうときに、「真言は他の六宗とは同列にするな」と言うようなことはしないでしょうし、その後にも、「真言は佛教ではないので、、」のようなことをいうのは、自滅でしかないでしょう。
修験道は禁止されてしまいました。 臣民の徳育に貢献もしないと判断されたことも一因でしょう。
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この回答へのお礼

再三の御回答ありがとうございます。
<その他のすべての神仏、諸尊は例外なしに大日如来の応化身(形を変えたお姿)と見る>のですね。
当然、仏陀といえどもわが密教の一員だ、ということですね。

お礼日時:2021/05/09 07:51

No.5の回答中の「仏教自体が直接権力と結びつくことは無く、釈迦の死後様々な形で権力者に利用されてきました。

」は、文意がとれません。 「権力者に利用されたが、仏教は権力と直接結びつかなかった」とは、事実関係と一致していません。 僧やその集団は、積極的に権力に近づき、その一翼を担おうとしています。

No.6の回答中の「そのひとつが密教だ。密教が成立した頃には、仏教は仏陀から離れ、とっくに独り歩きし始めていた。それでも、仏陀の教えを起点として進化(?)していった成果のひとつである以上、仏教であることには違いはないだろう。 」が実際の歴史です。

「仏教」の集団も教義もそれぞれ変化し続け、日本では日本独自の変化をしているのです。日本内部でも、時代と集団によってやっていることはずいぶん違います。「仏教」という言葉で示せるかっちりとした内容や定義のようなものはないのです。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<No.6の回答中の「そのひとつが密教だ。密教が成立した頃には、仏教は仏陀から離れ、とっくに独り歩きし始めていた。それでも、仏陀の教えを起点として進化(?)していった成果のひとつである以上、仏教であることには違いはないだろう。 」が実際の歴史です。>ですね。
ただし、ほかの宗派は仏陀から離れ独り立ちし始めたとしても(申し訳程度にしろ)経典に仏陀を出して仏教の枠に残っていますね。しかし、密教は仏陀を出さないのにもかかわらず、仏教として残っているのが不思議です。

お礼日時:2021/05/08 16:17

釈迦は自分の教えを文字化することを禁じている。


そして仏教は、釈迦の死後分裂し、バラモン教、ヒンズー教、そしてアレキサンダー大王によってギリシャ・ペルシャ文明の影響を受けながら変質し、その過程で文字化(経典化)も進んだ。

ある意味、仏陀を開祖としつつも、その教義は拡大解釈や世相のニーズによって変質し、その一部は大衆化も進んだ。つまり、仏陀の教えを根本としつつも仏陀の教えとは似て非なるものへと変わっていった。

そのひとつが密教だ。密教が成立した頃には、仏教は仏陀から離れ、とっくに独り歩きし始めていた。
それでも、仏陀の教えを起点として進化(?)していった成果のひとつである以上、仏教であることには違いはないだろう。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
密教は<仏陀の教えを起点として進化>したのですか。
私は今まで、密教はいわゆる仏教(釈迦の教え)とは別にあったが、両者が近寄ったもの(どちらがより多く寄ったのか分かりませんが)と思っていましたが、密教は仏陀の教えを起点にしていたのですか?それならば、経典に起点である仏陀が出てきても良さそうに思いますが。

お礼日時:2021/05/08 19:05

>釈迦は寛容な人のようですので、どんな宗派でも、来るもの拒まず、去るもの追わず、の心なのでしょうか?



単に、後世の人が自分達の都合で「教え」を改変したからだと思います。
キリスト教も原始的な「イエスの教え」はかなり改変されていることが分かっているのですが、初期の教義がどんなものだったのかは資料がほとんどありません。

またキリスト教はイエス死後12使途が各地を布教していったのですが、個人の考え方が反映されたり、地域によって文化が違ったりして、地域に伝わる教義が変化していました。

それを4世紀の第一ニカイア公会議に始まる数々の会議で、教皇の権力を強化することを目的に各地の教義を整理し整え、この会議での取捨選択に異議を唱える宗派を異端として排除していった、と言う歴史があります。

逆にいえば、カソリックは今でもバチカンにあり、キリスト教圏内では絶大な権威を誇っていて、彼らがにらみを利かせているからこそ、キリスト教は「イエス様の教え」から逸脱しない、ともいえます。

仏教は逆で、仏教自体が直接権力と結びつくことは無く、釈迦の死後様々な形で権力者に利用されてきました。
 
それでも釈迦の生誕地(北インドまたはネパールだと言われる)に近い北インドやチベットは「なるべく釈迦の教えに忠実であろう」として上座部仏教という形で残りましたが、特にインド全体に広がった仏教は、当時の支配者が政治利用したために、様々な形で変化し、その後ヒンドゥー教やイスラム教との競争の中で大乗仏教に変化していったわけです。

キリスト教と仏教の最大の違いは「権力が1点に集中して、継続したかどうか」でしかなく、結局のところカソリック・ローマ教会が現在まで残っているキリスト教のほうがより昔の形のままである、ということになるわけです。

もっともキリスト教も初期の教義に比べるとだいぶ変質したようで、キリストが布教した直後の1世紀の経典である(と見做される)死海文書はキリスト教の歴史だけでなく社会学的にも非常に重要な発見であるとされています。
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この回答へのお礼

ご尤も

お礼日時:2021/05/08 19:10

> 質問は、経典に釈迦が出てこないにもかかわらず、なぜ、密教は仏教の宗派とされるのでしょうか?



たぶん、日本語で「仏教」という言葉はあまりポピュラーではない社会状況が長く続いていて、江戸時代などは仏道、宗門、○○宗、仏門、信心、お寺、僧で済んでいたのでしょう。もちろん神仏習合状態だったのです。密教系でも、同じです。明治になって、いわゆる廃仏毀釈が政府主導で引き起こされ、寺請制度もなくなり、このままでは寺が消滅しかねない状況になって、この世の動きというか政府政策に対抗する運動や積極的に社会に働きかける運動、さらに葬式や墓に依存するのではなく、宗教として生きることを目指すことが大事であると思う一部の僧や僧出身で東大などで宗教の研究に向かった人が中心になって、各宗派をまとめて、「仏教懇話会」を創り始めたのが1890年前後の動きになります。また「日本仏教青年会」「大日本仏教慈善会財団」などの団体組織の結成などの、新しい明治以降の時代に対応するための動きがあって、その《大同団結のキーワードが"仏教"》となったのでしょう。
密教でも、浄土教でも、禅宗でも、その内容や重要と考えていることに関係なく、《仏教》という旗のもとに協力するのが仏教です。
http://www.jbf.ne.jp/wp-content/uploads/site211/ …
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<密教系でも、同じです。>ですね。明治になって、いわゆる廃仏毀釈が政<《仏教》という旗のもと>ですね。
ただし、釈迦が出てこない経典による宗教を、なぜ仏教に含めたのか分かりません。

お礼日時:2021/05/08 19:09

>ところで、キリストの出てこないキリスト教の宗派はない、と思います。



私の知っている限り、たしかにキリストが存在しないキリスト教の宗派はありませんが、しかし大きく分けてもカソリック・プロテスタント・正教会・その他諸派があり、教義がかなり異なるものも存在しますし、お互いに相いれない状態のものもあります(正教会とカソリックの対立は割と有名ですね)

なので、キリスト教が「誇大包装」ではない、と言い切ることはできないし、なにより同じ神を信奉しているはずのユダヤ教・イスラム教からみれば「キリストは単なる預言者」であって神の子ではありません。

>仏教には誇大包装の気味が感じられます。(なんでも包んでしまう節操のない)

いずれの宗教にしても様々な宗派があり、それを受け入れた社会の価値観によって変容していきます。なので現代的な視点から見ればどの宗教も「真実が含まれているとは言い難い」ものだと思います。

特段、仏教に限った話ではないと思いますよ。

その宗教を信じる人達が、他の宗教に対して寛大であることが、現代においてはもっとも重要でしょう。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
<いずれの宗教にしても様々な宗派があり、それを受け入れた社会の価値観によって変容していきます。>ですね。
釈迦は寛容な人のようですので、どんな宗派でも、来るもの拒まず、去るもの追わず、の心なのでしょうか?

お礼日時:2021/05/07 18:32

仏教と言う言葉がそもそも「釈迦が表したもの」以外のものも含むからです。



日本でいう「仏教」というのは6世紀から10世紀ぐらいまでに中国で流行していた仏教や経典を元にしています。その中には当然に「釈迦が書いてないモノ」も含まれます。

仏教の基本的な流れとして「大乗仏教」と「上座部仏教」の二つがあるとされますが、釈迦の教えを守っているのは「上座部仏教」のほうで、日本ではあまり知られていません。

日本に輸入された仏教、つまり中国にやってきた仏教のほとんどがインドを経由していて、インドでバラモン教やヒンドゥ教などとまじりあった結果、釈迦本来の教えとは別の体系を作るようになり、釈迦の教えとしては「悟り」などごく基本的なものだけが残ったのです。

日本でいう「密教」は大乗仏教の一部で、バラモン教の呪術主義やヒンドゥ教のヒエラルキー論に対抗できるように変容し、さらに唐の時代の中国で儒教によるフィルターにかけらたものだけが輸入された、という経緯をもちます。

つまり「仏教=釈迦」という定義自体が(それは事実ですが)ほとんど通用しないのが日本の仏教で、密教に限らず「釈迦の教え」はあまり入っていないで素。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<仏教と言う言葉がそもそも「釈迦が表したもの」以外のものも含む>ですね。
<つまり「仏教=釈迦」という定義自体が(それは事実ですが)ほとんど通用しないのが日本の仏教で、密教に限らず「釈迦の教え」はあまり入っていないで素。>ですね。
ところで、キリストの出てこないキリスト教の宗派はない、と思います。(私は浅学ですから、あるかもしれませんが)
仏教には誇大包装の気味が感じられます。(なんでも包んでしまう節操のない)

お礼日時:2021/05/07 15:15

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