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なぜ坊さんたちは生命について、生命倫理について語ることをやめ、葬式の事に専念するよーになったのでしょーか?
いま人々がコロナに病み、生命倫理や医療について、医療のあるべき姿について考えるべきときに、なぜ坊さんたちは生命について、生命倫理について語ることをやめ、ただただ葬式の事に専念するよーになったのでしょーか?

A 回答 (8件)

古い本ですが、「日本の仏経」(渡辺照宏)に次の説明があります。



六世紀の中頃になって、日本に仏教が伝えられたときも、それと同じことであった。百済の王からわが天皇への贈り物としてはじめて届けられた仏像と経巻は、もっぱら天皇や貴族たちの用にあてられた。金ピカの仏像をかざり、異国情緒の豊かな宗教儀礼を行なわせることは、支配階級の特権であった。支配者たちは、自分たちの幸福のため、または自分たちの先祖の霊をまつるために、寺院をつくり、僧侶を養成した。これが日本仏教のはじまりである。
その後、この珍貴な外国宗教は、だんだんに社会の中層から下層にも伝えられた。また直接、民衆が外来の移民たちとの接触によって学ぶこともあったに違いない。しかし、日本の仏教がその起源において、下層からではなくて、社会の最上層部からはじまったこと、また、当人の自発的意志による出家ではなくて、支配者の宗教儀礼を執行するために僧侶がつくられたこと、
この二つの事実は、日本仏教の特質を理解するためにとくに注意しておく必要がある。いずれも、インドなどでは例のないことであり、すでにこの二点だけから見ても、はじめから仏教の受けとり方がピントはずれなのである。

日本の仏教は、最初から支配者階級と結びついて発達したために、多くの変遷を経た現在でも、この特質からまったく脱却してはいない。支配者、権力者、富めるものと密接な関係を保ち、その保護のもとに立つという受動的な態度が強い。これから離脱して、経済的にも精神的にも、自由を獲得することは、きわめて特殊の場合においてのみ可能であった。
支配者のための宗教としては、第一には支配者個人なり、その家系なりの幸福を増進し、不幸を避けるという呪術が主なものであるが、支配者とその支配する国家とが同一視されるところから、国家の幸不幸についての祈祷も重要になる。日本の仏教が多く国家主義と結びついたのもそのためである。

仏教をとるか捨てるかという態度を決定するには、専ら、この打算によった。疫病の流行や終滅、または天災地変などを規準としてきめられた。ここに日本の仏教の第二の特異性がある。

日本の仏教の第三の特色として、死者儀礼をあげることができよう。日本人は古くから農耕定着民として生活していたから、個人と家系の結びつきは絶対的で、個人的意識は弱かった。したがって家単位の祖先崇拝は重要な意味を持ち、死者儀礼がおもんぜられていた。このことは墓制や葬制の記録に明らかであるが、死後の世界については、漠然とした考えしか持っていなかった。中国から伝わって来た仏教は、人間の死後の運命について複雑な知識をもたらし、豪華な死者儀礼の様式を教えた。もちろんはじめのうちは、ただ上層階級のみに許された賛沢であったが、仏教の儀礼は次第に下層社会にも及んだ。また地方を遍歴した僧侶たちの手で、一般化されもした。

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「生命倫理について語る」という習慣はなかったでしょうし、そのようなことを主眼にする人がいたとしても、そういう人を受け入れる人々はほとんどいなかったでしょう。
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この回答へのお礼

坊さんたちは葬式の事はいいから、生命について、生命倫理について、医療のあるべき姿について語るべきです。

お礼日時:2021/05/27 09:30

楽して飯を食うためだと思います。


まぁ元来、坊主ってそうゆうものです。
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> 坊さんたちは葬式の事はいいから、生命について、生命倫理について、医療のあるべき姿について語るべきです。



根拠もない、勝手な思い込みです。

> 生命倫理について語ることをやめ、葬式の事に専念するよーになった

事実の確認もなく、勝手な思い込みをしないことです。
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この回答へのお礼

真実

お礼日時:2021/05/21 19:22

あなたが 其処しか見ていないから・・

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昔坊さんはインテリだったのです。

当時の唯一の外国語である漢文を読むことが出来ましたし。(お経は漢文で書かれています)。そして昔の一揆の指導者に坊さんが加担し、理論的指導者となることも少なくありませんでした。(一向一揆など)

そこで江戸幕府は「坊さんが農民をそそのかし一揆の指導者となるのは、坊さんの生活が安定しておらず食ってゆけないからだろう」と考え、現在の檀家制度を考え、坊さんがお布施で安定した生活を送れるようにしました。生活の安定した坊さんは、それ以来幕府にたてつかなくなりました。それから坊さんは「葬式坊主」と呼ばれたり「坊主丸儲け」などと揶揄されるようになりました。
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この回答へのお礼

坊さんたちは葬式の事はいいから、生命について、生命倫理について、医療のあるべき姿について語るべきです。

お礼日時:2021/05/21 08:54

生きることについての解釈は様々あるってめんどーだけど


死ぬことについては誰も同じだから話がかんたん。
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この回答へのお礼

坊さんたちは葬式の事はいいから、生命について、生命倫理について、医療のあるべき姿について語るべきです。

お礼日時:2021/05/21 08:54

僧侶の伝える情報はネット等で簡単に入手できるようになったため、あまり語らなくなりました。

また、葬儀、法事等が激減しているなか僧侶の考え方も変わってきています。私も寂しく思います。
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この回答へのお礼

坊さんたちは葬式の事はいいから、生命について、生命倫理について、医療のあるべき姿について語るべきです。

お礼日時:2021/05/21 08:53

生命倫理について語ると長いお言葉になるからでしょ

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この回答へのお礼

坊さんたちは葬式の事はいいから、生命について、生命倫理について、医療のあるべき姿について語るべきです。

お礼日時:2021/05/21 08:53

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