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はじめまして、初投稿させていただきます。
私は3ヶ月前に結婚したてで、彼の家に同居しています。家の人は皆快く迎えてくれたのですが、一つ悩み事があります。実は私の実家は神道で彼の家は浄土真宗なのですが、ご先祖さまの月命日とかやってくるお坊さんの言動に腹が立って仕方ありません。
別に義両親も主人もそんな事にこだわらないし、私も別段気にしたことも無かったのですが、結婚後初めての月命日で紹介されたときにいきなり「ご実家は何宗ですか?」と聞かれました。それで「実家は神道です。」と答えたところ、「そりゃひどい!折角嫁いできて縁が切れたんだから、しっかり仏法にきえ(?)しなさい!神道の人はなかなか成仏できないで、この世をさまよっています。それを私は何人も供養して浄化させましたよ!
仏法をおろそかにすることは人の恥です!」まで言われちゃいました・・・それに、その次の月も来られた時に説教されて、「嘆いしょう」と言う本を渡されて、勉強しなさい。と言われました。夫に「あなたもこうやって勉強したの?」と聞くと、一度だって言われたことは無い。と言ってました。別に宗教なんて全然こだわっていないけれど、何だか自分の実家をさげすまれた様で、すっごく悲しいです。

お坊さんとのお付き合いは今までほとんどありませんでしたが、寂静さんや色んな人の本なんかを目にすると、良いことを書いてるなって、感心していました。でも実際のお坊さんは・・・
人の心を踏みにじってまでも考えを押し通す、仏教やお坊さんってそんなに偉いんですか?
主人や姑は気にするなと言ってくれますが、もうすぐ今月の月命日が来るので、とても気がめいっています。

(パソコンが家に無くて、友人の家でさせてもらっているので、お礼が遅くなるかもしれませんが、よろしくお願いいたします)

A 回答 (17件中1~10件)

> それを私は何人も供養して浄化させましたよ!


浄土真宗の教えは「他力本願」です。坊さんごときにそんな力はありません。
その坊さん、本当に勉強したのかいな。

ところで、「嘆いしょう」は「歎異抄(たんにしょう)」でしょうか。
浄土真宗の祖、親鸞の言行を弟子が書きとめたものですが、読んでみると
面白いかもしれません。念仏は供養のためにするものではないなどと
書いてあったりして、その坊さんの話と食い違うことが続出しそうな気がします。
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こんにちは。


そんなお坊さんもいるんですねぇ。
坊さんだからって決して偉いわけではありませんよね。
普通の人間ですょ。
そのお坊さんは、あなたに何を伝えたかったんでしょうか。
私は 宗教は全て(神道やキリスト教やイスラム教だって)それを求める人の こころの頼りとなる点で 共通しているものだと思います。どれが一番いい宗教だ!とかいうものではないですよね。
元気をだしてください。

この回答への補足

皆さま有難うございました!
今朝、友人の家に来てみて「返事が何もなかったらどうしよう~(^_^;)」なんて思いながら見てみたら、こんなに皆さんからのお返事が来ていて驚いています!!

友人の仕事の都合でなかなかパソコンが触らせてもらえなかったので、とうとう今月の月命日は間に合いませんでしたが、皆さんの言う通り、気にしない(それこそ馬の耳に念仏状態ですね(^_^))でやっていく事にしました。幸いにもその日、彼の仕事が遅番で一緒にいてくれたのと、姑の入れ知恵でエアコンの故障のふりをして仏間を寒いままにしておいたら、読経の後に無駄話をせずにお帰りいただけましたし(笑)
それと、図らずも皆さんが「一度『歎異抄』を読まれてみては・・・」と言われていますが、(ごめんなさい!うろ覚えで書いたので間違ってました~☆)敵を先ず知らねば!と思って、実際に読んでみました。
確かにお坊さんを仰ってる事と矛盾が・・・^_^;
これだけ仏教仏教言っているのに、当の親鸞さんは「阿弥陀仏そも方便なり」って言い切っているのだから、そのくだりでちょっと笑ってしまいました。

でも、こうやって一つ一つ皆さんのお返事を読んで、今までちょっと落ち込んでいたけれど、元気が沸いてきました☆「帰依」等、色々な事も教えていただきましたし・・・
しきたりや作法は、その家に嫁したのだからしっかり頑張って覚えていきたい思うけれど、心まで縛られたくはないですね。でも浄土真宗に関しては、宗教よりも親鸞さんの考え方が魅力的なので、色々読んでみたいと思います。本当はお一人お一人にお礼がしたいのですが、もう友人がパソコンを使わねばならないようなので、お礼がこんな一まとめになって心苦しいのですが、どうぞお許しください。本当に有難うございました!!友人に紹介されて思い切ってこちらに書き込んでみましたが、本当に良かったです。心が晴れました。本当に有難うございました!

補足日時:2004/02/12 09:54
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葬式坊主でしょ。

そんなものですよ。営業して一人でも金出してくれる人を増やしたいだけですから。(^_^;)

人の命・魂・金を扱う業種はさも自分が偉くなった気がしてしまうのものです。 本来、魂が立派な人がなるべき職業なのですが・・・・・。

私のところへは死んだ坊主がよくさまよって来ますよ。(^_^;)  
死の直前って、「先生」と名のつく職業の人が騒ぎます。 そこで全ての人生の決済が見えると思うのですが。
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そのお坊さんがおかしいです。


本当に浄土真宗のお坊さんになる勉強をしたのか疑いますね。
仏様はどんな人でも助けてくれるんです。

これを機会に浄土真宗の勉強をされても面白いかもしれませんよ。
お坊さんより賢くなれば何を言われても気にならなくなると思います。

「他力本願」の本当の意味を知ってみてください。
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 もう大方回答は出尽くしてしまった観がありますが、皆さんのおっしゃるとおりでしょう。

その坊主は俗気たっぷりのクソ坊主です。話にならない。よくもそこまで堕落した坊主がいるもんだと、怒りを通り越して、呆れ返ってさえいます。

>神道の人はなかなか成仏できないで、この世をさまよっています。それを私は何人も供養して浄化させましたよ!

 これは何だか「インチキ新興宗教の教祖様」の吐くようなセリフですね(笑)。何の根拠もない、デタラメそのものの言葉です。「お前こそ供養されて浄化させてもらえ」と言い返しましょう(…って、できる訳はありませんので、心の中でそう思っていることにしましょう(笑))。

>仏法をおろそかにすることは人の恥です!」

 仏法そのものは飽くまで人の心を啓くため、人の心を導くためにあるものです。「仏法それ自体」が大事なのではない。「お金をおろそかにすることは人の恥です!」と言われれば大抵の人が押し黙らざるを得ないような状況に陥りますが、だまされてはいけません。なぜなら、お金もお金それ自体に価値があるわけではないのですから。お金自体がそんなに大事ならお金そのものを仏壇か神棚に祭って、「お金様お金様」と拝んでりゃいい(笑)。

>何だか自分の実家をさげすまれた様で、すっごく悲しいです。

 いえいえ、全然気になさる必要はありませんよ。「宗教の本質」を履き違えているバカ坊主の戯言と聞き流しておいてください。少しも悲しまれる必要などありません。こうした手合いは無視するに限ります。ですが、どうしても無視してやり過ごせる立場の相手ではないということならば、「気にするな」とおっしゃっているご主人やお姑さんに少し間に入ってもらうのも悪くないかもしれませんね。

 「嫁」というharujyoonさんの立場を衝いて、ご主人やそのご両親には言えないことまであなたに言ってきている感じですね。だとすると「風見鶏坊主」でますます許せない(笑)。でもまぁ、結論を申し上げれば、その坊主、「宗教の本質」がまったく分かっちゃいませんから、その坊主がどんなことを言おうとその一つ一つを気に病まれることはない、ということです。「立派な仏壇を揃えてお祈りすればご先祖様は成仏できる」「高いお金を払ってつけた戒名は素晴らしい。死者もあの世で喜んでいるだろう」・・・とまあ、この程度のことしか考えられないクソ坊主だということです。


 harujyoonさん、ですのでどうかご安心ください。気を滅入らせる必要もありません。本末転倒の坊主の言うことなどすべて聞き流してください(笑)。それにしても心強いじゃありませんか。harujyoonさんのご主人もお姑さんもあなたの気持ちを汲んで「気にするな」とおっしゃってくださるのですから・・・
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な~にか、浄土真宗の教えを勘違いしておられるお坊さんのようですねぇ。


浄土真宗の本尊(阿弥陀仏)は、そんなけち臭い仏ではありません。
帰依(信じてついてゆく)しない人でも救う!というのが阿弥陀仏の本願です。
阿弥陀仏の超絶スーパーパワーにより、誰も何もしなくても西方浄土に勝手に生まれ変わらされ、仏になる修行をさせられてしまいます。
大きなお世話だ!という人もいるかもしれませんが、阿弥陀パワーからは逃れられません。

従いまして、実は「南無阿弥陀仏」と唱える必要すらなかったりします。貴方が神道を信じていてもかまいません。

ちょっと、浄土真宗の話(歎異抄からの引用ですが)をすると:
浄土真宗の開祖、親鸞聖人は、煩悩を断ち切ろうとして修行を重ねます。しかし、自分にはできないということに気づきます。
そして、修行(自力)をあきらめます。そして、自分を超越するものすごい力(他力)に自分をゆだねる決心をします。自分は何もしなくても、救われるのだと信じます。他力の象徴が阿弥陀仏です。
そして、「南無阿弥陀仏」と唱えるのを唯一の修行とします(南無○○とは、○○に帰依します、という意味)。仏の名を唱えることから「念仏」と言います。
弟子に、「もし念仏をして地獄に落ちたらどうするの?」と聞かれたとき、親鸞は答えたそうです。
「私にはこれ以上の修行はしようがない。もし、他に何か修行のしようがあって、それをせずに地獄に落ちたなら後悔もするだろうけど、私には念仏以外ないのだよ。だから、念仏をして地獄に落ちたとしたら、それは最初から地獄が私の住処だったということなのだ。だから、心配には及ばない」

究極のあきらめの境地、それが浄土真宗の今生での受け止め方だと思います。
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 布教においては,他宗教・他宗派を否定するというのはよくある事で,昔々,「○○宗を信仰していると無間地獄に堕ちるぞ」「○○宗は天魔の教えだぞ」などと言って布教した偉いお坊さんもおられました。


 しかしまあ,質問者のお宅に来られるお坊さんは,言い回しが悪いですね。

>折角嫁いできて縁が切れたんだから、しっかり仏法にきえ(?)しなさい!
 
 「折角嫁いできて浄土真宗の教えとの縁ができたのですから,しっかり仏法に帰依してください。」という言い方をされたら,どう感じられたでしょう。
 
>神道の人はなかなか成仏できない
 
 「神道の人は成仏しません」
 神道の人は成仏しませんよ。そもそも仏に成ることを望んでいないんですからね。仏に成ることを望んでいるなら仏教徒になってますよ。だから,キリスト教の人もイスラム教の人も成仏しません。それぞれの教えに従った所へ行くのです。

>私は何人も供養して浄化させましたよ!
 
 いらぬお世話ですよね。折角神様の元に行ったのに念仏ひとつで阿弥陀様の元に行かされるのでは,たまったものではありません。
 また,僧侶の力ではなく,阿弥陀様の力によって救われるというのが浄土真宗の教えである筈です。

>仏法をおろそかにすることは人の恥です!
 
 「仏法を疎かにすることは仏教徒の恥です。」
 神道やキリスト教やイスラム教の人など仏教以外の人は仏法を疎かにしても全く関係ありません。
 
 昔から嫁げば嫁ぎ先の宗旨に改宗するといったことがなされてきましたから,お坊さんにとっては,檀家の家に嫁いで来られて質問者の方に早くうちの宗派になじんで貰おうと焦っている嫌いが感じ取れます。
 
 今度,月参りにお坊さんが来られた時に,お坊さんに聞こえるように「南無阿弥陀仏」と唱えてみてください。少しはお坊さんの態度も変わると思いますよ。
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私はクリスチャンなのですが・・・。



「私の信じている神が一番であり、他の神は邪心である。だからあなたも私の神を信じなさい」どこの宗教の世界でもいますよ。もちろんキリスト教でもいます。だから戦争が無くならないのです。恐ろしいですよね。

その坊さんはどれくらいの年齢なのでしょう?いずれ代替わりしますよ(息子さんにかしら?)。今のお寺は檀家が減ってしまって経営も大変です。いわゆるサービス業なのに失礼なことを言っていると先細りですよ。お墓のこともあるので、ふんぞり返っているのでは?

浄土真宗なのでお西さんですか?URLのせておきますね。

参考URL:http://www.hongwanji.or.jp/
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こんにちは。

うちは神道ですので、質問者さんと同じように、いろいろしきたりの違いで苦労することが多々あります。

でもそんな話を聞いたのは初めてです。
他の宗教を徹底的に攻撃する某学会の話なら聞いてますけど。。

うちの実家の隣に浄土真宗のお寺があり、宗教を問わず、何宗、何教の方でもどうぞというお墓を守っています。
浄土真宗とはそういう宗教だと思っていました。
そのお坊さんと、うちの田舎のお坊さんとどちらが本物なのでしょう??
つくづく疑問になってきました。(笑)

さしあたり、聞き流すよりないでしょうね。
私も No8 さんと同じようにその書物、一度読まれるといいと思います。
そのお坊さんのいう事がいかに嘘かわかると思います。
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仏教の高校に通っています。



キエは「帰依」と書きます。
仏教に限らず、神道でも、信じ、すがる事を言います。
私の学校では、折に触れ「三帰依」を唱えました。
・自ら仏に帰依奉る
・自ら法に帰依奉る
・自ら僧に帰依奉る


仏教の恥です。って、私が言う権利はありませんが。
歎異抄・・・、分かり易く解説されている物ですか?
どんなに有り難いものでも、意味が分からなければ意味は無いですよね。


以前、私が厄年で神道のお祓いを受けた時。
「今年は沢山、お供え物もしなさい。
 賽銭を沢山投げなさい。
 厄が怖かったら、そうしなさい。」
と、言われ、カチンときたことがあります。
・・・それって脅しか!?とも、思いました。

どの世界にも、そう云う人はいます。
皆に推薦されて、政治をしている人も、悪いことをします。
仏教でも、徳の高い人に教え受けても、「私はかの人に教えを受けた」と、受けたことを自慢ばかりして、何もしない人もいたみたいです。

自分の宗教を自慢するのは、まだ許せますが、他人の宗教を貶すのは止めて欲しいですね。
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