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ヤルタ会談でアメリカ、イギリス、ソ連は話し合い合意しましたが、なぜソ連はその合意を守らなかったのですか?

gooドクター

A 回答 (6件)

〔訂正〕



「その草案(8月16日)」を
「その草案(8月15日)」に訂正します。

「、同日発令され」を削除します。

「しかし国際法と言えば、1945年8月18日以降、日本軍がソ連軍に抵抗したことは違法でした。一般命令第一号に対する違反です。」を、
「しかし国際法と言えば、1945年8月15日以降、日本軍がソ連軍に抵抗したことは違法でした。」に訂正します。
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まず、1945年8月18日のトルーマンからスターリン宛ての通信を引用します。

下記のNo.364(For Generalissimo Stalin from President Truman)をご覧ください。

Correspondence with Franklin D. Roosevelt and Harry S. Truman - revolutionarydemocracy.org
https://www.revolutionarydemocracy.org/Stalin/co …
〔引用開始〕
Replying to your message of August 16, I agree to your request to modify General Order Number 1 to include all the Kurile Islands in the area to be surrendered to the Commander-in- Chief of the Soviet Forces in the Far East.
〔引用終り〕

つまり、千島列島全て(all the Kurile Islands)をソ連が占領してよいと、米国は認めたということです。いわゆる「一般命令第一号」の話です。
その草案(8月16日)では、ソ連が占領してよい地域の中に、千島列島は含まれていませんでした。そこでスターリンが、「北海道の北半分も入れて(当然、千島も入れて)」と修正を要求しました。そもそもヤルタ協定の密約で、千島はソ連に引き渡されると、連合国は合意していたのです。
結局トルーマンは、ヤルタ密約を守って「千島列島はソ連」と回答しました。ただし、「北海道は米国」とスターリンに釘を刺しました。それが、この8月18日の通信というわけです。一般命令第一号の草案もそのように修正され、同日発令されました。

いわゆるネトウヨ歴史学では、「現地の日本軍が果敢にソ連に抵抗したから、北海道まで取られるのは阻止できた」などと言ってるようですが、抵抗しようとしまいと、千島列島はすべてソ連、北海道は米国と、米ソ間で話が付いていたのです。
むろん、それは戦時中の事実上の話であって、悪く言えばドサクサ紛れでしょう。最終決定となるためには、国際法の議論も経るべきでしょう。
しかし国際法と言えば、1945年8月18日以降、日本軍がソ連軍に抵抗したことは違法でした。一般命令第一号に対する違反です。東京の大本営も降伏を下命したが、現地軍が従わなかったようです。
それでも、そのことを指摘する人が少ないのは、ソ連に蹂躙された日本人(民間人)があまりにも悲惨だったため、指摘するのが酷(こく)だからです。日本軍もソ連軍も、民間人の保護について無神経でした。また、シベリアに連行され抑留された日本軍人も、塗炭の苦しみをなめました。

さて、長々と書いても最後まで読んでもらえないのが落ちだから、話の途中ではありますが、私なりの結論を述べておきます。ヤルタ会談の合意を守らなかったのは、ご質問者がおっしゃるソ連ではなくて、むしろ米国のほうでした。
それは、サンフランシスコ条約(対日講和条約。ソ連は講和会議に参加したが条約には署名しなかった)がヤルタ協定をフォローしていないことに表れています。
もし、ヤルタ協定を守るならば、条約第二十一条「この条約の第二十五条の規定にかかわらず、……利益を受ける権利を有する」の後に、「ソ連は第二条の利益を受ける権利を有する」などと書き加えるべきでした。すなわち、第二条c項で日本が放棄した千島列島その他は、ソ連に引き渡されるということです。
一般に、条約は第三国(署名してない国)に義務を課すことはできないが、利益を与えることは可能なのです。現に、第二十一条は中国や朝鮮に利益を与えているじゃありませんか。

しかし、(講和会議を主導した)米国はヤルタ協定を守らず、ソ連に利益を与えませんでした。なぜでしょうか? ダレス国務長官の上院答弁によれば、「ソ連のほうが先にヤルタ協定を破ったから(だから米国ももはや同協定を守らない)」ということでした。
この「ソ連のほうが先にヤルタ協定を破った」とは、ヤルタ協定の前提が「ドイツに侵略され支配された地域に、戦後は民主主義をもたらす」ことだったのに、ソ連が(非民主的な)共産主義を輸出して民主主義をもたらさなかったことを指すようです。

しかし、この論法は、1945年8月にソ連が日ソ中立条約を破ったとき、「すでに日本の背信行為(関特演など)によって同条約は破られていたから」と言ったのと同様ですよね? 日本は、ソ連の「すでに破られていた」論法は認めないのに、米国のそれは認めるんでしょうか?
また、「そもそも北方四島は千島列島の中に含まれません」と日本政府がいうのは、独自の主張であって、ソ連や米国もその認識を共有していたとは見られません。日本がサンフランシスコ条約第二条c項をそのように解釈するのなら、調印に際して「解釈留保」を宣言すべきだったのではありませんか? 米国は千島列島の範囲について、「歯舞と色丹は含まれない」と言ったり(吉田茂政権も確かそんな答弁だった)、のちには「国後と択捉も含まれない」と言ったり、ブレが見られます。

また、昔の条約は(特に帝国主義華やかなりし頃は)、秘密条項があることが当たり前でした。それなのに、密約は非公式の取り決めだから国際法上の効力はない、などというのはネトウヨ法学に過ぎません。国際間の取り決めは、協定、憲章、宣言、交換公文などさまざまですが、それらは「名称のいかんを問わず」条約の一種なのです。
1953年、アイゼンハワー大統領は、秘密協定(ヤルタ密約も含む)を廃棄すると述べました。ただし、これには「奴隷化された諸国民の平和的解放のために」という前提が付いていました。前述のダレス国務長官の上院答弁と、符合しますね。米国は、ソ連による共産主義の輸出を、諸国民の奴隷化と見なしていたわけです。
人民の奴隷化は国際法の強行規範に違反しますから、そのような秘密協定は「条約の無効」の法理により、廃棄できます。逆に、そのような前提が付いてなかったら、秘密協定といえども一方的に廃棄できないでしょう。

結論として、ヤルタ会談の合意を守らなくなったのは、ご質問者がおっしゃるソ連ではなくて、むしろ米国のほうでした。アイゼンハワーの時代、冷戦の激化により米ソの合意は廃棄されたのです。
日本はそれに引きずられ、四島返還に固執して、今に至るも問題は未解決のままです。
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やれやれ・・・
やはり、ここの質問と回答の質は比例しているらしい。(理由は後述)
(やはり湧いたか・・・)

このようなテーマでは、必ず条約を歪曲して騙るうっかりさんが出ますね。

サンフランシスコ条約は、日本は北方領土を放棄させただけにすぎません。
→ロシアの領土になったという事を意味しません。
なので、北方領土の帰属は未だに決定していません(←重要)

そもそも、サンフランシスコ条約にソ連は参加していません。
→現在でも日本とロシア(旧ソ連)の間には平和条約は結ばれていません。

↑から、ロシアの主張には正当な理由はありません。


日本の外務省は、北方四島は放棄の対象外だと主張しています。

【北方領土問題の経緯(領土問題の発生まで)】(外務省)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo_ke …
( 日本は、サンフランシスコ平和条約により、ポーツマス条約で獲得した樺太の一部と千島列島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄しました。
しかし、そもそも北方四島は千島列島の中に含まれません。
また、ソ連は、サンフランシスコ平和条約には署名しておらず、同条約上の権利を主張することはできません。)



A:>ヤルタ会談でアメリカ、イギリス、ソ連は話し合い合意しましたが、なぜソ連はその合意を守らなかったのですか?

「ヤルタ会談」について。

1945年2月の「ヤルタ会談(ヤルタ密約)」では、以下の内容により、北方領土問題の原因になっています。

1:ルーズベルトがソ連に対日参戦を要請。(=「日ソ中立条約」の破棄)
2:これによるソ連の利益:千島列島、南樺太、日本の満州での権益(日露戦争によって得た旅順港や南満洲鉄道等)


回答A:↑によれば、ソ連は「彼ら」との同意は守っているとは思います。

しかし、国際法には↓の条文があります。

【当事国が関与しない領土の移転は無効】

それに「ヤルタ密約」は、連合国内での非公式の取り決めにすぎず「条約」ではありません。
   ↓
国際法上の効力はありません。

これについては連合国側からも問題視する人がいました。

【戦犯裁判の錯誤】(ハンキー卿著 イギリスの元老)
《不戦条約その他の国際条約を侵犯し、隣国に対して侵略戦争を計画し、準備し、遂行し、占領地域の一般住民を虐待し、奴隷労働その他の目的の為にその地から追放し、個人の財産を掠奪し、軍事上の必要によって正当化されない都市村落の無謀な破壊を行うような罪を犯したことが一見明らかな同盟国の政府(たとえばソ連)および個人に対しても、どのような裁判をおこなうつもりかどうか。》

1956年のアイゼンハワー政権(米国)は、ヤルタ秘密議定書を「ルーズベルト個人の文章であり、米国政府の公式文書ではなく無効」との国務省声明を発表しています。

2005年にはブッシュ大統領が「史上最大の過ちの一つ」と批判しています。



無知とそれに便乗してデマを騙る工作員。
日本にとって、より始末が悪いのはどちらだろう。
「ヤルタ会談でアメリカ、イギリス、ソ連は話」の回答画像4
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火事場泥棒が伝統芸だって聞いたことがあります。

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>なぜソ連はその合意を守らなかったのですか?



ちがいますよ、千島列島および南樺太のソ連編入は秘密会談であったヤルタ会談で決定したのです。それをスターリンが「忠実に守った」のです。

ポツダム宣言は日本が戦争などで獲得した土地について返却を要求しています。でも千島列島はロシアと交渉の末決定したものです。ですから本来千島列島をソ連が占領する権利などありません。

それを世界的に承認してしまったのがサンフランシスコ講和条約です。③フランシスコ講和条約では2条C項で「千島列島」の領有権を放棄しています。

ですからまずサンフランシスコ講和条約の2条C項の破棄すべきでしょう、
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日露戦争で負けてサハリン半分取られた事を根に持ってたのではないですか

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