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徳川慶喜が江戸城明け渡し大政奉還、天皇へ政権を奉上したのに、なぜ薩長は政権を横取りし、天皇を操り人形にしていたのですか?

A 回答 (2件)

徳川慶喜は、大政奉還したあと、


自分が政権のトップに立つ計画だった
からです。

薩長はそれを見破った訳です。



(NHK 高校講座)

「大政奉還」、政権を朝廷に返し新たな政治体制をつくる、
ということです。

15代将軍・徳川慶喜はこれを受け入れて、
1867年10月14日、260年余りにおよぶ
江戸幕府に終止符を打ちました。

しかし大政奉還後も、慶喜は政治と長い間距離をおいてきた
朝廷から、政治を任されます。
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京都の朝廷は、長く内政を行っていなかった。

朝廷が政治の中心となっていたのは平安中期頃までで、幕末頃の公家は政務ができない。
しかし、王政復古ということで公家はやる気満々だ。

だから、天皇を操り人形にしたい薩長は、三条実美や岩倉具視など一部を除くとして、その他大勢の公家だらけの京都から、天皇を引き離す必要があった。

それに京都で、近代的中央官僚機構を新たに建設するのは大変だしそんなお金もない。
だから大阪にしようと思ったがそれも難しく、幕府や諸大名の施設がそのまま使える江戸を東京に改名し、その首都機能を使うことにした。
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